日本人
日本人は均一性を欲する。大多数がやっていることが神聖であり、同時に脅迫である
「街道を行く」より
今だからこそ言える、いや言わなくてはならない
私は裁判で嘘の証言をしてしまいました
私もみんなも全員ジャニーの犠牲者だったのです - ジャニー喜多川
道徳の性質および国家という組織から分離して考えることは、きわめて明白な誤謬である。
むしろ、日本人にもっとも特有な卑法である。
「きれぎれに心に浮かんだ感じと回想」より
欧米では個人が神に向き合うが、日本人は自己の属する集団に恥をかかせないように己を規制する
「菊と刀」より
ルース・ベネディクト
4
アメリカの人類学者
わたくしども日本人の神は、
『世間様』ですから、
はい。
、 - あきちゃん
日本人は食事を重要行為と見なしていない。
「菊と刀」より
ルース・ベネディクト
4
アメリカの人類学者
もし、拉致された人、そして亡くなった人たちに何かの過失があるとすれば、それは、「日本人」に生まれたということでしょう。
拉致被害者の帰国に際して
2002/10/15 News23 多事争論「24年」(tbs.co.jp)
2002/10/15 News23 多事争論「24年」(tbs.co.jp)
我々みんなアフリカ由来ですけど - sige
言葉尻を捉えて矮小化するようなことはやめましょう。
www.tbs.co.jp/news23/old/onair/taji/s21015.html
ちなみにそのコメントは以下のように続きます。
「自国民が自国の領土でさらわれることについて、それを止められず、その後も24年にわたって放置したという、そういう国に生まれたということの過失ぐらいしかありません。
そして、その過失を償うために何をしなければならないかと言えば、色んな曲折があると思いますけれども、彼らは拉致されたのですから、帰ってきたんですから、日本人なんですね。彼らは日本人であり、その家族の関係者もそうでありますが、それを日本政府は断固守るんだという、この意思表示を非常にはっきり北朝鮮側に今後も続けるべきであります。 」 - あいう
コメントをおかしな部分で切って登録したことにあるなこれは - 銘無き石碑
22歳まで自分は日本人であった。
敬天愛人(けいてんあいじん)
西郷隆盛が好んでよく使い、揮毫した言葉です。「天を敬(うやま)い、人を愛する」と読むのですが、この敬天愛人という言葉には、西郷の自己修養のための指針(目標)と、彼の信仰的とも言える天命への自覚という考え方が含まれています。
西郷隆盛
4
江戸明治時代の政治家
あそこでは「人間らしくあること」が、マナー違反になるのだ。
たとえば、ヘッドフォンの音漏れが敵視されるのは、あれはうるさいからではない。
音量について言うなら、電車の走行音と比べてみればわかる通り、ごく些細なノイズに過ぎない。
問題は、音楽を聴いている人間が「ゴキゲン」である点にある。みんなが我慢しているのに、一人だけノリノリであることが許せない、と、そういうことなのだ。
通勤は、ひとつの「行」だ。
とすれば、満員電車という共通の閉鎖空間に居合わせた全員が心をひとつにして試練に耐えるのでなければ、「行」は貫徹されない。
脱落者が出ると、結界が破れてしまう。
日系ビジネスオンラインより
小田嶋 隆
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1956年生まれ。コラムニスト。著書多数。
ここまでは納得 - 銘無き石碑
- 銘無き石碑
科学、美術、宗教、文化などの発展の上からみて、
アングロサクソン民族が45歳の壮年に達しているとすれば、
ドイツ人はそれとほぼ同年齢である。
しかし、日本人はまだ児童の時代で、まだ12歳の少年である。
ドイツ人が現代の道徳や国際道義を守るのを怠けたのは、
それを意識してやったのであり、無知のためではない。
ドイツが犯した失敗は、日本人の失敗とは趣を異にするのである。
ドイツ人は、今後も自分がこれと信ずることに向かっていけるであろう。
日本人はドイツ人とは違う。
ダグラス・マッカーサー
13
アメリカの軍人、陸軍元帥。連合国軍最高司令官を務めた。コーンパイプがトレードマー...-ウィキペディア
アングロサクソンと分かり合おうとした事だ。 - 銘無き石碑
でも、日本は少年には同意しても他の例が壮年なのはわかんないかな。比較対象なんだろうけど、もう壮年なら伸びしろが無いじゃないか!笑
後半の部分は大体同意かな。
あと 当時この発言で日本でのマッカーサー熱がさめちゃったけど、何故か日本でも愛されてたっていうのはすごいよね。 - ぬこ
多くを取り込んで、軍拡してドンドン戦争してた日本は
これが事実だろう
マッカーサーは日本は悪いと認識し計画的に凶悪犯罪をした
大人ではない。と日本を擁護したとも考えられる。 - 銘無き石碑
日本人の某という姓名を持ち、その肩書きとして、われわれは「日本人」という国民の立場を背負っているのだ。さらにわれわれは、日本で生活し、そこで自由に行動する権利を持っている。その権利を有する以上、当然それに伴う責任がなくてはならないはずである。
日本国の誰、英国の誰と、その姓名の肩書に国の名あればその国に住居し、起居眠食、自由自在なるの権義あり。すでにその権義あればまたしたがってその職分なかるべからず。
ことばも賤しく、態度も卑屈で、目上の人には一言も逆らわず
立てと言われれば立ち、踊れと言われれば踊り、その態度はまるで痩せた飼い犬だ。
平民の根性は依然として旧の平民に異ならず、言語も賤しく応接も賤しく、目上の人に逢えば一言半句の理屈を述ぶること能わず、立てと言えば立ち、舞えと言えば舞い、その柔順なること家に飼いたる痩せ犬のごとし。実に無気無力の鉄面皮と言うべし。
日本人は批判されることをネガティブに捉える傾向がある。
日本人は、本音をグサリと言われることが好きではないように思えた。
私は、この日本人の性質をなかなか理解できなかったのだが
ピッチ上のことはピッチ上で解決しようと考えていた。
ピッチ上のことはピッチ上で解決しようと考えていた。
イビチャ・オシム
42
ユーゴスラビア(現・ボスニア・ヘルツェゴビナ)のサラエヴォ出身のサッカー選手、指...-ウィキペディア
日本人にはコレクティブな組織力がある。
そして、素晴らしいテクニックに敏捷性、知性と闘争心を持っている。
本来、クリエイティブな国民でもあるのだ。
足りないのは、ほんの少しのリスクと勇敢さ。
そのことを胸に刻み、ブラジルへ踏み出してもらいたい。
もう戦いは、とっくに始まっているのだ。
もう戦いは、とっくに始まっているのだ。
イビチャ・オシム
42
ユーゴスラビア(現・ボスニア・ヘルツェゴビナ)のサラエヴォ出身のサッカー選手、指...-ウィキペディア
偏ってないってことは誰かと替えがきく存在になるって事だと思うんですけどね
Twitterより
すごいと言われたい症候群も、
がっかりされたくない症候群も、
バカにされたくない症候群も、
つまり他人にコントロールされている。
期待に応えようと必死で頑張った先には
自分が自分のままでいる事を許してくれない世界がある。
そんな人だと思わなかったという言葉を恐れて
自分が壊れるまで他人に捧げてしまう
自分が自分のままでいる事を許してくれない世界がある。
そんな人だと思わなかったという言葉を恐れて
自分が壊れるまで他人に捧げてしまう
われわれ日本人の二千年来君に忠に親に孝だったと思うのは猿田彦命もコスメ・ティックをつけていたと思うのと同じことである。もうそろそろありのままの歴史的事実に徹して見ようではないか?
『侏儒の言葉』(岩波文庫版69頁)
「三人の狙撃手」
‥‥‥容姿や言葉だけで俺を同胞と、判断するのは勝手だが、
それは、日本人が持つ一番危険な、センスだな‥‥‥
さいとう・たかを『ゴルゴ13 Volum124 装甲兵SDR2』(リイド社,2009)8p
デューク・東郷(ゴルゴ13)
198
さいとう・たかをによる日本の漫画。超一流のスナイパー(狙撃手)「ゴルゴ13」こと...-ウィキペディア
ビル・ゲイツ、エネルギー問題を語る
合理的な日本人が、原発事故に非合理的な反応をしているのは残念だ
2011年9月
ウォルフスブルクは交代枠を使い切った後半36分にGKヒッツが退場。 急きょ長谷部が白いグラブとユニホームを受け取り、代役を務めた。
長谷部「本音を言えば、やりたくなかったです。」(ameblo.jp)
ウォルフスブルクは交代枠を使い切った後半36分にGKヒッツが退場。 急きょ長谷部が白いグラブとユニホームを受け取り、代役を務めた。
長谷部「本音を言えば、やりたくなかったです。」(ameblo.jp)
日本選手は規律があり、どこのポジションもできる
フェリックス・マガト
1
1953年7月26日生まれ。ドイツ出身の元西ドイツ代表サッカー選手、サッカー指導...
「おしゃれは悪魔の誘い」
よく日本人は自分の個性に合った洋服を着ようって感覚でしょう。
そんあものじゃないのね、本来、洋服の個性を着るんですよね。
塩野七生 五木寛之『おとな二人の午後』(角川書店,2003)50p
「おしゃれは悪魔の誘い」
日本のおとなの女性は、とかくPTA的な女の視線を意識して装ってはいませんか。
塩野七生 五木寛之『おとな二人の午後』(角川書店,2003)57p
「貧しかったが尊敬されていたこの国」
人間には男女を問わず、あなたにチャンスをあげますと言えば奮い立つ人と、
あなたに安定を保証しますと言ったら、なにかやる人とがいるのよ。
塩野七生 五木寛之『おとな二人の午後』(角川書店,2003)326p
「貧しかったが尊敬されていたこの国」
日本人は反論の口実が見つけられないとき、気分的に反論していくの。
塩野七生 五木寛之『おとな二人の午後』(角川書店,2003)330p
凡なるニ将
日本人は、民主主義が好きなのと同じくらい、学ぶことが好きな民族なのだ
塩野七生『サイレント・マイノリティ』(新潮社,1993)93p
コケットリーは、イエスとノーを同時に言うことである。
ゲオルク・ジンメル
4
ドイツ出身の哲学者(生の哲学)、社会学者である。ジムメルと表記されることもある。...-ウィキペディア