幕末

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刑屍累累 鬼火青く(刑死の屍体が重なり合い、鬼火が青く燃える)
枕頭時に覚ゆ 北風腥きを(まくらもとでも、北風がなまぐさく感じる時がある)
婆心世を憂いて 夜睡り難く(老婆心で世の中のことを憂慮し、夜も眠れない)
起ちて窓端に向かえば 大星を見る(起きて窓辺に向かえば、大いなる星が見える)

『所懷』と題した漢詩。安政の大獄で同志たちが弾圧される状況を憂慮した内容である。
大橋訥庵 1

江戸時代後期の儒学者、尊王論者。諱は正順、通称は順蔵、字は周道、訥庵は号。坂下門...-ウィキペディア

地を離るれば人なし、人を離るれば事なし、
ゆえに事を成さんと欲する者は、まさに地理を究むべし

吉田松陰 11

日本の武士(長州藩士)、思想家、教育者。山鹿流兵学師範。一般的に明治維新の精神的...-ウィキペディア

言葉を発する時は温かい婦人や優しい女性のようにする。
普段の謙虚な態度が、いざという時の気迫の源なのだ。

一言する時は必ず温然和気婦人好女の如し。
是れが気迫の源なり
吉田松陰 11

日本の武士(長州藩士)、思想家、教育者。山鹿流兵学師範。一般的に明治維新の精神的...-ウィキペディア

大丈夫…俺はお前の傍にいるよ…陽が落ちても月が昇っても、いつか別れる日が来ても…
 それでも俺は、お前の傍に居続けるから。

ゲームの最後で藤堂平助が言った言葉

    カッコイイ - 銘無き石碑

    女々しい - 銘無き石碑

一理行けば一里の忠、二里行けば二里の忠を尽くす

元治(1864)元年、俗論派に対して各諸隊に決起を促したときに言った言葉。
高杉晋作 7

江戸時代後期の長州藩士。幕末に長州藩の尊王攘夷の志士として活躍した。奇兵隊など諸...-ウィキペディア

人は艱難は共にできるが富貴は共にできない

慶応(1865)元年、俗論派に対するクーデターを成功させた後、正義派による反幕政権を確立した後、政権争いをする同士達を見ていった言葉。
高杉晋作 7

江戸時代後期の長州藩士。幕末に長州藩の尊王攘夷の志士として活躍した。奇兵隊など諸...-ウィキペディア

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死は好むべきものにあらず、亦悪むべきにもあらず。
道尽き安ずる、便ち是死所。
世に生きて心死する者あり。身亡びて魂存する者あり。
心死すれば生くるも益なし。魂存すれば亡ぶも損なきなり。
死して不朽の見込みあらばいつでも死すべし。
生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし。

幕末、長州藩士高杉晋作が、師である吉田松陰に手紙で「丈夫(男子)の死すべき所はどこであるのか」と質問した際、松陰が返答した言葉。
吉田松陰 11

日本の武士(長州藩士)、思想家、教育者。山鹿流兵学師範。一般的に明治維新の精神的...-ウィキペディア


    迷ってばかりで歯がゆいぞ。早く決断しな。 - 銘無き石碑

涙を抱えて沈黙すべし

次々と重なる悲運のときに彼が書いた手記がこの悲壮な言葉である。

    不幸な気分を醸し出すなよ。自己憐憫に酔ってないで、もうちょっと周囲の人に気を遣えよ。 - 銘無き石碑

    何か悲しいことがあったような予感がするぞ。 - 銘無き石碑

志とは 目先の貴賤で動かされるようなものではない
今 賤しいと思えるものが明日は貴いかもしれない
君子となるか小人となるかは家柄の中にはない
君 自らの中にあるのだ

文久元年十一月二十六日 北川竹次郎宛手紙 にて

敬天愛人(けいてんあいじん)

西郷隆盛が好んでよく使い、揮毫した言葉です。「天を敬(うやま)い、人を愛する」と読むのですが、この敬天愛人という言葉には、西郷の自己修養のための指針(目標)と、彼の信仰的とも言える天命への自覚という考え方が含まれています。
西郷隆盛 4

江戸明治時代の政治家


    今鹿児島ー - 銘無き石碑