ディベート

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タッチストーン:宮廷にいたことがないのなら、地獄行きだな‥‥‥何故なら宮廷にいたことがないのならいい礼儀作法を知らないわけだ。
ということはおまえさんの礼儀作法は悪い、ってことになり、悪いということは罪、ってことで、しかるに地獄行きだ

宮廷の礼儀作法なんざ、田舎じゃおかしくってしょうがないんだ、
田舎の行儀が宮廷じゃ大笑いなのと一緒のこった

『お気に召すまま』
コリン 2

羊飼い。

議論はいやよ。よく男の方は議論だけなさるのね、面白そうに。
空の盃でよくああ飽きずに献酬ができると思いますわ

静(こゝろ) 3

先生の妻。「下」の前半部分では“お嬢さん”と書かれている。

あなたは学問をする方だけであって、なかなかお上手ね。空っぽな理屈を使いこなす事が

静(こゝろ) 3

先生の妻。「下」の前半部分では“お嬢さん”と書かれている。

第12章◆角栄死して、憲法も死んだ

民主主義の眼目は、率直で力を込めた討論である。

小室直樹『痛快!憲法学』(集英社インターナショナル,2001)245p
マーガレット・サッチャー 5

イギリス初の女性首相。

聖徳太子、知らない?

田原総一朗 1

1934年4月15日生まれ。日本のジャーナリスト、評論家、ニュースキャスター。

「貧しかったが尊敬されていたこの国」

日本人は反論の口実が見つけられないとき、気分的に反論していくの。

塩野七生 五木寛之『おとな二人の午後』(角川書店,2003)330p
塩野七生 701

日本の歴史作家(プロの学術研究者ではなく「小説家」)である。名前の「七生」は、7...-ウィキペディア

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あらゆる取引が泥試合になりかねないし、
負けられない人は学べないから、成長できない。
負けない人だって努力するけれど、無目的に積んだ努力は、成熟に結びつかない。

負けかたを知らないままで社会に出た人は、負けないことでしか自己を保てない。

学校で討論を行う目的というものは、「負けかたを習う」というところにある。
勝つ工夫は誰でもするし、教えなくても努力するだろうけれど、
負けかたは教わらないと泥試合になるし、「負けない」協議をどれだけ重ねたところで、
負けかたは習得できない。

お互いが認容可能な負けパターンを持っているなら、
競技には納得のいく落としどころが生まれる。
負けないことの価値は相対的に下がって、落としどころに向かう過程を楽しめる。

いい審判にゲームのジャッジをしてもらうことで、
競技者は納得のいく負けかたを習得することができる。

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ゲームのルールや審判が競技者から信頼されて、初めて競技は成立する。

レジデント初期研修用資料(medt00lz.s59.xrea.com)より
お互いに納得のいく負けかたを審判が示すことができて、その判断が公正であると信頼されれば、競技者は気持ちよく負けられる。

審判は、そこにいる誰もが納得する「負け」のありかたを提案してみせないと、
ゲームはつまらないものになる。

誰かに「勝つ」、説得するのは難しいけれど、
誰かに「負けない」ための技術というものには典型的なやりかたがいくつかあって、
それを習得して再現するだけで、議論をグダグダにすることができる。

負けるというのは誰かの価値を受け入れることで、学びそのものでもある。

学校で学ぶべき、学校でしか学べない大切なものというのは、「負けかた」なのだと思う。