真の貴族は市民のモラルなど問題にしない。
市民的モラルを問題にしはじめた時、貴族階級の没落が始まる。
君主に対する暗殺は、政体を何一つ変える働きを持たない
別の人間が君主の地位に就くだけである。
美しく勇気のある大胆な女への賛美は、
真の男たちが生きている限り続くであろう。
ルネサンス時代の領主、武将であるカテリーナ・スフォルツァについて書いた中の一文。
生前から女傑として尊敬され、讃えられ、恐れられた人物。
生前から女傑として尊敬され、讃えられ、恐れられた人物。
カテリーナ・スフォルツァに限らないが、地中海・欧州世界で稀に現れる女傑(カテリーナ・メディチ、マリア・テレジア、エカテリーナⅡ世等)タイプは、日本、特に現代では現れない。古代の皇極女帝、戦国時代の帰蝶やお寧などいたが、現代の日本に生まれても塩野氏のように若くして日本を飛び出すだろう。
日本に真っ当なフェミニズムが根付かないのと同じ理由で、(それが悪いとは言えないが)日本の男女は共依存関係が基本的だからだ。幸せは人それぞれなので、日本女性は「日本は女性議員が少ない」という海外の批判に「やりたくないだけです」と声を上げるべきだ。そうすれば、やりたいごく少数の女性が正当な評価を得て、活動出来るだろう。 - 銘無き石碑
多くの美しく幸運に恵まれた女たちが
若いうちはその肉を悪魔に与え
その若さも美しさも幸運もしぼんでしまった晩年になって
残った骨を神に捧げる
若く幸運に恵まれた女は、わかりきった善よりも未知なる悪の魅力に惹かれるものだ。
そうして経験を積んで年を取った後に、善なるものの中に居場所を見つける。
そうして経験を積んで年を取った後に、善なるものの中に居場所を見つける。
人間というものは、いかに心の中で思っていても
それを口にするかしないかで、以後の感情の展開がちがってくるものである。
愛していると言わせよう。
言った人間はその言葉を誰よりも自分の耳で聞くことになる。
思っていても言わなかった時とは、何かが違ってくる。
言った人間はその言葉を誰よりも自分の耳で聞くことになる。
思っていても言わなかった時とは、何かが違ってくる。
禁断の甘き匂いは、禁断を犯さないかぎりかぐことはできない。
やってみなければ絶対にわからないことがある。
最初の柵を越えれば、次の
そしてそのまた次の柵を越えるのは、ずっと簡単にいく
精神の障壁は少しずつ取り除いていくことができる。恋愛も悪も。
奔放な生き方を貫ける人は
もともとそれをできる環境に恵まれていたか
それとも、古い言葉を使えば人間のしがらみに、無神経でいられる
「大胆」な人にかぎられる。
奔放に生きる人が、そうでない人に比べて
勇気の点で優れているとは一概には言えない。
勇気の点で優れているとは一概には言えない。
私が若者であった頃
若者に理解の手をさしのべたがるオトナを
気味悪いと思って眺めていたのを思いだす
若者にとって上の世代は乗り越えるべき対象なのだ。
外国住まいが長い人は九十九%愛国者になる
他者と触れ合う中で己を知る。
慣れない場所や文化、
言葉の通じにくい環境や孤立を恐れる人間の自然な心理だよね。 - 銘無き石碑
若者が、優しくあれるはずはないのである。
すべてのことが可能だと思っている年頃は
高慢で不遜であるほうが似つかわしい。
「男たちへ」より抜粋
優しくあれるようになるのは
人生には不可能なこともある、とわかった年からである。
自分でも他者でも、限界があることを知り
それでもなお全力をつくすのが人間とわかれば
人は自然に優しくなる。
「男たちへ」より抜粋
人生やはりいくぶんかの楽観主義は必要で
そうでないと、自分自身が耐えていけないだけでなく
周囲の人まで巻きぞえにしかねないのだ。
悲観的な人物よりも楽観的な人物の周りに人は集まってくる。
人生の成功者になりたければ
どんなに平凡な人間にも五分の魂があることを
忘れるわけにはいかない。
他人の心情を顧みない者は失敗する。
人は、不幸な人には同情はしても
愛し、協力を惜しまないのは、幸運に恵まれた人に対してである
「男たちへ」より抜粋
- 銘無き石碑
男は美貌ではない、というのならばわからないでもないが
男は顔かたちではない、とは言えないのではないか。
生き方は顔にあらわれる。
真の政治感覚をもつ政党など
一つとして存在しない状況下では
有権者の判断力は具体的に判断可能なことにしか発揮されない
「再び男たちへ」より抜粋
人類は三千年このかたあらゆる統治形態を模索してきたが
支配階級の存在しない統治形態だけは考え出すことはできなかった。
「再び男たちへ」より抜粋
良いこともできなければ
かといって悪事に徹底することもできない人とは
何もできない人間ということになる
「愛の年代記」より抜粋
歴史とは、現代人の感覚で読んでしまうと
話がいっこうに進まないだけでなく
少しも面白くなくなってしまうものである。
異なる時代や文化を、自分の常識の枠にはめてとらえようとすると、味気がなくなる。
われわれは誰でも、なにがしかの不都合をかかえながら生きている。
そしてしばしば、これらの不都合を人生の大事のように思いたがる。
それも、自分自身の人生の大事と考えるならまだしも
他の人にとっても他人事でない、つまり人間すべてに共通する
大問題として捕えたがるのだ。
「人びとのかたち」より抜粋
女に対して常に成功を収める男の武器は
美貌でもなく教育程度でもなく
ましてや社会的地位や経済力ではまったくなく
ただただ言葉のつかいようにある
おしゃれしてくれてありがとう、とは、ニクイ台詞だ。
深い関係になった男女の、それもこの関係が
まだはじまったばかりの時期にしか使えない。
私もずいぶんと無駄をしてきたけれど
行為抜きで男女の愛情は成立しえるか
というテーマを追求するという
無駄だけはしなかった
それにしても亭主という種族は
なぜああも妻の買い物に同行するのを嫌うのか!
「人びとのかたち」より抜粋
庶民の善悪は、庶民が生きる範囲において有効である。
「ルネサンスの女たち」より