塩野七生 701

生 1937年7月7日
日本の歴史作家(プロの学術研究者ではなく「小説家」)である。名前の「七生」は、7月7日生まれであることに由来。...-ウィキペディア

女とは、モテたいがために贈物をする男と、
喜んでもらいたい一念で贈物をする男のちがいを、
敏感に察するものである。

塩野七生 『ローマ人物語8 ユリウス・カエサル ルビコン以前 [上]』(新潮文庫,2004)124p

ギリシア民族とは、
国破れて山河あり、の山河を人間になおせば通用する典型である。

塩野七生 『ローマ人物語8 ユリウス・カエサル ルビコン以前 [上]』(新潮文庫,2004)131p

絶望は、人を過激にする。
とくに、生まじめで思いつめる性質の人ほど、容易に過激化しやすい。

塩野七生 『ローマ人物語8 ユリウス・カエサル ルビコン以前 [上]』(新潮文庫,2004)159p

キリスト教史観に立つ人でも、カエサルを悪く言うことはできない。
キリストは、彼の後に現れた人である。

塩野七生 『ローマ人物語8 ユリウス・カエサル ルビコン以前 [上]』(新潮文庫,2004)203p

人間の心理をどう洞察するかに、性別も数も関係ない

塩野七生 『ローマ人物語8 ユリウス・カエサル ルビコン以前 [上]』(新潮文庫,2004)210p
イタリアの普通高校で使われている、歴史の教科書より

指導者に求められる資質は、次の五つである。
知性。説得力。肉体上の耐久力。自己制御の能力。持続する意志。
カエサルだけが、このすべてを持っていた。

塩野七生 『ローマ人物語8 ユリウス・カエサル ルビコン以前 [上]』(新潮文庫,2004)5p
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自負心も、強くなりすぎると他者への伝達の意欲を欠く結果に終わりやすい。

塩野七生 『ローマ人物語9 ユリウス・カエサル ルビコン以前 [中]』(新潮文庫,2004)23p

野心とは、何かをやりとげたいと思う意志であり、
虚栄とは、人々から良く思われたいという願望である。

塩野七生 『ローマ人物語9 ユリウス・カエサル ルビコン以前 [中]』(新潮文庫,2004)19p
カエサルの文体に対して

簡潔、明晰、洗練されたエレガンス

塩野七生 『ローマ人物語9 ユリウス・カエサル ルビコン以前 [中]』(新潮文庫,2004)73p

戦闘は、死ぬためにやるのではなく、生きるためにやるのである。

塩野七生 『ローマ人物語9 ユリウス・カエサル ルビコン以前 [中]』(新潮文庫,2004)91p

人間には、誰かに後事を託さねばならない場合、
こと細かに指示を与えて託す人と、
任務を与えても細かい指示までは与えないで託す人の二種に分れる。

塩野七生 『ローマ人物語9 ユリウス・カエサル ルビコン以前 [中]』(新潮文庫,2004)118p
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おそらくカエサルの言葉

人間とは噂の奴隷であり、
しかもそれを、自分の望ましいと思う色をつけた形で信じてしまう。

塩野七生 『ローマ人物語9 ユリウス・カエサル ルビコン以前 [中]』(新潮文庫,2004)204p

カエサルの辞書に復讐という言葉はない。
復讐とは、彼にすれば、復讐に燃える側もその対象にされる側も、
同じ水準にいなければ成立不可能な感情なのである。

塩野七生 『ローマ人物語10 ユリウス・カエサル ルビコン以前 [下]』(新潮文庫,2004)21p

兵士は、指揮官の顔を見ながら闘う。

塩野七生 『ローマ人物語10 ユリウス・カエサル ルビコン以前 [下]』(新潮文庫,2004)61p

あせれば人は、ごく自然に以前の成功例にすがりつくようになるものである。

塩野七生 『ローマ人物語10 ユリウス・カエサル ルビコン以前 [下]』(新潮文庫,2004)116p

戦闘も、オーケストラの演奏会と同じではないかと思える。

塩野七生 『ローマ人物語10 ユリウス・カエサル ルビコン以前 [下]』(新潮文庫,2004)131p

正確に書くことこそ自分の考えをより充分に理解してもらえる、最良の手段である

塩野七生 『ローマ人物語10 ユリウス・カエサル ルビコン以前 [下]』(新潮文庫,2004)147p

人間は、自らの性格に合ったやり方が、最もよくやれるのである。
カエサルは、口述筆記するときもカエサルであったのだ。

塩野七生 『ローマ人物語10 ユリウス・カエサル ルビコン以前 [下]』(新潮文庫,2004)148p

人間誰でも金で買えるとは、
自分自身も金で買われる可能性を内包する人のみが考えることである。

塩野七生 『ローマ人物語10 ユリウス・カエサル ルビコン以前 [下]』(新潮文庫,2004)196p

総司令官の振舞いは、自然に兵士たちにも感染する。

塩野七生 『ローマ人物語10 ユリウス・カエサル ルビコン以前 [下]』(新潮文庫,2004)47p

人間がかかわるほとんどすべてのことは、1プラス1は常に2になるとはかぎらない。
3になることも4になることもあるし、反対に0.5で終わることもある。

塩野七生 『ローマ人物語11 ユリウス・カエサル ルビコン以後 [上]』(新潮文庫,2004)48p

人は、全幅の信頼を寄せてではないにしろ、他人にまかせなければならないときがある。

塩野七生 『ローマ人物語11 ユリウス・カエサル ルビコン以後 [上]』(新潮文庫,2004)66p

何かのきっかけで、親密度の限界を越えて「甘え」に変わるのだ。
甘えとは、それがほんの少し進んだだけで、日本語で言う「図に乗る」に変わる。

塩野七生 『ローマ人物語11 ユリウス・カエサル ルビコン以後 [上]』(新潮文庫,2004)109p
カエサルは後者の代表格といってもよい

(不利な)状態になった場合、人は二種に分れる。
第一は、失敗に帰した事態の改善に努めることで不利を挽回しようとする人であり、
第二は、それはそのままでひとまずは置いておき、別のことを成功させることによって、
情勢の一挙挽回を図る人である。

塩野七生 『ローマ人物語11 ユリウス・カエサル ルビコン以後 [上]』(新潮文庫,2004)123p

人間は、気落ちしているときにお前の責任ではないと言われると、
ついほっとして、そうなんだ、おれの責任ではなかったのだ、と思ってしまうものである。
こう思ってしまうと、再起に必要なエネルギーを自己生産することが困難になる。
ついつい、指導者の判断待ちという、消極性に溺れこんでしまうものだ。

塩野七生 『ローマ人物語11 ユリウス・カエサル ルビコン以後 [上]』(新潮文庫,2004)194p