ダグラス・マッカーサー 13

1880年1月26日 - 1964年4月5日
アメリカの軍人、陸軍元帥。連合国軍最高司令官を務めた。コーンパイプがトレードマークであった。 マッカーサーのカナ表記はマックアーサーとされている場合がある。...-ウィキペディア

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太平洋はもはや、将来に侵略者がやってくる道ではない。
その代わりに、平和な湖の水面と考えてよい。
我々の防衛線は天然の要害であり
最小の軍事的努力と出費で維持できるだろう。

1951年4月19日、退役式典の演説にて。

    西は日本が、東はヨーロッパが盾となる。
    アメリカはまだまだ安泰でしょうね。 - 銘無き石碑

    はぁ?侵略者はお前らだろッ - 銘無き石碑

    ヒトラー大好き
    - 高橋 龍也

    >2
    左翼乙 - アメリカ人

その旗竿がいまだ立っているのが私にも見える。
旗を巻き上げるのは諸君らの部隊がやるんだ。
そして二度と敵にそれを引きずり下ろさせるな。

1945年3月2日、コレヒドール島を日本から奪還した空挺部隊の指揮官に向かって言った言葉。

死を恐れぬ者だけが生き残れる。

1951年に出版された時事事典に彼の言葉として掲載された。

    死ぬのを恐れるのは当たり前なのだが、その逆の発想がすごいと思いました。だからマッカーサーは生き延びれたのかと思いました。 - とむ

    死んで行った人に謝れ - 銘無き石碑

    死を恐れぬもの=勇敢な兵士
    ということか? - 銘無き石碑

    彼自身は、「ダグアウト(DOUGOUT=待避壕)のダグ(DOUG=DOUGLAS、マッカーサーのファーストネームの愛称)」と陰で兵士たちから嘲笑されていた事実がある(参照『レイテに沈んだ大東亜共栄圏』角川文庫・1995年)。特権的な地位にあり、他者に死を強要できる立場であったことを思えば、「死を恐れぬ…」の言は皮肉としか取れない。
    戦時下、「死を強要される」立場に立たされ、たとえ、「臆病者」「卑怯者」と周囲から罵られ、迫害されても必死で生き抜いてきた人々に対する侮辱であろう。
    「卑怯者の方が長生き出来る」
    (漫画『爺さんと僕の事件帖』)
    - 名言録

    寂しくて君に逢いたくて仕方ないや。 - 銘無き石碑

戦争の究極の目的は勝つことであり
決断を先延ばしにすることではない。
戦いにおいては、代わりに勝利を収めてくれる代理人はいない。

1951年4月19日、退役式典にて。

    日本とドイツ、アメリカには確かにいなかったが、イギリス、フランス、中国にはいた。 - 銘無き石碑

日本人は戦争以来
現代史上で最も偉大な改心を
経験している。

1951年4月19日 退役式典にて。
The Japanese people, since the war,
have undergone the greatest reformation
recorded in modern history.

    上からもの言ってんじゃねぇよクソカス - 銘無き石碑

    改心したと認められただけいいだろ。
    韓国なんかは改心どころか悪化してると見られてるよ - 銘無き石碑

    改心したと認められただけいいだろ。
    韓国なんかは改心どころか悪化してると見られてるよ - 銘無き石碑

    ハルノート出して来たのは何処のどいつ? - 銘無き石碑

    そうだそうだ! - darren0103

一つ片付いたが、まだ戦争の道筋を一歩進んだだけだ。
諸君らが勝つか負けるか、生きるか死ぬか。
その違いはまつげ1本だ。

1942年3月17日 オーストラリア付近の日本軍占領地を奪還した指揮官に言った言葉。

    12歳問題は、下記の解釈で誤解が多いよ。
    1.科学、美術、宗教、文化などの発展の上からみて、アングロ・サクソン民族が45歳の壮年に達しているとすれば、ドイツ人もそれとほぼ同年齢である。
    2.しかし、日本人はまだ生徒の時代で、まだ12歳の少年である。
    3.ドイツ人が現代の道徳や国際道義を守るのを怠けたのは、それを意識してやったのであり、国際情勢に関する無知のためではない。ドイツが犯した失敗は、日本人の失敗とは趣を異にするのである。
    4.ドイツ人は、今後も自分がこれと信ずることに向かっていくであろう。日本人はドイツ人とは違う。
    前後の文脈を総合すると、ドイツ人は十分に成熟していながら確信犯的に戦争を起こしたが、日本人は未熟であったため戦争という過ちを犯したという趣旨の発言
    /ウィキペディア(Wikipedia)より
    - マック
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私が以前いたフィリピンの地の人民に、私は言った。「私は帰ってくる」と。
今夜その言葉を繰り返そう。
私は帰ってくる。

1942年3月30日、日本から奪還したフィリピンでの演説。
開戦前から軍事顧問としてフィリピンで長く生活してきたことが背景にある。
「私は帰ってくる」は”I shall return"であるが
シュワルツェネガーの名台詞
"I'll be back"はマッカーサーを意識しているともいわれる。

ただ消え去るのみ


    詰まらぬ人間は死ぬその日までやはり詰まらない。 - 銘無き石碑

科学、美術、宗教、文化などの発展の上からみて、
アングロサクソン民族が45歳の壮年に達しているとすれば、
ドイツ人はそれとほぼ同年齢である。
しかし、日本人はまだ児童の時代で、まだ12歳の少年である。
ドイツ人が現代の道徳や国際道義を守るのを怠けたのは、
それを意識してやったのであり、無知のためではない。
ドイツが犯した失敗は、日本人の失敗とは趣を異にするのである。
ドイツ人は、今後も自分がこれと信ずることに向かっていけるであろう。
日本人はドイツ人とは違う。


    …。 - 銘無き石碑

    >>日本人の失敗
    アングロサクソンと分かり合おうとした事だ。 - 銘無き石碑

    確かに文明開化があって成功はしたけど、何か失っちゃった感があったよね。いろいろな大切な物を捨てちゃったような。
    でも、日本は少年には同意しても他の例が壮年なのはわかんないかな。比較対象なんだろうけど、もう壮年なら伸びしろが無いじゃないか!笑
    後半の部分は大体同意かな。
    あと 当時この発言で日本でのマッカーサー熱がさめちゃったけど、何故か日本でも愛されてたっていうのはすごいよね。 - ぬこ

    フリーメイソン - GHQ

    まあ江戸や明治以降に欧米の文化や科学技術などの
    多くを取り込んで、軍拡してドンドン戦争してた日本は
    これが事実だろう
    マッカーサーは日本は悪いと認識し計画的に凶悪犯罪をした
    大人ではない。と日本を擁護したとも考えられる。 - 銘無き石碑

Old soldiers never die; they just fade away.

老兵は死なず、ただ消え去るのみ

    この時に上層部がマッカーサーの意見を真摯に聞いていたら、もっと早く平和な世界が作られていただろうに…マッカーサーがもう少し若かったら引退なんかしなかったのかな… - イサキ

    一応言っておきますがマッカーサーは味方を数万人を置いて一人逃げた男です。
    大統領や上官にたいしても傲慢な態度をとり自分の責任を部活や副官に押し付けるような男です。
    手柄を全て自分の物にし未だヒーロー面して写真に残っている人間です - 銘無き石碑

名誉を果たす者ありて
そこに名誉あり
名誉を重んずる者あって
そこに祖国あり


    ボーナスアーミーたちを残虐に弾圧した男にとっての「祖国」とは?「名誉」とは?泉下の元帥閣下に以下の言葉を進呈したい。
    あんた、お腹がすいて眠れなかったことってある?
    騎士道精神なんか、糞くらえよ!!
    (アニメ『LAST EXILE』第2話「Luft Vanship」)
    - 名言録
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我々の記憶に残るのは、規則を守った者では無く、破ったものである。

その当時、軍の司令官等はとても口汚い事を言いながら兵士に教えていたので、こういった言葉がタグラス元帥から発せられた

私は必ず帰ってくる

コレヒドール島から脱出した際に言った言葉。原文はI shall return.