塩野七生

自由な精神
一九四四年一月八日

アメリカ製の缶詰の肉は、喜んでいただく。
しかし、それについてくる彼らのイデオロギーは、皿に残すことにした。

塩野七生『サイレント・マイノリティ』(新潮社,1993)167p
レオ・ ロンガネージ 6

1905年-1957年。イタリアのジャーナリスト。風刺作家。漫画家。 二十二歳...

自由な精神
一九四一年一月一〇日

イギリス人はこの戦争に勝つだろう。
なぜなら、彼らは、戦争以外のことならばすべてできるからだ。
ドイツ人は、この戦争に負けるだろう。
なぜなら、彼らは、戦争だけしかできないからである。

塩野七生『サイレント・マイノリティ』(新潮社,1993)164p
レオ・ ロンガネージ 6

1905年-1957年。イタリアのジャーナリスト。風刺作家。漫画家。 二十二歳...

自由な精神
同年(1940年)五月二七日

すべての革命は、街頭からはじまり、食卓に終る。

塩野七生『サイレント・マイノリティ』(新潮社,1993)164p
レオ・ ロンガネージ 6

1905年-1957年。イタリアのジャーナリスト。風刺作家。漫画家。 二十二歳...

自由な精神
一九三八年一二月一五日

一人の馬鹿は、一人の馬鹿である。二人の馬鹿は、二人の馬鹿である。
一万人の馬鹿は、〝歴史的な力〟である。

塩野七生『サイレント・マイノリティ』(新潮社,1993)163p
レオ・ ロンガネージ 6

1905年-1957年。イタリアのジャーナリスト。風刺作家。漫画家。 二十二歳...

陽の下に新しきものなし

塩野七生『サイレント・マイノリティ』(新潮社,1993)98p
旧約聖書 48

ユダヤ教およびキリスト教の正典である。また、イスラム教においてもその一部(モーセ...-ウィキペディア

歴史はくり返すと言うが、それは、歴史上の諸事実がそのままくり返すのではなく、
それらへの人間の対応の仕方がくり返すのである

塩野七生『サイレント・マイノリティ』(新潮社,1993)98p
ヘンリー・キッシンジャー 4

ドイツ出身のアメリカのニクソン政権およびフォード政権期の国家安全保障問題担当大統...

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間奏曲

わたしは、わたしに勝った人々よりも、徳性の聞こえを遺しているだけで幸福だ。
これは、正しくない勝者には、できないことなのだから

塩野七生『サイレント・マイノリティ』(新潮社,1993)88p
ブルータス 2

ローマの劇作家

間奏曲
本能寺にて、光秀の性格や能力を知っていた信長は脱出は不可能と悟り、言い放った

是非に及ばず

塩野七生『サイレント・マイノリティ』(新潮社,1993)87p
織田信長 18

戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。三英傑の一人。 尾張国(現在...-ウィキペディア

マイノリティ〝宣言〟
古代ローマについて

人類の歴史はすべてここに濃縮されている

塩野七生『サイレント・マイノリティ』(新潮社,1993)13p
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ 506

ドイツの詩人、劇作家、小説家、自然科学者(色彩論、形態学、生物学、地質学、自然哲...-ウィキペディア

解説

恋の中に女の全人格は集中されうる。

塩野七生『愛の年代記』(新潮社,1978)291p
大久保喬樹 1

1946年9月12日生まれ。比較文学者。東京女子大学教授。

ローマは、三度世界を征服した。一度は武力で、次は法律で、三度目はキリスト教で

塩野七生『愛の年代記』(新潮社,1978)267p
ルドルフ・フォン・イェーリング 6

ドイツの法学者。1872年に出版された『権利のための闘争(Der Kampf u...-ウィキペディア

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饗宴・地獄篇 第一夜
フランス革命の当時、パンを寄こせ、と叫んで王宮にデモしてきた民衆に、

パンがなければ、お菓子を食べればいいのに

塩野七生『サロメの乳母の話』(新潮社,2003)201p
諸説あり(ja.wikipedia.org)
マリー・アントワネット 2

1755年11月2日 - 1793年10月16日 フランス国王ルイ16世の王妃。


    これ正しくはマリー・アントワネットの言葉じゃないです - えびちり

調査とは十ヶ月の妊娠のようなものであり、
問題の解決とは、ある朝の分娩のようなものである。
調査とはつまり、問題解決のことである

塩野七生『男の肖像』(文藝春秋,1992)145p
毛沢東 11

中華人民共和国の政治家、軍事戦略家、思想家。字は詠芝、潤芝、潤之。筆名は子任。中...-ウィキペディア

政治は血を流さない戦争であり、戦争は血を流す政治である

塩野七生『男の肖像』(文藝春秋,1992)145p
毛沢東 11

中華人民共和国の政治家、軍事戦略家、思想家。字は詠芝、潤芝、潤之。筆名は子任。中...-ウィキペディア

戦争は、別の手段による政治の継続である。

塩野七生『男の肖像』(文藝春秋,1992)145p
毛沢東 11

中華人民共和国の政治家、軍事戦略家、思想家。字は詠芝、潤芝、潤之。筆名は子任。中...-ウィキペディア

大きく打てば大きく響き、小さく打てば小さく響く釣鐘のような人物

塩野七生『男の肖像』(文藝春秋,1992)101p
坂本龍馬 9

江戸時代末期の志士、土佐藩郷士。 諱は直陰(なおかげ)、のちに直柔(なおなり)...-ウィキペディア

西南戦争にて中津隊は帰郷と決まったが、隊長である増田だけは残るという。
なぜかと問うた隊員たちに、増田はこう答えたという。

わたしは君らとちがい、将として本営の西郷先生に接しつづけてきた。
それゆえ、もうどうにもならぬ。
一日西郷に接すれば、一日の愛生ず。三日接すれば、三日の愛生ず。
親愛日に加わり、今は去るべくもあらず。ただ、死生をともにせんのみ

塩野七生『男の肖像』(文藝春秋,1992)94p
増田宗太郎 1

嘉永2年2月23日(1849年3月17日) - 明治10年( 1877年)9月)...

大カトー
ポエニ戦役海戦のキャンペインとして、両手に、いくつかのいちじくをもった大カトーが元老院で言った言葉

これほどの豊潤な果実を産する敵が、この新鮮さを保てる三日の距離にいる

塩野七生『男の肖像』(文藝春秋,1992)43p
マルクス・ポルキウス・カト・ケンソリウス 13

マルクス・ポルキウス・カト・ケンソリウス(ラテン語: Marcus Porciu...-ウィキペディア

大カトー
ローマの民衆が、決められた時期でもないのに国有の小麦粉を安く分配するよう要求した。

市民諸君、耳をもっていない腹に向って、演説するのはむずかしい

塩野七生『男の肖像』(文藝春秋,1992)37p
マルクス・ポルキウス・カト・ケンソリウス 13

マルクス・ポルキウス・カト・ケンソリウス(ラテン語: Marcus Porciu...-ウィキペディア

「「スペンデレベーネ」したあとの静かな死」

汚い金をきれいに使うのが文化ちゅうもんや

塩野七生 五木寛之『おとな二人の午後』(角川書店,2003)356p
桑原武夫 1

1904年5月10日 - 1988年4月10日 日本のフランス文学・文化の研究者...

「いま〈寛容〉の時代がやってきた」

歴史というものはほんとうはないと思う。
歴史はフィクションなんだと考えたほうがいいという風に考えてるんです。
後年の人たちが再構築して、ありのまま構築できるっていうふうに考えてるんです。
(中略)
歴史は物語なんだと思ったほうが正しい。

塩野七生 五木寛之『おとな二人の午後』(角川書店,2003)212p
五木寛之 19

日本の小説家・随筆家。作詞家としての活動も多い。旧姓は松延(まつのぶ)。...-ウィキペディア

「政治も教育もセクシーでなければ」

真理というものは、言葉で言い尽くしたなかに生まれてくるものであって、
日本のように、あるものが真実であって、
言葉という手段を通じて、真実へ近づくのではないってことですよね。
言葉で尽くされたものこそが真実なんだと考える世界なんです。

塩野七生 五木寛之『おとな二人の午後』(角川書店,2003)169p
五木寛之 19

日本の小説家・随筆家。作詞家としての活動も多い。旧姓は松延(まつのぶ)。...-ウィキペディア

「ローマからの故国の眺め」
パリの街角でバスにのろうと停留所へ行った。
先に立っていたおばあさんのうしろに並ぼうとすると、そのおばあさんが厳しい眼差しで、「私が先ですからね!」とすごい剣幕で言った。

もちろんです。どうぞ、どうぞ。私の人生にはまだたっぷり時間がありますから

塩野七生 五木寛之『おとな二人の午後』(角川書店,2003)31p
岸恵子 1

1932年8月11日生まれ。女優・文筆家。

「東京での再会「異邦人対談」番外篇」

ぼくの場合は、
ほら、顔を上げて空の太陽を見なさいというものの見方とは逆なんです。
直接、光源を見ても、太陽の激しい光はまぶしくて見えない。
そういうときにはうなだれて、肩を落として足もとを見る道もある、と。
自分の足もとに落ちているくっきりした影の濃さと暗さこそが、
自分を背後から照らしている光の存在を気づかせてくれるじゃないか。
ああ、たしかに光は存在し、自分を背後から照らしてくれているんだな、と。

塩野七生 五木寛之『おとな二人の午後』(角川書店,2003)377p
五木寛之 19

日本の小説家・随筆家。作詞家としての活動も多い。旧姓は松延(まつのぶ)。...-ウィキペディア

「東京での再会「異邦人対談」番外篇」
眠りという豊かな原野で、人間は想像力を養い、そこで傷ついた精神を回復させる。

人生において、三分の一を占める眠る時間を尊敬しなくちゃいけない。

塩野七生 五木寛之『おとな二人の午後』(角川書店,2003)376p
五木寛之 19

日本の小説家・随筆家。作詞家としての活動も多い。旧姓は松延(まつのぶ)。...-ウィキペディア