塩野七生
アメリカ製の缶詰の肉は、喜んでいただく。
しかし、それについてくる彼らのイデオロギーは、皿に残すことにした。
1905年-1957年。イタリアのジャーナリスト。風刺作家。漫画家。 二十二歳...
一九四一年一月一〇日
イギリス人はこの戦争に勝つだろう。
なぜなら、彼らは、戦争以外のことならばすべてできるからだ。
ドイツ人は、この戦争に負けるだろう。
なぜなら、彼らは、戦争だけしかできないからである。
1905年-1957年。イタリアのジャーナリスト。風刺作家。漫画家。 二十二歳...
同年(1940年)五月二七日
すべての革命は、街頭からはじまり、食卓に終る。
1905年-1957年。イタリアのジャーナリスト。風刺作家。漫画家。 二十二歳...
一九三八年一二月一五日
一人の馬鹿は、一人の馬鹿である。二人の馬鹿は、二人の馬鹿である。
一万人の馬鹿は、〝歴史的な力〟である。
1905年-1957年。イタリアのジャーナリスト。風刺作家。漫画家。 二十二歳...
陽の下に新しきものなし
歴史はくり返すと言うが、それは、歴史上の諸事実がそのままくり返すのではなく、
それらへの人間の対応の仕方がくり返すのである
ドイツ出身のアメリカのニクソン政権およびフォード政権期の国家安全保障問題担当大統...
わたしは、わたしに勝った人々よりも、徳性の聞こえを遺しているだけで幸福だ。
これは、正しくない勝者には、できないことなのだから
ローマの劇作家
本能寺にて、光秀の性格や能力を知っていた信長は脱出は不可能と悟り、言い放った
是非に及ばず
古代ローマについて
人類の歴史はすべてここに濃縮されている
ドイツの詩人、劇作家、小説家、自然科学者(色彩論、形態学、生物学、地質学、自然哲...-ウィキペディア
恋の中に女の全人格は集中されうる。
1946年9月12日生まれ。比較文学者。東京女子大学教授。
イェーリング『ローマ法の精神』(amazon.co.jp)に出てくる一節がもとになっている。
原文では、「ローマは世界に三度掟を示した、つまり、三度諸国民を結合した。
一度は国家統一という形で、一度は教会の統一という形で、一度は法の統一という形で」途中、一部省略。(blogs.yahoo.co.jp)
注:塩野七生『愛の年代記』では、現代のアメリカの法学者が言った言葉とある
ローマは、三度世界を征服した。一度は武力で、次は法律で、三度目はキリスト教で
ドイツの法学者。1872年に出版された『権利のための闘争(Der Kampf u...-ウィキペディア
フランス革命の当時、パンを寄こせ、と叫んで王宮にデモしてきた民衆に、
パンがなければ、お菓子を食べればいいのに
諸説あり(ja.wikipedia.org)
1755年11月2日 - 1793年10月16日 フランス国王ルイ16世の王妃。
調査とは十ヶ月の妊娠のようなものであり、
問題の解決とは、ある朝の分娩のようなものである。
調査とはつまり、問題解決のことである
政治は血を流さない戦争であり、戦争は血を流す政治である
戦争は、別の手段による政治の継続である。
大きく打てば大きく響き、小さく打てば小さく響く釣鐘のような人物
なぜかと問うた隊員たちに、増田はこう答えたという。
わたしは君らとちがい、将として本営の西郷先生に接しつづけてきた。
それゆえ、もうどうにもならぬ。
一日西郷に接すれば、一日の愛生ず。三日接すれば、三日の愛生ず。
親愛日に加わり、今は去るべくもあらず。ただ、死生をともにせんのみ
嘉永2年2月23日(1849年3月17日) - 明治10年( 1877年)9月)...
ポエニ戦役海戦のキャンペインとして、両手に、いくつかのいちじくをもった大カトーが元老院で言った言葉
これほどの豊潤な果実を産する敵が、この新鮮さを保てる三日の距離にいる
マルクス・ポルキウス・カト・ケンソリウス(ラテン語: Marcus Porciu...-ウィキペディア
ローマの民衆が、決められた時期でもないのに国有の小麦粉を安く分配するよう要求した。
市民諸君、耳をもっていない腹に向って、演説するのはむずかしい
マルクス・ポルキウス・カト・ケンソリウス(ラテン語: Marcus Porciu...-ウィキペディア
汚い金をきれいに使うのが文化ちゅうもんや
1904年5月10日 - 1988年4月10日 日本のフランス文学・文化の研究者...
歴史というものはほんとうはないと思う。
歴史はフィクションなんだと考えたほうがいいという風に考えてるんです。
後年の人たちが再構築して、ありのまま構築できるっていうふうに考えてるんです。
(中略)
歴史は物語なんだと思ったほうが正しい。
真理というものは、言葉で言い尽くしたなかに生まれてくるものであって、
日本のように、あるものが真実であって、
言葉という手段を通じて、真実へ近づくのではないってことですよね。
言葉で尽くされたものこそが真実なんだと考える世界なんです。
パリの街角でバスにのろうと停留所へ行った。
先に立っていたおばあさんのうしろに並ぼうとすると、そのおばあさんが厳しい眼差しで、「私が先ですからね!」とすごい剣幕で言った。
もちろんです。どうぞ、どうぞ。私の人生にはまだたっぷり時間がありますから
1932年8月11日生まれ。女優・文筆家。
ぼくの場合は、
ほら、顔を上げて空の太陽を見なさいというものの見方とは逆なんです。
直接、光源を見ても、太陽の激しい光はまぶしくて見えない。
そういうときにはうなだれて、肩を落として足もとを見る道もある、と。
自分の足もとに落ちているくっきりした影の濃さと暗さこそが、
自分を背後から照らしている光の存在を気づかせてくれるじゃないか。
ああ、たしかに光は存在し、自分を背後から照らしてくれているんだな、と。
眠りという豊かな原野で、人間は想像力を養い、そこで傷ついた精神を回復させる。
一九四四年一月八日