西南戦争にて中津隊は帰郷と決まったが、隊長である増田だけは残るという。
なぜかと問うた隊員たちに、増田はこう答えたという。

わたしは君らとちがい、将として本営の西郷先生に接しつづけてきた。
それゆえ、もうどうにもならぬ。
一日西郷に接すれば、一日の愛生ず。三日接すれば、三日の愛生ず。
親愛日に加わり、今は去るべくもあらず。ただ、死生をともにせんのみ

塩野七生『男の肖像』(文藝春秋,1992)94p
増田宗太郎

増田宗太郎 1

嘉永2年2月23日(1849年3月17日) - 明治10年( 1877年)9月) 中津藩下士増田久行の嫡男。


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