中国

ブルース・リーが生前、妻に残した言葉

生きとし 生けるものは
全て たおやかである
硬直したものは
砕けやすく
力強いものは
転げ落ちる‥

知ってるつもり?!『ブルース・リー』
老子 51

春秋戦国時代の中国における哲学者である。諸子百家のうちの道家は彼の思想を基礎とす...-ウィキペディア

南部工業都市の酸性雨のさま

黒い龍が天を舞い、黒い雨が顔を打つ

AERA Mook 4『環境学がわかる。』(朝日新聞社,1994)P131
社会主義であろうと資本主義であろうと、そんな名称にこだわるのは無用なことだ。

姓社姓資を問わず

1992年の春節に華南地方を巡ったときの講話の一節。
トウ小平 1

1904年8月22日 - 1997年2月19日 中華人民共和国の政治家。

調査なくして発言なし

AERA Mook 5『国際関係学がわかる。』(朝日新聞社,1994)P140
毛沢東 11

中華人民共和国の政治家、軍事戦略家、思想家。字は詠芝、潤芝、潤之。筆名は子任。中...-ウィキペディア

鉄砲から政権が生まれる

毛沢東 11

中華人民共和国の政治家、軍事戦略家、思想家。字は詠芝、潤芝、潤之。筆名は子任。中...-ウィキペディア

行ひて余力あらば即ち以て文を学べ

孔子 53

春秋時代の中国の思想家、哲学者。儒家の始祖。氏は孔、諱は丘、字は仲尼(ちゅうじ)...-ウィキペディア

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木に縁りて魚を求む

孟子 21

孟子(もうし、紀元前372年? - 紀元前289年)は戦国時代中国の儒学者。姓は...-ウィキペディア

百聞は一見に如かず

ことわざ 112

鋭い風刺や教訓・知識などを含んだ、世代から世代へと言い伝えられてきた簡潔な言葉の...-ウィキペディア

これを知る者はこれを好む者に如かず、これを好む者はこれを楽しむ者に如かず

孔子 53

春秋時代の中国の思想家、哲学者。儒家の始祖。氏は孔、諱は丘、字は仲尼(ちゅうじ)...-ウィキペディア

森浩一との中国旅行時、泉州で少し時間があった。
泉州の郊外に老公石象の名で呼ばれてりう老子の石像がある。
森はタクシーで見に行こうと司馬をさそった。
すると司馬はきっぱりと「僕は行かない」と言う。理由をきくと

僕はそういう作られた物を見るのは嫌いなんです。
自分のなかにできている老子さんがこわれるのがいやなんです

司馬遼太郎 45

日本の小説家、ノンフィクション作家、評論家。本名、福田 定一(ふくだ ていいち)...-ウィキペディア

切に生きる
今、自分がしていることに没頭しきること。
ある僧が問いました。
「今日はどんな説明もいりません。一言で答えてください。いかなるか、これ清浄法身」

われ、常に、ここにおいて切なり

瀬戸内寂聴『痛快!寂聴仏教塾』(集英インターナショナル,2000)P204
洞山和尚 1

中国の曹洞宗の祖師


    君との付き合いで孤独が癒されました。でも、それだけです。 - 銘無き石碑

    君と一緒にいたって楽しくないんだよなあ。 - 銘無き石碑

    与えてもらう人間から与える人間に変わって下さい。そうすれば、きっと楽しい。 - 銘無き石碑
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子曰く、「己の欲せざるところ、人に施すことなかれ。」と

孔子 53

春秋時代の中国の思想家、哲学者。儒家の始祖。氏は孔、諱は丘、字は仲尼(ちゅうじ)...-ウィキペディア

第12章◆ 21世紀の羅針盤
互いに相手を利用しあう、言わば「相互に抱き込まれる」関係

桃を与え、李を投げる

船橋洋一『痛快!国際政治学』(集英社インターナショナル,2002)P185
第4章◆夢はうつつか? Oh!マイホーム
中国のことわざ

《三日間、幸せになりたかったら結婚しなさい。》
そして――、
《永遠に、幸せになりたかったら釣りを覚えなさい。》

野末陳平『痛快!税金学』(集英社インターナショナル,1999)P76
開高健 3

1930年12月30日 - 1989年12月9日 日本の小説家。

第7章 『論語』にみる21世紀の経営学
原文:子夏曰、君子有三変、望之儼然、即之也温、聴其言也厲
現代語訳:君子は三つの変化を見せる。遠くから見ると、威厳があって恐れ多い。近くで接してみると温厚で、その言葉は厳しい。

君子に三変あり。
これを望めば儼然(げんぜん)たり、これに即けば温なり、其の言を聴けば厲(はげ)し

子張第十九-9
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)P169
第6章 壊れた日本を修復する知恵―「礼」
原文:孔子曰、君子有九思、視思明、聽思聰、色思温、貌思恭、言思忠、事思敬、疑思問、忿思難、見得思義
現代語訳:孔子がおっしゃった。「君子は常に九つの事を考えねばならない。
見る時はよく分かって見ているかどうかを考え、聴く時ははっきり聴いているかどうかを考え、表情・態度が温和かどうかを考え、
容姿が恭々しいかどうかを考え、言葉が誠実かどうかを考え、政務には慎重かどうかを考え、疑わしく判断しにくいことは質問してもよいかどうかを考え、
憤ることが後の憂いにならないかどうかを考え、ある程度結果を得たらもっと得るかどうかを考える」

孔子曰く、君子に九思(きゅうし)あり。
視るには明(めい)を思い、聴くには聡(そう)を思い、色には温(おん)を思い、
貌(かたち)には恭(きょう)を思い、言には忠(ちゅう)を思い、事には敬(けい)を思い、
疑わしきには問いを思い、忿(いか)りには難(なん)を思い、得るを見ては義(ぎ)を思う。

季氏第十六-10
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)P154
第6章 壊れた日本を修復する知恵―「礼」
原文:子曰、事父母幾諌、見志不従、又敬不違、労而不怨
現代語訳:孔子がおっしゃった。「父母に仕えて、もし彼らに過失があったら、それとなく諫めることだ。
もし父母が聞き入れなくても、あくまでも丁重に、逆らわぬようにし、心配はしても怨むことのないように」

子曰く、父母に事(つか)うるには幾(ようや)く諫め、
志の従わざるを見ては、又敬して違わず、労しし怨みず。

里仁第四-18
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)P151
第6章 壊れた日本を修復する知恵―「礼」
原文:子曰、父母之年、不可不知也、一則以喜、一則以懼
現代語訳:孔子がおっしゃった。「父母の年は子どもとして知っていなければいけない。
ひとつには、それで長寿を喜べる、ひとつには、老いてゆくのを心配するためである」

子曰く、父母の年は知らざるべからず。一は則ち以て喜び、一は則ち以て懼る。

里仁第四-21
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)P151
第6章 壊れた日本を修復する知恵―「礼」
原文:子曰、父母在、子不遠遊、遊必有方
現代語訳:孔子がおっしゃった。「父母が健在のうちは、遠くに出かける時は、必ず行く先を知らせておかねばならない」

子曰く、父母在(いま)せば、遠く遊ばず。遊ぶこと方(つね)あり。

里仁第四-19
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)P151
第6章 壊れた日本を修復する知恵―「礼」
原文:孔子曰、不知命、無以爲君子也、不知禮、無以立也、不知言、無以知人也
現代語訳:孔子がおっしゃった。「天命が分からなければ君子にはなれない。
礼儀が分からなければ、世に立っていけない。人の言葉が聞き分けられなければ、真に人の善悪を見分けることはできない」

孔子曰く、命を知らざれば、以て君子たること無きなり。
礼を知らざれば、以て立つこと無きなり。
言を知らざれば、以て人を知ること無きなり。

堯曰第二十-5
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)P130
第5章 「知」と「学」が日本を救う
原文:子夏曰、博学而篤志、切問而近思、仁在其中矣
現代語訳:子夏が言った。「広く学んで、志をしっかりと定め、
疑問に突き当たったら機を逸せず人に教えを請い、現実の問題をじっくり考えれば、仁徳はそこに生まれる」

子夏が曰く、博く学びて篤く志し、切に問いて近く思う、仁其の中(うち)に在り。

子張第十九-6
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)P120
第5章 「知」と「学」が日本を救う
原文:子曰、我三人行、必得我師焉、擇其善者而從之、其不善者改之
現代語訳:孔子がおっしゃった。「三人が連れだって行けば、必ず手本となる先生がいるものだ。
その中に長所があれば積極的に学び、欠点があれば戒めとしてそれを改めるようにしている」

子の曰わく、我れ三人行なえば必ず我が師を得る。
其の善き者を択びてこれに従う。其の善からざる者にして、これを改む。

述而第七-21
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)P114
第5章 「知」と「学」が日本を救う
原文:子曰、知者不惑、仁者不憂、勇者不懼
現代語訳:孔子がおっしゃった。「聡明な人は少しも惑わず、仁徳のある人は憂いも心配なく、勇敢な人は恐れることはない」

子曰く、知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼(おそ)れず。

子罕第九-107
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)P107
第4章 人と人を結びつける「信」と「義」
原文:子曰、非其鬼而祭之、諂也、見義不為、無勇也
現代語訳:孔子がおっしゃった。
「自分が祭るべき先祖でもないのに、それを祭るのは単なるへつらいにすぎない。当然行うべきことと知りながら、それを実行しないのは勇気がないからだ」

子曰わく、其の鬼に非ずしてこれを祭るは、諂いなり。義を見て為ざるは勇なきなり。

為政第二-24
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)P92
第4章 人と人を結びつける「信」と「義」
原文:子貢問政、子曰、足食足兵、民信之矣、子貢曰、必不得已而去、於斯三者、何先、曰去兵、
曰必不得已而去、於斯二者、何先、曰去食、自古皆有死、民無信不立
現代語訳:子貢が政治について尋ねた。孔子が言われた。「食料を豊富にし、軍備を充実させ、人民の信用を得ることである。」
子貢言った。「もしどうしてもやむを得ない事情でこの三つのうちひとつを省くとしたら、どれを真っ先にとりますか。」孔子が言った。「軍備だね」。
「もしどうしてもやむを得ない事情で、残った二つのうちさらにひとつを省くとしたら、どれにしますか?」。
孔子が言われた。「食糧だね。どんな人間でも昔からいつかは死ぬとされているが、人民が信用しなくなったら国は成り立たないよ」

子貢、政を問う。子の曰く、食を足し兵を足し、民をしてこれを信ぜしむ。
子貢が曰く、
必ず已(や)むを得ずして去らば、斯の三者に於て何(いず)れをか先きにせん。
曰く、兵を去らん。
曰く、必ず已むを得ずして去らば、斯の二者に於て何ずれをか先きにせん。
曰く、食を去らん。古(いにしえ)より皆死あり、民は信なくんば立たず。

顔淵第十二-7
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)P85