現代語訳

あなたとふたりで見たならば、どんなにか、この降る雪が嬉しかったことでしょう

わが背子と ふたり見ませば 幾ばくか
この降る雪の 嬉しからまし

巻8・一六五八
光明皇后 1

大宝元年(701年) - 天平宝字4年6月7日(760年7月27日))は、奈良時...


    - 銘無き石碑
千沼のほうから雨が降ってくるぞ。四八津の漁民は網を乾している。濡れてしまうのではないかなあ
天平六(七三四)年、難波行幸の際、聖武天皇の詔に応じた

千沼廻より雨ぞ降り来る四八津の海人
綱手乾したり濡れもあへむかも

巻6・九九九
守部王 1

舎人皇子の子で、淳仁天皇の兄。

大和には 群山があるが、特に頼もしい天の香具山に登り立って国見するをすると、広い平野にはかまどの煙があちこちから立ち上っている。
広い水面にはかもめが盛んに飛び立っている。
ほんとうに良い国だね(あきづ島)この大和の国は

大和には 群山あれど とりよろふ
天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は
煙立ち立つ 海原は かまめ立ち立つ うまし国そ
あきづ島 大和の国は

巻1・二
舒明天皇 1

推古天皇元年(593年)? - 舒明天皇13年10月9日(641年11月17日)...

ああ、なんてみっともない。立派な政治家を気取って、酒も飲まない、そんや奴の顔をよくよく見ると、お猿さんそっくりだ

あな醜賢しらをすと酒飲まぬ
人をよく見れば猿にかも似る

巻3・三四四
大伴家持 3

養老2年(718年)頃 - 延暦4年8月28日(785年10月5日))は奈良時代...


    これって旅人さんの歌ですよね? - りっちー
大君は神でいらっしゃるから天雲にとどろく雷神の上に廬りなさるのだ

大君は神にしませば天雲の
雷の上に廬りせるかも

巻3・二三五
柿本人麻呂 5

斉明天皇6年(660年)頃 - 養老4年(720年)頃)は、飛鳥時代の歌人。

春楊葛山発雲立座妹念
春柳を鬘にするという名の葛城山に立つ雲のように、立っていても座っていてもあの娘を恋しく思う

春柳 葛城山に 立つ雲の
立ちても居ても 妹をしそ思ふ

巻11・二四五三、人麻呂歌集
柿本人麻呂 5

斉明天皇6年(660年)頃 - 養老4年(720年)頃)は、飛鳥時代の歌人。

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宇治川の網代木に漂う波は、どこへ消え去っていくのだろうか、ゆく方も知れないことよ

物のふの八十氏川の網代木に
いさよふ波のゆく方知らずも

柿本朝臣人麻呂、近江国より上り来る時に、宇治河の辺りに至りて作る歌
巻3・二六四
柿本人麻呂 5

斉明天皇6年(660年)頃 - 養老4年(720年)頃)は、飛鳥時代の歌人。

朝寝の床でまどろんでいると、朝はやくから射水川を往来する舟人がうたう越の舟歌が、遥かに聞こえて来る

朝床に 聞けば遥けし 射水川
朝漕ぎしつつ 唄ふ舟人

巻19・四一五〇
大伴家持 3

養老2年(718年)頃 - 延暦4年8月28日(785年10月5日))は奈良時代...

現代語訳「この世は 自分(道長)のためにあるものだ だから満月が欠けることもない」
『小右記』より(原文漢文)

この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば

瀬戸内寂聴『痛快!寂聴源氏塾』(集英インターナショナル,2004)P42
藤原道長 1

平安時代中期の公卿。


    mjんっjhlh。、ぐjg。っl - かいと
第7章 『論語』にみる21世紀の経営学
原文:子夏曰、君子有三変、望之儼然、即之也温、聴其言也厲
現代語訳:君子は三つの変化を見せる。遠くから見ると、威厳があって恐れ多い。近くで接してみると温厚で、その言葉は厳しい。

君子に三変あり。
これを望めば儼然(げんぜん)たり、これに即けば温なり、其の言を聴けば厲(はげ)し

子張第十九-9
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)P169
第6章 壊れた日本を修復する知恵―「礼」
原文:孔子曰、君子有九思、視思明、聽思聰、色思温、貌思恭、言思忠、事思敬、疑思問、忿思難、見得思義
現代語訳:孔子がおっしゃった。「君子は常に九つの事を考えねばならない。
見る時はよく分かって見ているかどうかを考え、聴く時ははっきり聴いているかどうかを考え、表情・態度が温和かどうかを考え、
容姿が恭々しいかどうかを考え、言葉が誠実かどうかを考え、政務には慎重かどうかを考え、疑わしく判断しにくいことは質問してもよいかどうかを考え、
憤ることが後の憂いにならないかどうかを考え、ある程度結果を得たらもっと得るかどうかを考える」

孔子曰く、君子に九思(きゅうし)あり。
視るには明(めい)を思い、聴くには聡(そう)を思い、色には温(おん)を思い、
貌(かたち)には恭(きょう)を思い、言には忠(ちゅう)を思い、事には敬(けい)を思い、
疑わしきには問いを思い、忿(いか)りには難(なん)を思い、得るを見ては義(ぎ)を思う。

季氏第十六-10
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)P154
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第6章 壊れた日本を修復する知恵―「礼」
原文:子曰、事父母幾諌、見志不従、又敬不違、労而不怨
現代語訳:孔子がおっしゃった。「父母に仕えて、もし彼らに過失があったら、それとなく諫めることだ。
もし父母が聞き入れなくても、あくまでも丁重に、逆らわぬようにし、心配はしても怨むことのないように」

子曰く、父母に事(つか)うるには幾(ようや)く諫め、
志の従わざるを見ては、又敬して違わず、労しし怨みず。

里仁第四-18
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)P151
第6章 壊れた日本を修復する知恵―「礼」
原文:子曰、父母之年、不可不知也、一則以喜、一則以懼
現代語訳:孔子がおっしゃった。「父母の年は子どもとして知っていなければいけない。
ひとつには、それで長寿を喜べる、ひとつには、老いてゆくのを心配するためである」

子曰く、父母の年は知らざるべからず。一は則ち以て喜び、一は則ち以て懼る。

里仁第四-21
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)P151
第6章 壊れた日本を修復する知恵―「礼」
原文:子曰、父母在、子不遠遊、遊必有方
現代語訳:孔子がおっしゃった。「父母が健在のうちは、遠くに出かける時は、必ず行く先を知らせておかねばならない」

子曰く、父母在(いま)せば、遠く遊ばず。遊ぶこと方(つね)あり。

里仁第四-19
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)P151
第6章 壊れた日本を修復する知恵―「礼」
原文:孔子曰、不知命、無以爲君子也、不知禮、無以立也、不知言、無以知人也
現代語訳:孔子がおっしゃった。「天命が分からなければ君子にはなれない。
礼儀が分からなければ、世に立っていけない。人の言葉が聞き分けられなければ、真に人の善悪を見分けることはできない」

孔子曰く、命を知らざれば、以て君子たること無きなり。
礼を知らざれば、以て立つこと無きなり。
言を知らざれば、以て人を知ること無きなり。

堯曰第二十-5
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)P130
第5章 「知」と「学」が日本を救う
原文:子夏曰、博学而篤志、切問而近思、仁在其中矣
現代語訳:子夏が言った。「広く学んで、志をしっかりと定め、
疑問に突き当たったら機を逸せず人に教えを請い、現実の問題をじっくり考えれば、仁徳はそこに生まれる」

子夏が曰く、博く学びて篤く志し、切に問いて近く思う、仁其の中(うち)に在り。

子張第十九-6
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)P120
第5章 「知」と「学」が日本を救う
原文:子曰、我三人行、必得我師焉、擇其善者而從之、其不善者改之
現代語訳:孔子がおっしゃった。「三人が連れだって行けば、必ず手本となる先生がいるものだ。
その中に長所があれば積極的に学び、欠点があれば戒めとしてそれを改めるようにしている」

子の曰わく、我れ三人行なえば必ず我が師を得る。
其の善き者を択びてこれに従う。其の善からざる者にして、これを改む。

述而第七-21
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)P114
第5章 「知」と「学」が日本を救う
原文:子曰、知者不惑、仁者不憂、勇者不懼
現代語訳:孔子がおっしゃった。「聡明な人は少しも惑わず、仁徳のある人は憂いも心配なく、勇敢な人は恐れることはない」

子曰く、知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼(おそ)れず。

子罕第九-107
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)P107
第4章 人と人を結びつける「信」と「義」
原文:子曰、非其鬼而祭之、諂也、見義不為、無勇也
現代語訳:孔子がおっしゃった。
「自分が祭るべき先祖でもないのに、それを祭るのは単なるへつらいにすぎない。当然行うべきことと知りながら、それを実行しないのは勇気がないからだ」

子曰わく、其の鬼に非ずしてこれを祭るは、諂いなり。義を見て為ざるは勇なきなり。

為政第二-24
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)P92
第4章 人と人を結びつける「信」と「義」
原文:子貢問政、子曰、足食足兵、民信之矣、子貢曰、必不得已而去、於斯三者、何先、曰去兵、
曰必不得已而去、於斯二者、何先、曰去食、自古皆有死、民無信不立
現代語訳:子貢が政治について尋ねた。孔子が言われた。「食料を豊富にし、軍備を充実させ、人民の信用を得ることである。」
子貢言った。「もしどうしてもやむを得ない事情でこの三つのうちひとつを省くとしたら、どれを真っ先にとりますか。」孔子が言った。「軍備だね」。
「もしどうしてもやむを得ない事情で、残った二つのうちさらにひとつを省くとしたら、どれにしますか?」。
孔子が言われた。「食糧だね。どんな人間でも昔からいつかは死ぬとされているが、人民が信用しなくなったら国は成り立たないよ」

子貢、政を問う。子の曰く、食を足し兵を足し、民をしてこれを信ぜしむ。
子貢が曰く、
必ず已(や)むを得ずして去らば、斯の三者に於て何(いず)れをか先きにせん。
曰く、兵を去らん。
曰く、必ず已むを得ずして去らば、斯の二者に於て何ずれをか先きにせん。
曰く、食を去らん。古(いにしえ)より皆死あり、民は信なくんば立たず。

顔淵第十二-7
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)P85
第3章 自己を完成する「仁」の道
原文:子曰、知者楽水、仁者楽山、知者動、仁者静、知者楽、仁者寿
現代語訳:孔子がおっしゃった。「聡明な人は水を愛し、仁徳のある人は山を愛す。
聡明な人は動を好み、仁徳のある人は静を好む。聡明な人は楽しみ、仁徳のある人は長命である」

子曰く、知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。
知者は動き、仁者は静かなり。知者は楽しみ、仁者は寿(いのちなが)し。

擁也第六-23
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)P77
第3章 自己を完成する「仁」の道
原文:子曰、惟仁者能好人、能悪人
現代語訳:孔子がおっしゃった。「仁徳のある人だけが、本当に人を愛したり、人を憎んだりすることができる」

子曰く、惟(ただ)仁者のみ能(よ)く人を好み、能く人を悪(にく)む。

里仁第四-3
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)P75
第3章 自己を完成する「仁」の道
原文:子曰、不仁者不可以久処約、不可以長処楽、仁者安仁、知者利仁
現代語訳:孔子がおっしゃった。「仁徳のない人は長く逆境に耐えることはできず、また、長く安楽を享受することもできない。仁徳のある人は、仁の道に安住し、聡明な人は仁の道をどこに施したらよいか分かっている」

子曰く、不仁者は以って久しく約に処(お)るべからず。
仁者は仁に安んじ、知者は仁を利とす。

里仁第四-2
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)P71
第3章 自己を完成する「仁」の道
原文:子曰、仁遠乎哉、我欲仁、斯仁至矣
現代語訳:孔子がおっしゃった。「仁徳は遠いところにあるものだろうか? 仁を求めようと決心を固めれば、仁はやってきているのだ」

子曰く、仁遠からんや。我仁を欲せば、斯(ここ)に仁至る。

述而第七-29
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)P68
第2章 偉大なる人間―孔子の素顔
原文:子曰、道不行、乗桴浮干海
現代語訳:理想の周の社会を作ろうとしたが、結局、だめだった。これからどうしようか。
そうだ、いかだに乗って川を下り海に出て、東の国でも目指そうか

子曰く、道行われず、桴(いかだ)に乗りて海に浮かばん。

公治長第五-7
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)P56