万葉集

  • 14件を表示
あなたとふたりで見たならば、どんなにか、この降る雪が嬉しかったことでしょう

わが背子と ふたり見ませば 幾ばくか
この降る雪の 嬉しからまし

巻8・一六五八
光明皇后 1

大宝元年(701年) - 天平宝字4年6月7日(760年7月27日))は、奈良時...


    - 銘無き石碑
千沼のほうから雨が降ってくるぞ。四八津の漁民は網を乾している。濡れてしまうのではないかなあ
天平六(七三四)年、難波行幸の際、聖武天皇の詔に応じた

千沼廻より雨ぞ降り来る四八津の海人
綱手乾したり濡れもあへむかも

巻6・九九九
守部王 1

舎人皇子の子で、淳仁天皇の兄。

持統天皇の吉野行幸に従った皇子が、京に留まっていた額田王に贈った歌
古に恋ふらむ鳥はほととぎす(恋額田王の返歌)

古に恋ふる鳥かもゆづるはの
み井の上より鳴きわたりゆく

巻2・一一一
弓削皇子 1

文武天皇3年7月21日(699年8月21日))は天武天皇の第9皇子(第6皇子とも...

泊瀬河 夕渡り来て 我妹児が
家の門に 近づきにけり

巻9・一七七五、柿本人麻呂歌集所出の一首
柿本人麻呂 5

斉明天皇6年(660年)頃 - 養老4年(720年)頃)は、飛鳥時代の歌人。

大和には 群山があるが、特に頼もしい天の香具山に登り立って国見するをすると、広い平野にはかまどの煙があちこちから立ち上っている。
広い水面にはかもめが盛んに飛び立っている。
ほんとうに良い国だね(あきづ島)この大和の国は

大和には 群山あれど とりよろふ
天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は
煙立ち立つ 海原は かまめ立ち立つ うまし国そ
あきづ島 大和の国は

巻1・二
舒明天皇 1

推古天皇元年(593年)? - 舒明天皇13年10月9日(641年11月17日)...

晩年の悲喚の歌

世の中は 空しきものと 知る時し
いよよますます かなしかりけり

巻5・七九三
大伴家持 3

養老2年(718年)頃 - 延暦4年8月28日(785年10月5日))は奈良時代...

広告
ああ、なんてみっともない。立派な政治家を気取って、酒も飲まない、そんや奴の顔をよくよく見ると、お猿さんそっくりだ

あな醜賢しらをすと酒飲まぬ
人をよく見れば猿にかも似る

巻3・三四四
大伴家持 3

養老2年(718年)頃 - 延暦4年8月28日(785年10月5日))は奈良時代...


    これって旅人さんの歌ですよね? - りっちー
大君は神でいらっしゃるから天雲にとどろく雷神の上に廬りなさるのだ

大君は神にしませば天雲の
雷の上に廬りせるかも

巻3・二三五
柿本人麻呂 5

斉明天皇6年(660年)頃 - 養老4年(720年)頃)は、飛鳥時代の歌人。

春楊葛山発雲立座妹念
春柳を鬘にするという名の葛城山に立つ雲のように、立っていても座っていてもあの娘を恋しく思う

春柳 葛城山に 立つ雲の
立ちても居ても 妹をしそ思ふ

巻11・二四五三、人麻呂歌集
柿本人麻呂 5

斉明天皇6年(660年)頃 - 養老4年(720年)頃)は、飛鳥時代の歌人。

宇治川の網代木に漂う波は、どこへ消え去っていくのだろうか、ゆく方も知れないことよ

物のふの八十氏川の網代木に
いさよふ波のゆく方知らずも

柿本朝臣人麻呂、近江国より上り来る時に、宇治河の辺りに至りて作る歌
巻3・二六四
柿本人麻呂 5

斉明天皇6年(660年)頃 - 養老4年(720年)頃)は、飛鳥時代の歌人。

初恋そのものの本質を十全に表現し得た一首である。

たらちねの母が手離れかくばかり
すべなきことはいまだせなくに

巻11・二三六七
柿本人麻呂 5

斉明天皇6年(660年)頃 - 養老4年(720年)頃)は、飛鳥時代の歌人。

広告
朝寝の床でまどろんでいると、朝はやくから射水川を往来する舟人がうたう越の舟歌が、遥かに聞こえて来る

朝床に 聞けば遥けし 射水川
朝漕ぎしつつ 唄ふ舟人

巻19・四一五〇
大伴家持 3

養老2年(718年)頃 - 延暦4年8月28日(785年10月5日))は奈良時代...

混沌として自由。
この『万葉集』の体質は読者の気持ちが同じように自由でなければ正体を現さないから、
固定観念にこだわる人は『万葉集』の読者になれない。

AERA Mook 34『「万葉集」がわかる。』(朝日新聞社,1998)P7
中西進 1

1929年生まれ。大阪女子大学学長。

揺るぐとも、よもや抜けじの要石、鹿島の神のあらん限りは

AERA Mook 36『幕末学のみかた。』(朝日新聞社,1998)P143
要石 1

茨城県鹿嶋市の鹿島神宮と千葉県香取市の香取神宮にあり、地震を鎮めているとされる、...