万葉集
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わが背子と ふたり見ませば 幾ばくか
この降る雪の 嬉しからまし
大宝元年(701年) - 天平宝字4年6月7日(760年7月27日))は、奈良時...
天平六(七三四)年、難波行幸の際、聖武天皇の詔に応じた
千沼廻より雨ぞ降り来る四八津の海人
綱手乾したり濡れもあへむかも
舎人皇子の子で、淳仁天皇の兄。
古に恋ふらむ鳥はほととぎす(恋額田王の返歌)
古に恋ふる鳥かもゆづるはの
み井の上より鳴きわたりゆく
文武天皇3年7月21日(699年8月21日))は天武天皇の第9皇子(第6皇子とも...
泊瀬河 夕渡り来て 我妹児が
家の門に 近づきにけり
斉明天皇6年(660年)頃 - 養老4年(720年)頃)は、飛鳥時代の歌人。
広い水面にはかもめが盛んに飛び立っている。
ほんとうに良い国だね(あきづ島)この大和の国は
大和には 群山あれど とりよろふ
天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は
煙立ち立つ 海原は かまめ立ち立つ うまし国そ
あきづ島 大和の国は
推古天皇元年(593年)? - 舒明天皇13年10月9日(641年11月17日)...
世の中は 空しきものと 知る時し
いよよますます かなしかりけり
養老2年(718年)頃 - 延暦4年8月28日(785年10月5日))は奈良時代...
あな醜賢しらをすと酒飲まぬ
人をよく見れば猿にかも似る
養老2年(718年)頃 - 延暦4年8月28日(785年10月5日))は奈良時代...
大君は神にしませば天雲の
雷の上に廬りせるかも
斉明天皇6年(660年)頃 - 養老4年(720年)頃)は、飛鳥時代の歌人。
春柳を鬘にするという名の葛城山に立つ雲のように、立っていても座っていてもあの娘を恋しく思う
春柳 葛城山に 立つ雲の
立ちても居ても 妹をしそ思ふ
斉明天皇6年(660年)頃 - 養老4年(720年)頃)は、飛鳥時代の歌人。
物のふの八十氏川の網代木に
いさよふ波のゆく方知らずも
巻3・二六四
斉明天皇6年(660年)頃 - 養老4年(720年)頃)は、飛鳥時代の歌人。
たらちねの母が手離れかくばかり
すべなきことはいまだせなくに
斉明天皇6年(660年)頃 - 養老4年(720年)頃)は、飛鳥時代の歌人。
朝床に 聞けば遥けし 射水川
朝漕ぎしつつ 唄ふ舟人
養老2年(718年)頃 - 延暦4年8月28日(785年10月5日))は奈良時代...
混沌として自由。
この『万葉集』の体質は読者の気持ちが同じように自由でなければ正体を現さないから、
固定観念にこだわる人は『万葉集』の読者になれない。
1929年生まれ。大阪女子大学学長。
揺るぐとも、よもや抜けじの要石、鹿島の神のあらん限りは
茨城県鹿嶋市の鹿島神宮と千葉県香取市の香取神宮にあり、地震を鎮めているとされる、...