仏教:仏門:仏
道は無窮なり、さとりても猶行道すべし(仏道修行に終わりはなく、悟りを得たとしてもさらに修行すべきである)。
語録集『正法眼蔵随聞記』より
道元
5
鎌倉時代の禅僧 日本の仏教宗派・曹洞宗の開祖
身体で、言葉で、心のなかで、
たとえ僅かなりとも悪い行為をしたのなら、
それを隠すことは出来ない。
隠すことが出来ないということを、
究極の境地を見た人は説いた。
この優れた宝が存在する。
この真理によって安らかな心であれ
原始仏典「スッタニパータ」より
サイの角のように、ただひとり歩め
貪りと怒りと愚かさを捨て、諸々のしがらみを断ち、命が尽きるのを恐れず、犀(サイ)の角のように、ただひとり歩め。
ひとのいのちみじかくもろし
我が心鏡にうつるものならばさぞや姿のみにくかるらん
法然(源空)
7
鎌倉時代の浄土宗開祖
『如来』と申すは諸仏を申すなり。
『一念多念証文』
親鸞:俺の言うことを何でも聞くと言うんなら、人を殺してみろ
唯円:いや、自分にはそういう器量はない。人ひとりだに殺せない
唯円:いや、自分にはそういう器量はない。人ひとりだに殺せない
そうだろう、人間というのは契機がなければ一人の人だって殺せないのだ。
しかし、契機があれば百人、千人、殺したくないと思っていても殺すこともあるんだよ
AERA Mook 49『親鸞がわかる。』(朝日新聞社,1999)P172
薬があるからといって、毒を好んではならない
AERA Mook 49『親鸞がわかる。』(朝日新聞社,1999)P156
「宗教は主観的事実なり」
私どもは神仏が存在するが故に神仏を信じるのではない。
私どもが神仏を信ずるが故に、私どもに対して神仏が存在するのである
AERA Mook 49『親鸞がわかる。』(朝日新聞社,1999)P143
生者が中心であるとき、死者はいつも永遠の彼方に旅立つ人なのであった。
AERA Mook 49『親鸞がわかる。』(朝日新聞社,1999)P132
親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏もうしたること、いまだそうらわず
AERA Mook 49『親鸞がわかる。』(朝日新聞社,1999)P132
『歎異抄』
さるべき業縁のもよほせば、いかなるふるまひもすべし
AERA Mook 49『親鸞がわかる。』(朝日新聞社,1999)P113
「業縁」に注目してほしい。 - とら
『歎異抄』
善人なおもて往生をとぐ。いはんや悪人をや
AERA Mook 49『親鸞がわかる。』(朝日新聞社,1999)P45
己が悪人であると自覚する人間こそが
往生(極楽往生)にふさわしい - 虚
『歎異抄』
たとひ法然聖人にすかされまひらせて、念仏して地獄におちたりとも、
さらに後悔すべからずさふらう
AERA Mook 49『親鸞がわかる。』(朝日新聞社,1999)P41
悪性さらにやめがたし こゝろは蛇蝎のごとくなり
AERA Mook 49『親鸞がわかる。』(朝日新聞社,1999)P41
『改邪鈔』
某 親鸞閉眼せば、賀茂河にいれて魚にあたうべし
AERA Mook 49『親鸞がわかる。』(朝日新聞社,1999)P37
親鸞が法然の下に赴く契機となった夢告。
行者、宿報にてたとい女犯すとも、われ玉女の身となりて犯せられん。
一生の間よく荘厳し、臨終に引導して極楽に生ぜしめん
AERA Mook 49『親鸞がわかる。』(朝日新聞社,1999)P32
非人を差別する者こそ、真の意味での非人である
AERA Mook 49『親鸞がわかる。』(朝日新聞社,1999)P32
どのような悪人でも念仏だけで往生できる
AERA Mook 49『親鸞がわかる。』(朝日新聞社,1999)P30
85歳時の言葉
無明煩悩われらが身にみちみちて、欲も多く、怒り腹立ちそねみねたむ心多く、
臨終の一念に至るまで止まらず消えず絶えず
AERA Mook 49『親鸞がわかる。』(朝日新聞社,1999)P25
なごりをしくおもへども、娑婆の縁つきて、
ちからなくしてをはるときに、かの土へはまいるべきなり
AERA Mook 49『親鸞がわかる。』(朝日新聞社,1999)P21
真実の信心は如来からたまわったものであるから、その信を得たとき如来によって浄土往生が定まった正定聚たらしめられる。
それゆえ臨終や来迎を待って救われるのではなく、現生すなわち今ここに生きて存在するままに救われている
それゆえ臨終や来迎を待って救われるのではなく、現生すなわち今ここに生きて存在するままに救われている
真実信心の行人は、接取不捨のゆへに正定聚のくらゐに住す。
このゆへに臨終まつことなし、来迎たのむことなし
AERA Mook 49『親鸞がわかる。』(朝日新聞社,1999)P21
なごりをしく思へども、娑婆の縁つきて力なくしてをはるときにかの土へは参るべきなり
AERA Mook 49『親鸞がわかる。』(朝日新聞社,1999)P17
人は自分の行為の真の理由も、結果も知りえないのだから、現実の場面での結果を保証する選択を見いだすことはない。
善悪の二つ惣じてもて存知せざるなり。
そのゆゑは、
如来の御こころによしとおぼしめすほどにしりとほしたらばこそ、よきをしりたるにてもあめれ
AERA Mook 49『親鸞がわかる。』(朝日新聞社,1999)P17
人はどんな生まれであろうとも、どんな境遇にあっても、男女、人種の区別なく
釈尊のように悟りを得ることが出来る
『仏教と性差別』(東京書籍)より。
田上太秀
1
駒澤大学