釈迦 23

紀元前5世紀ごろの北インドの人物で、仏教の開祖である。...-ウィキペディア

  • 23件を表示

みずから自己の灯火となれ、みずから自己の保護所となれ。
他人に保護を求めるべからず。法を灯火とし、法を保護とし、
他のものに依存すべからず。

「説話」より

    それを妨げる強烈な神が私の心には住んでてね辛くて自分の大切なありどころにも行けないんだ - ゆう

人間がほかの動物より上に立つゆえんは、
われわれが冷酷に動物を苦しめ得るからにあらず、
彼らを憐れむが故なり。

「説話」より

    動物も虫も人より下だなんて思ってない 下等生物って言葉は嫌いだし人間の傲慢だね - ゆう

悩める人々の間にありて悩みなく、いと愉しく生きん。悩める人々の間にありて、悩みなく暮らさん

「スッタニバーター」より

汝の瞳を欺瞞の世界よりそらせ。しかして自己の感情に心をおくなかれ。
彼らは嘘つきなり。汝自身の裡に個を絶やした汝自身の内部に永遠の人を探し求めよ。

「説話」より

    その通り感情は些細なことでも無限に凶悪な言葉や行動や考えを起こすだからこれを正しいと信じて何十年も下らない悪い思想にはまって生きてきた人間を何人も見てきたよ - ゆう

    嘘つきの計略に騙されて、会社で疲弊しきってしまい、人生は望みが叶わないと諦めかけてしまってたかも。 - 銘無き石碑

快楽より悲しみが起こり、快楽より怖れが起こる。快楽より解脱したる人間にとりては、もはや悲しみも怖れもなし

「説話」より

恥ずべきことに無恥があり、なんでもなきことに恥じている人間は、
他人の虚像の思想にかぶれている人間なり

「説話」より
広告

雨期にはここに住まん、夏期にはかしこに居を定めん。

「説話」より

地上の王座より輝かしく、昇天より美しく、世界の支配よりすばらしきもの、
それは、解脱の最初の段階の持つところの法悦なり。

「説話」より

    心から嬉しいことは2つある自分の大切なものが無事で安心したとき もうひとつは物事の真理を知ったときそれは分かる - ゆう

敵意によって敵意は施すにあらず、
友愛によってのみ敵意は施す

「説話」より

愛欲の人は、たいまつをとりて風に逆らいいくがごとく、
必ず手を焼くの患いあり

「説話」より

生ある者はすべて苦を怖る。生ある者はすべて死を怖れる

「説話」より
広告

頭髪が白くなったからとて、尊敬できる長老ではない。
ただのむなしい老いぼれである。
真理あり、他者の害にならず、自ら清め、慈しみあって、
そうしてはじめて、彼は心の垢を取り除いた賢者となり、
年長者として尊敬される。

ダンマパダの意訳。

    お釈迦さんはズケズケ真理を言いますよね - 銘無き石碑

沈黙しても批判され、
多く語っても批判され、
少し語っても批判される。
この世に批判されない者はない。

法句経より

過去を追うな。
未来を願うな。
過去はすでに捨てられた。
未来はまだやって来ない。
だから現在のことがらを、
現在においてよく観察し、
揺らぐことなくどうずることなく、
よく見きわめて実践すべし。
ただ今日なすべきことを熱心になせ。
誰か明日の死のあることを知らん。

仏教

    自分が生涯をかけてやりたいことが無いのか? - 銘無き石碑

    やりたいことがなくても、そのうち見つかるから、このままでいいじゃないか。 - 銘無き石碑

    やりたいと少しでも思ったことは、すべてやってみるべきだ。できる範囲で。できる限り早めに。そうしなかったら、やりたいことは到底見つからないだろうから。 - 銘無き石碑

    今、この瞬間だけが自由であることを忘れないようにしています。
    あーしたらよかったと過去にとらわれること、今後上手くいくだろうかと未来を不安に思うこと。
    これって、とても不自由。
    喉が渇いたからお茶を飲む。トイレに行く。みんなに笑顔で接する。
    これって全部今のこと。そして、とっても自由。 - 銘無き石碑

    過去も未来も意味がない
    今を日々笑いながら生きなさい
    live your live
    ずっと変わらず輝くあなたを見ていたい
    byシーズザデイ
    - リョーザスカイウォーカー

仕えるに値する者にのみ仕えるがよい。

純陀(チュンダ)

私が今まで受けた布施の中で、
チュンダが精一杯に出してくれたご馳走ほど素晴らしいものはなかった

瀬戸内寂聴『痛快!寂聴仏教塾』(集英インターナショナル,2000)P49
阿難(アーナンダ)に遺した遺言

お前たちは自分たちを明かりとしなさい。
人をよりどころにするな。仏法をよりどころにして、他を頼るな

瀬戸内寂聴『痛快!寂聴仏教塾』(集英インターナショナル,2000)P49
「毒矢のたとえ」より

なあ、マールンクヤよ。
お前の言うとおり、大事なのは毒の正体がどんなものであるかを知ることではない。
まず毒矢を抜いて、苦しみを取り除くことのほうが先決というものだ。
お前も、死後の世界などという問題にこだわっている場合ではあるまい。
それよりも大事なのは、今の苦しみをどうやって克服すべきかということだ。
今すべきことをせずに、いくら考えても分からないことを考えるのはやめなさい

瀬戸内寂聴『痛快!寂聴仏教塾』(集英インターナショナル,2000)P185

    確かに自分の信じる論を並べた無神論者も神を信じる者もただ強引に自分の考えを語ってるに過ぎなかった 死んでみないと分からないからね - ゆう
何かトラブルが起きたときに、
「あいつが、ああいうことをやったからだ」「あいつが、ああいうことをやらなかったからだ」
と、絶対に考えてはならない。
「自分が何をしたか、自分が何をしなかったか」だけを考えよ

他の作と不作を見るなかれ。己の作と不作のみを見よ

法句経第五十偈

生まれを問うな、行為を問え

サイの角のように、ただひとり歩め

貪りと怒りと愚かさを捨て、諸々のしがらみを断ち、命が尽きるのを恐れず、犀(サイ)の角のように、ただひとり歩め。

身体で、言葉で、心のなかで、
たとえ僅かなりとも悪い行為をしたのなら、
それを隠すことは出来ない。
隠すことが出来ないということを、
究極の境地を見た人は説いた。
この優れた宝が存在する。
この真理によって安らかな心であれ

原始仏典「スッタニパータ」より

昔は欲望、飢え、老い、という三つの病いがあるだけだった。
だが諸々の家畜を祭祀のために殺したので九十八種の病いが起こった。