「毒矢のたとえ」より

なあ、マールンクヤよ。
お前の言うとおり、大事なのは毒の正体がどんなものであるかを知ることではない。
まず毒矢を抜いて、苦しみを取り除くことのほうが先決というものだ。
お前も、死後の世界などという問題にこだわっている場合ではあるまい。
それよりも大事なのは、今の苦しみをどうやって克服すべきかということだ。
今すべきことをせずに、いくら考えても分からないことを考えるのはやめなさい

瀬戸内寂聴『痛快!寂聴仏教塾』(集英インターナショナル,2000)P185
釈迦

釈迦 23

紀元前5世紀ごろの北インドの人物で、仏教の開祖である。...-ウィキペディア


寄せられたコメント(1)


    確かに自分の信じる論を並べた無神論者も神を信じる者もただ強引に自分の考えを語ってるに過ぎなかった 死んでみないと分からないからね - ゆう

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