格言
有尾人は生まれつき尻尾の数が決まっている。
尻尾に頼って偉くなろうとしたり強くなろうとしたりしてはならんのだ!!
大切なのは、己を鍛え、自ら強くなることなのだ!!
第50話にて、ジャシンカ帝国を構成する存在である「有尾人(ゆうびじん)」の一族の象徴である尻尾の数に拘り続けた帝王アトンに対して言い放った一言
メギド
1
『科学戦隊ダイナマン』に登場する敵組織「ジャシンカ帝国」の首領である、帝王アトン...
『知識』が無ければ、『知性』は育たない。
リチャード・コシミズ
12
ネットジャーナリスト、著作家
Афоризмы — едва ли не лучшая форма для изложения философских суждений.
格言は、倫理的義務を説くのに最良のものであろう。
レフ・トルストイ
161
帝政ロシアの小説家、思想家で、フョードル・ドストエフスキー、イワン・ツルゲーネフ...-ウィキペディア
棺を蓋いて事定まる
悪い天気というものはない、服が悪いだけだ。
偉大な人間の誠意でさえ、そのまわりに悪人を一人か二人必要とする。
著書『人さまざま』より
ジャン・ド・ラ・ブリュイエール
63
フランスのモラリストであり作家である。 17世紀のフランスの宮廷人たちを描き、...-ウィキペディア
私には、残念ながら日本の人文科学は、
伝統的学問の甚だ忠実な伝承学にすぎなかったように思われる。
日本的な研究者ムラ社会では、
長い間信じられてきた通説を根本的に懐疑することが難しかった。
日本の学界は、権威者が説こうが大ボスが語ろうが、
間違っていれば間違っていると断言する根本的な懐疑の精神に欠けているようである。
梅原猛
4
(1925~) 日本の哲学者。 国際日本文化研究センター初代所長。
結婚できない原因は、
仕事が忙しすぎてとか、出会いがないとか以前に、
女の子が相手に求める条件が高すぎるという問題があるからだ。
楊逸
1
1964年、ハルビン生まれ。 女流作家。 日本大学芸術学部文芸学科講師。 ...
逆に結婚できている女の場合、男の安売りがほとんど - 銘無き石碑
それもありえない位に。 - 銘無き石碑
生きがいを持てないのに、
働きがいを持てるはずがない。
生きがいの研究を始めないと話にならん。
飯田史彦
1
(1962~) 日本の経営学者。 元福島大学教授。
愚民を支配するにはとても道理を以て悟すべき方便なければ唯威を以て畏すのみ
西洋の諺に 愚民の上に苛き政府あり とはこの事なり
これは政府の苛きにあらず 愚民の自ずから招く災なり
現代語訳――
愚民を支配するには、
とても道理をもって悟らせるなど不可能なので、
ただ威圧して恐れさせる。
西洋のことわざ「愚民の上に厳しい政府あり」とはこのことである。
これは政府がそうしたのではなく、
愚民がそうした政府を許しているからだよ。
愚民を支配するには、
とても道理をもって悟らせるなど不可能なので、
ただ威圧して恐れさせる。
西洋のことわざ「愚民の上に厳しい政府あり」とはこのことである。
これは政府がそうしたのではなく、
愚民がそうした政府を許しているからだよ。
「勝ち組」を「勝ち組」にならしめる最大の要因は、
本人の努力よりも「運」であると考えています。
三橋貴明
3
(1969~) 日本の経済評論家。 中小企業診断士。 国家ビジョン研究会経...
希望がなけりゃ、生きてても楽しくない。
大田尭
4
(1918年~) 日本の教育学者。東京大学名誉教授。 戦時中、大学院在学中に...
芸術は蓄積された労働に比例して評価が上がるものではありません。
弟さんは、ぼくらにいろいろ説明してくれました。
木彫とか、金彫とかいろいろありますけど、
そういう作品を突き詰めていくと、
結局何も彫らないのがいちばんいい、
ということになる、とおっしゃるんです。
金属彫刻の大家というのは、やっぱりすごいんだなと感じました。
弟さんとは、高村光太郎の弟のこと。鋳金家。
芸術とは、ある意味で善悪を超えたところで咲く「花」である。
もし、知識を、「ほんとうの知識」として獲得できるとすれば、
知識を獲得することが同時に反知識、非知識、
あるいは不知識というものを包括していくことなんです。
自分の時間をこま切れにされていたら、
人は何ものにもなることができません。
ひきこもって、何かを考えて、そこで得たものというのは、
「価値」という概念にぴたりと当てはまります。
価値というものはそこでしか増殖しません。
帰するところ、最も重要なことは何かといったら、
自分と、自分が理想と考えてる自分との、その間の問答です。
『外』じゃないですよ。
つまり、人とのコミュニケーションじゃないんです。
自分と、自分が理想と考えるもの、
そことの内的な問答がいちばん大切なんです。
百歩譲って、ペーパー一発勝負というスタイルが変えられないにしても、
数学でも物理でも、あるいは国語にしても社会にしても、
「答えの出ない難問」に向かわせて、
知的苦闘の痕跡で能力資質を判断するような問題は可能だと思うのです。
先生だったら先生が、親なら親が、
「自分が子どものときにどうだったか」
を忘れてるんじゃないか。
子どもに、「いけないよ」と言う人が、
「自分がそうだったときに、どうだったか」
ちょっとでも考えてみればいいじゃないか。
「その学生が、明らかにその大学に入学することで、
他の受験生の中で専門分野での研究や社会貢献に向かって
能力を開花させる潜在能力がある」
ということの
「その学生個人の資質、見識、意欲」などを見る部分が全くない入試というのは、
人材選抜の方法として実に非効率だと思うのです。
例えば、
採用に失敗したら最悪の場合業績の悪化に直面する民間企業が、
そんな「粗っぽい選抜」はやっていない
ということを考えれば明白だと思います。
今回の事件は一つの事実を暴露したように思います。
それは、入試というものが
「個性や潜在能力」を測定するということは全くやっていないという事実であり、
にも関わらずまるで前近代の科挙試験のように
「一発の入試が人生を決める」という
バカバカしさを捨てられないでいるという点です。
『今回の事件』とは
京大入試不正事件
京大入試不正事件
スポーツは遊びであってこそ面白い。
田中優子
3
(1952年~) 法政大学教授。