吉本隆明 78

1924年11月25日 - 2012年3月16日
日本の詩人、評論家。東京工業大学電気化学科卒業。学位は学士。東京工業大学世界文明センター特任教授(講義はビデオ出演のみ)。 「隆明」を音読みして「りゅうめい」と読まれることも多い(有職読み)。漫画家のハルノ宵子は長女。作家のよしもとばななは次女。...-ウィキペディア

生愛は論じるものではなく、するものだ

AERA Mook 51『恋愛学がわかる。』(朝日新聞社,1999)P148

言葉の幹と根は、沈黙である。

どんなに社会的な制度が変わろうと、いくら痒くても背中はかきづらい。

わからないのに、わかっているように言うことを、
とにかく警戒すればいいんじゃないですか。 

『悪人正機』

時代が変わると左翼が右翼になり、右翼が左翼になる。
ボタンを付け替えるように、簡単に変わっちゃう。

『私の「戦争論」』

「資本論」と「窓際のトットちゃん」とを同じ水準で、まったくおなじ文体と言語で論ずべきだ。

『重層的な非決定へ』
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詩は書くことがいっぱいあるから書くんじゃない。
書くこと、感じることなんにもないからこそ書くんだ。

『「さよなら」の椅子』

サルトルのように「戦争」をえらぼうともおもわないしまた「平和」をえらぼうともおもわない。
ただ「未知」をえらぶだけだ。

『日本のナショナリズム』

ぼくの孤独はとんど極限に耐えられる ぼくの肉体はほとんど苛酷に耐えられる
ぼくがたおれたらひとつの直接性がたおれる もたれあうことをきらった反抗がたおれる

『ちいさな群への挨拶』

おそらく、近代日本の社会にあって、もっともおそろしい思想的な力となっているのは、
社会的な関係や、社会の構造物がそのまま、
自然物のような強固な秩序として認識されるということであろう。

『高村光太郎の世界』

市井に生まれ、そだち、生活し、老いて死ぬといった生涯をくりかえした無数の人物は、
千年に一度しかこの世にあらわれない人物の価値とまったく同じである。

『カール・マルクス』
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本当に偉い人は、千年、百年単位の人ではなく、
もっと向こう側に無名の領域があって、そこへ行けた人が本当に偉いのだ。

『人生とは何か』

相手の弱みをにぎったとおもったときが、
じつはいちばん隙ができる機会で、危ないときである。

『重層的な非決定へ』

左翼とは何かを探しつつあるものだけが左翼なのだ。

『ハイ・イメージ論』

いいことを照れもせずにいう奴は、みんな疑ったほうがいいぞ。

『遺書』

    Gackt - 義援金詐欺

    ひねくれた人の発想ですね。 - 銘無き石碑

原子力発電の安全性の問題はまず何よりも技術の問題であり、
技術の問題を解決するのは
まず何よりも「技術的」にその問題点を乗り超える技術の問題なのだ、
というのが原発問題を太く貫く第一義の大道なのだ。

『状況としての画像』

国家は幻想である。風俗や宗教や法もまた共同の幻想である。

『共同幻想論』

    この混迷した社会に生きる我々は、先を見通せぬ不安から、自らが作り出した「幻想」の呪縛に囚われがちであると言ってよいだろう。
    「恐怖すべき者、総て之を神に帰す。神とは怯懦の異名なり」
    (幸徳秋水)
    「霊(そんなもの)は無い」
    (漫画『爺さんと僕の事件帖』) - 名言録

芸術とはある意味で善悪を超えたところで咲く「花」である。
悪、反道徳、脱道徳これらをすべて包摂することなしに、芸術が開花することはありえない。

『重層的な非決定へ』

ひとは、いつも論理自体によってうごかされることはない。
ただ未知の領域にあくなき論理によって肉迫しようとする思想にうごかされるのだ。

『埴谷雄高』

人は他者によって作られたじぶんに責任を負わなければならない。

『世界認識の方法』

国家というのは宗教の最後のかたちです。

 『「ならずもの国家」異論』

詩とはなにか。
それは現実の社会で口に出せば全世界を凍らせるかもしれないほんとのことを、
かくという行為で口に出すことである

『詩とはなにか』

激動のときにじぶんがこうかんがえているとできるかぎり率直に公開しよう。
それはじぶんの身ひとつで、吹きっさらしのなかに立つような孤独な感じだが、
誤謬も何もおそれずに公言しよう

『大情況論』

情況とは何かを知るために、わたしたちは言葉を必要としていない。
きみが情況であり、わたしが情況であり、
しかもわたしたちはことごとく追いまくられているわけだ。

『情況における詩』

ぼくはきみたちの標本箱のなかで死ぬわけにはいかない

『その秋のために』