冷泉彰彦 7

生 1959年6月22日
アメリカ合衆国の教員、作家、 翻訳家、鉄道評論家。東京大学文学部卒業。コロンビア大学修士課程修了。プリンストン日本語学校高等部主任。本名、前田文夫。...-ウィキペディア

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今回の事件は一つの事実を暴露したように思います。
それは、入試というものが
「個性や潜在能力」を測定するということは全くやっていないという事実であり、
にも関わらずまるで前近代の科挙試験のように
「一発の入試が人生を決める」という
バカバカしさを捨てられないでいるという点です。

『今回の事件』とは
京大入試不正事件

「多くの人間の知恵を集めれば簡単に解けてしまう問題」を、
受験生個人の記憶力を「純粋に」測定するために、
密室で厳格な監視下に置き、
辞書や電卓の使用を禁止して解かせる、
その全体に問題があるのです。

「その学生が、明らかにその大学に入学することで、
他の受験生の中で専門分野での研究や社会貢献に向かって
能力を開花させる潜在能力がある」
ということの
「その学生個人の資質、見識、意欲」などを見る部分が全くない入試というのは、
人材選抜の方法として実に非効率だと思うのです。
例えば、
採用に失敗したら最悪の場合業績の悪化に直面する民間企業が、
そんな「粗っぽい選抜」はやっていない
ということを考えれば明白だと思います。

例えば「高校の教育課程を超えた部分で明らかな才能」を持っている人間が
全く評価されないというのもナンセンスな話です。
芥川賞級の純文学小説が書けても、
簿記・会計学・税制を理解してインターンさえやれば
公認会計士になれる実力があっても、
代替エネルギー開発のある分野で重要な発見をしていても、
入試では全く役に立ちません。
反対に、その大学に真剣に来る気のない、
「冷やかし受験」でも「受験テクニック」があればいくらでも合格が可能ですし、
入学後に非人道的なことをやってしまう種類の学生でも通ってしまうでしょう。

百歩譲って、ペーパー一発勝負というスタイルが変えられないにしても、
数学でも物理でも、あるいは国語にしても社会にしても、
「答えの出ない難問」に向かわせて、
知的苦闘の痕跡で能力資質を判断するような問題は可能だと思うのです。

「面接などの主観的な判断」とか
「小論文で一字でもオーバーしたらダメ」とか
「習っていないはずの公式を使うのはルール違反」などという
腐敗した官僚主義のようなカルチャーも
一緒に葬らないといけないと思います。

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いいかげんに「入試イコール基礎能力判定の試験」といった権威付けはやめて、
各大学が文系も含めて「入るのは簡単だが出るのは難しい」という制度に改め、
その上で「ちゃんと卒業できそうな人材を選別する合理的な入試」へと
シフトすべきだと思います。
大学の国際競争力ということから考えると、もう余り時間は残っていません。
昨年あたりから東大が高校生向けの説明会を始めましたが、
合格者の海外流出を懸念する危機感は良いのですが、
本当に危機感を持っているのなら
入試と学部教育の改革スピードを上げるべきだと思います。