梅原猛 4

(1925~) 日本の哲学者。 国際日本文化研究センター初代所長。

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戦後の日本の哲学者の多くは
自己の哲学を樹立しようという心は抱かず、
西洋哲学者の哲学をもっぱら研究した。
それは哲学研究者、あるいは哲学史家ではあっても、
ソクラテス的意味のひたすら真理を求める哲学者とはいえない。

哲学とはやはり、自己の頭で、
人生とは何か、世界とは何かを考え、
それを体系化することである。

日本は恥を失った社会ではないかと思う。
国のためとは称するものの、
実はもっぱら自己の権力欲や金銭欲のために行動し、
法にさえ触れなければ潔白だとして恥じることのない有力政治家がいる。
また原子力の安全確保に関する組織の責任者でありながら、
国家、国民のことを考えず、もっぱら電力会社の意向に従って行動し、
しかもまったく責任をとらずに恥じることのない著名な学者もいる。
そしてまた、作品を売ることすなわち金を稼ぐことばかりに奔走し、
自己の芸術観の安易さを反省しない大画家などもいた。
恥を忘れることによって、
日本は自律的な道徳心を失った国家になったのではなかろうか。
この忘れものを取り戻すことは容易ではない。
しかしそれを取り戻さないかぎり、
日本は亡国への道を進まざるを得ないと私は思う。

新聞紙のコラムにて

私には、残念ながら日本の人文科学は、
伝統的学問の甚だ忠実な伝承学にすぎなかったように思われる。
日本的な研究者ムラ社会では、
長い間信じられてきた通説を根本的に懐疑することが難しかった。
日本の学界は、権威者が説こうが大ボスが語ろうが、
間違っていれば間違っていると断言する根本的な懐疑の精神に欠けているようである。