仏教:仏門:仏
生まれを問うな、行為を問え
山には神が宿り、仏が住む
1931年5月11日 日本の宗教学者、評論家。
生きることと死ぬことは一つである
「死を見つめることによって初めて自分自身の生を充実させることができる」
生死一如
「あいつが、ああいうことをやったからだ」「あいつが、ああいうことをやらなかったからだ」
と、絶対に考えてはならない。
「自分が何をしたか、自分が何をしなかったか」だけを考えよ
他の作と不作を見るなかれ。己の作と不作のみを見よ
汝、早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ
鎌倉時代の日蓮宗宗祖
生きがいもなく、寝たきりになり、自分のことが自分でできなくなったら、
二十日以内になくなる
1930年生まれ。高齢問題ジャーナリスト。浄土宗僧都。
風貌の皺は防ぎようがないが、心の皺は自分の努力次第で伸ばすことができる
1930年生まれ。高齢問題ジャーナリスト。浄土宗僧都。
貧瞋痴のかたまりである依頼者の手先となって訴訟を起こし、
被告からカネや財産をふんだくろうとし、
また訴訟を起こされた被告の依頼により、カネや財産をふんだくられるまいとして
それに執着している被告の手先となって応訴することにより、メシを食っている商売、
それが弁護士なのである。
1930年10月29日 - 2002年1月22日)は宮城県出身の日本の弁護士(第...
死を看取るのは、だから、亡くなっていく人のためじゃない。
みんなが自分自身に持っている資質を育むことなのです。
1940年生まれ。栃木県立がんセンター緩和ケア担当主幹。
便利なほうに幸せを見つける考え方でなく、不便のほうに見つける考え方もあるんだ
1940年生まれ。栃木県立がんセンター緩和ケア担当主幹。
「臨機応変」というのが最大の教えで、
「自分の見識を磨いて、それを信じて行動すれば、何をやっても良い」
熱海市「医王寺」
宗教嫌いが出家する
1940年生まれ。1986年出家得度。転法輪山願行寺住職。
娑婆の世界はここのこと 極楽の世界もここのこと
ここは目の幕切りをいうこと ありがたいな ありがたいな
死を恐れ嫌う心情から 生と死を別物だとする考えが出てきます。
生きていることだけが いのち(生命)だと考えるのです。
1915年生まれ。妙好人研究家。東京本願寺院教授。
坂があったとしたとき、上から見れば下り坂ですが、下から見れば上り坂になります。
どちらの見方も間違いではありません。
立場により評価はさまざまですが、それぞれが本質そのものではありません。
1961年生まれ。(財)東方研究会研究員。
お前の念仏のすすめは間違っている。お前のすすめで一切衆生が成仏するのではない。
永遠の昔に阿弥陀仏の誓いの力ですべての成仏はすでに果たされている。
すると伴をつれた白装束の修験者に行きあった。
一遍が念仏札を授けようとすると、その行者は下記のように言い、札の受け取りを拒絶する。
いま一念の信心おこり侍らず、うけば妄語なり
今の世に、耳を傾ける人がいないなら、
百年、千年先の人に、仏正法の何であるかを書き残そうと思い立たれたのでした。
1921年生まれ。元東京女子大学教授。
浄土真宗に帰すれども 真実の心はありがたし
虚仮不実のわが身にて 清浄の心もさらなし
金剛の真心、これを『真実の信心』と名づく。真実の信心は必ず名号を具す。
名号は必ずしも願力の信心を具せざるなり。
このゆえに論主建めに『我一心』と言えり。また『如彼名義欲如実修行相応故』と言えり
全六巻からなる浄土真宗の根本聖典である。
(人間は)到達した真理を私物化しないではおれないのである。
1932年生まれ。在日朝鮮人二世。作家。
三界は虚妄にして但だ是れ一心の作なり
インドで伝えられてきた様々な経典が、3世紀頃に中央アジア(西域)でまとめられたも...
人間とは常に真理を追求し続けながら、同時にその真理の囚われになるのだ。
1932年生まれ。在日朝鮮人二世。作家。
よろこぶべきこころをおさえて、よろこばせざるは、煩悩の所為なり。
しかるに仏かねてしろしめして、煩悩具足の凡夫とおおせられたることなれば、
他力の悲願は、かくのごときわれらがためなりけりとしられて、
いよいよたのもしくおぼゆるなり
またいそぎ浄土へまいりたきこころのそうらわぬは、いかにとそうろうべきことにてそうろうやらん