裁判
人と人とのもめごとというのは、どちらにも道理はそれなりそれなりにあるものである。(だから、裁判というものは)とりあえず双方を比較して、道理の少ないものを「非」としているだけの事である。
『伊達家文書』より
あの世に着くと、この世の自称審判官たちから自由となり、
そこで本当の審判官――神々が見つかるというのなら、
死の旅をするだけの価値はありそうだ。
不当な判決で死に至った古代の英雄たちに会えるならとても興味深い。
実費で結構!
裁判費用について尋ねる佐々木よし江に対して、自己の哲学を述べたうえで
関口仁
1
第1審原告側・控訴審控訴人側弁護士、関口法律事務所所長
患者さんが命がけの信頼を僕にくれるのに
逃げ道を先に 自己弁護を先に出すと言うのは、卑怯な気がします
プロフェッショナル 仕事の流儀「言葉のチカラSP」(NHK)29:48
上山博康
4
職業:脳神経外科医
時間は夢を裏切らない、夢も時間を裏切ってはならない
プロジェクトX~挑戦者たち~『海底ロマン!深海6500mへの挑戦 ~潜水調査船・世界記録までの25年~』(NHKオンデマンド,2002)39:24
政権とってこそ、政党であり、政治家である。
- 小沢一郎
死刑の存廃は一国の文化水準を占う目安である
『死刑廃止論』
団藤重光
1
1913年11月8日生まれ。日本の法学者。
疑わしきときは被告人の利益に
刑事裁判の鉄則
一人の生命は地球より重い
日本国政府は10月1日に福田赳夫首相が、こう述べて、身代金600万ドルの支払い及び、超法規的措置として獄中メンバーなどの引き渡しを決断。
生命は尊貴である。一人の生命は、全地球よりも重い
最高裁判所1948年大法廷判決より。
法学を勉強すると人間が悪くなる。
借金の言い訳だけ上手で、悪人を上手に弁護して、
証拠不十分で無罪放免とすれば大手柄だとするのが法律家ですからな
AERA Mook 16『法律学がわかる。』(朝日新聞社,1996)P179
あおい輝彦「あんなことされて僕の一生はおしまいです」
他のメンバー
「何の事か知りません」
「覚えていません」 - ジャニー喜多川
法律家について
八百の嘘でごまかす三百屋
AERA Mook 16『法律学がわかる。』(朝日新聞社,1996)P179
同じ情報のコピーといっても、意味のコピーと表現のコピーがあることがわかる。
意味をコピーすることをその情報を使用するといい、
表現をコピーすることをその情報を複製するという。
AERA Mook 16『法律学がわかる。』(朝日新聞社,1996)P170
名和小太郎
1
1931年生まれ。工学博士。
人間は人間に対して人間である
AERA Mook 16『法律学がわかる。』(朝日新聞社,1996)P154
史料を読み仮説を立てまた史料を読んでその仮説を練り直す、
その繰り返しのうちに少しでもより確かな曇りのない歴史像を構築しようとすることが、
法制史研究者の日々の営みである。
AERA Mook 16『法律学がわかる。』(朝日新聞社,1996)P145
伊藤孝夫
1
1962年生まれ。京都大学法学部助教授。
東京都も都内の特別区も「地方」である。
AERA Mook 16『法律学がわかる。』(朝日新聞社,1996)P98
木佐茂男
1
1950生まれ。法学博士。
創造は伝統の継承から始まる
AERA Mook 16『法律学がわかる。』(朝日新聞社,1996)P27
奥島孝康
1
1939年生まれ。早稲田大学総長。
法律学は説得の学問です
AERA Mook 16『法律学がわかる。』(朝日新聞社,1996)P10
鎌田薫
1
1948年生まれ。早稲田大学法学部卒。
理想を失ってしまったのでは、人生おもしろくない。
AERA Mook 16『法律学がわかる。』(朝日新聞社,1996)P10
浦部法穂
1
1946年生まれ。東京大学法学部卒。
絶対的な真理と絶対的なウソがあってその黒白を決着させる、
というのは法(学)的思考ではない。
AERA Mook 16『法律学がわかる。』(朝日新聞社,1996)P6
樋口陽一
1
1934年生まれ。東北大学法学部卒。
ドイツの学者の言
法律の学問としての無価値性を論じて
法律の学問としての無価値性を論じて
立法者のひと声とともに紙屑となる
AERA Mook 16『法律学がわかる。』(朝日新聞社,1996)P6
法律学はバランスだ。
AERA Mook 16『法律学がわかる。』(朝日新聞社,1996)P1
- さくら
判決だけがすべてではない。
AERA Mook 49『親鸞がわかる。』(朝日新聞社,1999)P114
この世はもう六千年も生き延びているけれど、
当の本人が、すなわち恋故に死んだという判例は一つもありません。
『お気に召すまま』
ロザリンド
3
前公爵の娘
刑罰はたしかに必要である。
だがそれは生を否定する刑罰ではなく、生を肯定するものであるべきである。
その場合にだけ、刑罰は神の義の表象であることができよう
カール・バルト『教会教義学』
カール・バルト
1
1886年5月10日 - 1968年12月10日 20世紀のキリスト教神学に大き...