戦国武将
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何事もつくづくと物思いすな。
人と人とのもめごとというのは、どちらにも道理はそれなりそれなりにあるものである。(だから、裁判というものは)とりあえず双方を比較して、道理の少ないものを「非」としているだけの事である。
『伊達家文書』より
武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つことが本にて候。
『朝倉宗滴話記』に記載された宗滴の発言。
武士に弱い者はいない。もし弱い者がいれば、その人が悪いのではなく、大将が励まさない罪による。我が配下の武士は言うに及ばず。下部に至っても武功の無い者はいない。他の家にあって後れをとる武士があらば、我が方に来て仕えるがよい。見違えるような優れ者にしてやろう。
『常山紀談』に記録されている、道雪の言葉。」
立花道雪
3
戦国時代の武将。 戸次道雪とも呼ばれる。
義を守りての滅亡と、義を捨てての栄華とは、天地格別にて候。
息子の氏康に与えた訓戒状の一節。
人目のある場所で、つまらぬ話をしている人間がいたら、近寄らずに避けて通れ。
まして自分も一緒に仲間に加わり雑談していては、心ある人々に見限られることとなる。
早雲寺殿廿一箇条第十条より
北条早雲
2
室町時代の武将。戦国大名となった後北条氏の祖。
人情、みな昔を恋い、初めを慕うのが習わしなり 。
信玄が領国経営について語った言葉。信玄は新しく増えた領地を自分の直轄領とし、家臣任せにはしなかった。
武田信玄
3
戦国時代の武将、甲斐の守護大名・戦国大名。
戦は六、七分の勝ちを十分とする
家臣は主君より頂いた給与は全て主君の為に使いきって、残してはならない。残すのは盗賊だ。つかい過して借金するのは愚人である。
石田三成
3
戦国時代の武将。
討つ者も 討たるる者も 土器(かわらけ)よ くだけて後は もとの土くれ
辞世の和歌。歌人・東常縁の指導を受けていた義同は和歌の名手であった。
三浦義同
1
戦国時代初期の武将(1451~1516)。平安時代以来の名門豪族・相模三浦氏の事...
為せば為る為さねばならぬ何事も
為せば成る、為さねば成らぬ。成る業を成らぬと捨つる人の儚さ。
武田信玄
2
安土時代の武将
大志を持つ者は、最期の瞬間まで命を惜しむものだ
石田光成が処刑される直前に言った言葉です。
とらえ方はお任せしますが僕は好きですW
とらえ方はお任せしますが僕は好きですW
石田三成
3
戦国時代の武将。
大事をなす者は最後まで諦めないものだ
関ヶ原合戦後
石田三成
3
戦国時代の武将。
侍は首を取らずとも不手柄なりとも、事の難に臨みて退かず、主君と枕を並べて討ち死にを遂げ、忠節を守るを指して侍という
人の一生は重荷を負うて遠き道を往くがごとし、急ぐべからず
「遺訓」より