阿満利麿 14

生 1939年12月20日
阿満利麿(あま としまろ、1939年12月20日- )は日本の宗教学者、明治学院大学名誉教授。専攻は宗教学、日本思想史。...-ウィキペディア

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本人にとっては「ありのまま」でも、他の人から見れば、その人に都合よく見えているだけ

AERA Mook 49『親鸞がわかる。』(朝日新聞社,1999)P111

「慈悲」は、平等に注がれてはじめて「慈悲」なのであり、
不平等な「慈悲」は、「慈悲」とはいえない。

AERA Mook 49『親鸞がわかる。』(朝日新聞社,1999)P111

「他力」の仏教とは、「凡夫」という人間観を前提とする宗教であり、
そして、この「凡夫」の本質を、もっとも鋭く追及したのが、親鸞にほかならない。

AERA Mook 49『親鸞がわかる。』(朝日新聞社,1999)P111

豊かな才能も、自負心が過ぎると、人との摩擦を生じ、嫉妬を招きやすく、
それがまた競争心をかき立てて、争いのただ中に落ちることにもなる。

AERA Mook 49『親鸞がわかる。』(朝日新聞社,1999)P112

自己への執着が、「煩悩」だと自覚されたとき、
そして、人はそのような「煩悩」から自由になることができない存在だと痛感されたとき、
自己を「凡夫」だと納得するのは容易となる。

AERA Mook 49『親鸞がわかる。』(朝日新聞社,1999)P112

自我は、しばしば、他人の功績を自分の功績と言い張って聞かないのである。
それが「煩悩」のすがたにほかならない。
親鸞によれば、自我の根深い自己主張こそ、「煩悩」の本質にほかならない。

AERA Mook 49『親鸞がわかる。』(朝日新聞社,1999)P112
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「他力」のみが、「凡夫」をして「仏」への道を歩ませるのである。

AERA Mook 49『親鸞がわかる。』(朝日新聞社,1999)P112

自我をはっきり区別し、自己を貫いて生きてゆくこと、それが人生の要である。

AERA Mook 49『親鸞がわかる。』(朝日新聞社,1999)P112
親鸞によれば

自我の最大の問題は、自己の正当化にある。

AERA Mook 49『親鸞がわかる。』(朝日新聞社,1999)P112
親鸞の言葉

人は「業縁」に縛られた存在なのであり、それが「凡夫」にほかならない。

AERA Mook 49『親鸞がわかる。』(朝日新聞社,1999)P112

「縁」は、明確な原因と異なり、
人間にはその全貌をうかがうことができない、不特定な原因をいう。
したがって、人間からは偶然というしかない。

AERA Mook 49『親鸞がわかる。』(朝日新聞社,1999)P113
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人の自由意志は、結果を生む大切な原因であっても、一つの「縁」にしかすぎない。
それを、
あたかも唯一、絶対的な原因であるかのように考えるところに、自我特有の思いこみがある。

AERA Mook 49『親鸞がわかる。』(朝日新聞社,1999)P113

もし、私は悪いことはしないし、悪いことはいわない、
また、まちがったことをし、悪いことを思っても、自分のなかにはそれを改める力がある、
と信じている人がいるならば、その人には、「他人」は無縁であろう。
いや、およそ宗教というものとも、無縁であるにちがいない。
そうした人々は、道徳の世界で十分に満ち足りている。

AERA Mook 49『親鸞がわかる。』(朝日新聞社,1999)P114

判決だけがすべてではない。

AERA Mook 49『親鸞がわかる。』(朝日新聞社,1999)P114