業縁

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『歎異抄』

さるべき業縁のもよほせば、いかなるふるまひもすべし

AERA Mook 49『親鸞がわかる。』(朝日新聞社,1999)P113
親鸞 27

鎌倉時代前半から中期にかけての日本の僧。浄土真宗の宗祖とされる。 法然を師と仰...-ウィキペディア


    人間は、状況によっては、いかなる事でもしてしまうということ。
    「業縁」に注目してほしい。 - とら

もし、私は悪いことはしないし、悪いことはいわない、
また、まちがったことをし、悪いことを思っても、自分のなかにはそれを改める力がある、
と信じている人がいるならば、その人には、「他人」は無縁であろう。
いや、およそ宗教というものとも、無縁であるにちがいない。
そうした人々は、道徳の世界で十分に満ち足りている。

AERA Mook 49『親鸞がわかる。』(朝日新聞社,1999)P114
阿満利麿 14

阿満利麿(あま としまろ、1939年12月20日- )は日本の宗教学者、明治学院...-ウィキペディア

人の自由意志は、結果を生む大切な原因であっても、一つの「縁」にしかすぎない。
それを、
あたかも唯一、絶対的な原因であるかのように考えるところに、自我特有の思いこみがある。

AERA Mook 49『親鸞がわかる。』(朝日新聞社,1999)P113
阿満利麿 14

阿満利麿(あま としまろ、1939年12月20日- )は日本の宗教学者、明治学院...-ウィキペディア