親鸞 27

承安3年4月1日 - 弘長2年11月28日
鎌倉時代前半から中期にかけての日本の僧。浄土真宗の宗祖とされる。 法然を師と仰いでからの生涯に渡り、「法然によって明らかにされた浄土往生を説く真実の教え」を継承し、さらに高めて行く事に力を注いだ。自らが開宗する意志は無かったと考えられる。独自の寺院を持つ事はせず、各地に簡素な念仏道場を設けて教化する形をとる。親鸞の念仏集団の隆盛が、既成の仏教教団や浄土宗他派からの攻撃を受けるなどする中で...-ウィキペディア

よしあしの文字をもしらぬひとはみな、まことのこころなりけるを
善悪の字しりがほは おほそらごとのかたちなり。

善悪の文字すら知らない人は、嘘のない誠の心であったのに、善悪の字を知った顔をしてモノを書くのは大虚言の体らくである。「三帖和讃」より

罪業もとよりかたちなし、妄想?倒のなせるなり、
心性もとよりきよければ、この世はまことのひとぞなき

「正像未法和讃」より

賢者の信は、内は賢にして外は愚なり、
愚禿が心は、内は愚にして外は賢なり

「愚禿鈔」より

弥陀の名号へとなへつつ信心まことにうるひとは、憶念の心つねにして仏恩報ずるおもひあり

「浄土和讃」より

ただ念仏のみぞ、まことにておわします

『歎異抄』より。

ただ念仏のみぞ、まことに

『歎異抄』より。
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唯円:念仏もうしそうらえども、踊躍歓喜のこころおろそかにそうろうこと、
またいそぎ浄土へまいりたきこころのそうらわぬは、いかにとそうろうべきことにてそうろうやらん

親鸞もこの不審ありつるに、唯円房おなじこころにてありけり。‥‥‥

『歎異抄』より。

よろこぶべきこころをおさえて、よろこばせざるは、煩悩の所為なり。
しかるに仏かねてしろしめして、煩悩具足の凡夫とおおせられたることなれば、
他力の悲願は、かくのごときわれらがためなりけりとしられて、
いよいよたのもしくおぼゆるなり

『歎異抄』より。

浄土真宗に帰すれども 真実の心はありがたし
虚仮不実のわが身にて 清浄の心もさらなし

AERA Mook 56『仏教がわかる。』(朝日新聞社,2000)P35
人は自分の行為の真の理由も、結果も知りえないのだから、現実の場面での結果を保証する選択を見いだすことはない。

善悪の二つ惣じてもて存知せざるなり。
そのゆゑは、
如来の御こころによしとおぼしめすほどにしりとほしたらばこそ、よきをしりたるにてもあめれ

AERA Mook 49『親鸞がわかる。』(朝日新聞社,1999)P17

なごりをしく思へども、娑婆の縁つきて力なくしてをはるときにかの土へは参るべきなり

AERA Mook 49『親鸞がわかる。』(朝日新聞社,1999)P17
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真実の信心は如来からたまわったものであるから、その信を得たとき如来によって浄土往生が定まった正定聚たらしめられる。
それゆえ臨終や来迎を待って救われるのではなく、現生すなわち今ここに生きて存在するままに救われている

真実信心の行人は、接取不捨のゆへに正定聚のくらゐに住す。
このゆへに臨終まつことなし、来迎たのむことなし

AERA Mook 49『親鸞がわかる。』(朝日新聞社,1999)P21

なごりをしくおもへども、娑婆の縁つきて、
ちからなくしてをはるときに、かの土へはまいるべきなり

AERA Mook 49『親鸞がわかる。』(朝日新聞社,1999)P21
85歳時の言葉

無明煩悩われらが身にみちみちて、欲も多く、怒り腹立ちそねみねたむ心多く、
臨終の一念に至るまで止まらず消えず絶えず

AERA Mook 49『親鸞がわかる。』(朝日新聞社,1999)P25

どのような悪人でも念仏だけで往生できる

AERA Mook 49『親鸞がわかる。』(朝日新聞社,1999)P30

非人を差別する者こそ、真の意味での非人である

AERA Mook 49『親鸞がわかる。』(朝日新聞社,1999)P32
親鸞が法然の下に赴く契機となった夢告。

行者、宿報にてたとい女犯すとも、われ玉女の身となりて犯せられん。
一生の間よく荘厳し、臨終に引導して極楽に生ぜしめん

AERA Mook 49『親鸞がわかる。』(朝日新聞社,1999)P32
『改邪鈔』

某 親鸞閉眼せば、賀茂河にいれて魚にあたうべし

AERA Mook 49『親鸞がわかる。』(朝日新聞社,1999)P37

悪性さらにやめがたし こゝろは蛇蝎のごとくなり

AERA Mook 49『親鸞がわかる。』(朝日新聞社,1999)P41
『歎異抄』

たとひ法然聖人にすかされまひらせて、念仏して地獄におちたりとも、
さらに後悔すべからずさふらう

AERA Mook 49『親鸞がわかる。』(朝日新聞社,1999)P41
『歎異抄』

善人なおもて往生をとぐ。いはんや悪人をや

AERA Mook 49『親鸞がわかる。』(朝日新聞社,1999)P45

    己のことを善人であるとする人間よりも、 
    己が悪人であると自覚する人間こそが
    往生(極楽往生)にふさわしい - 虚
『歎異抄』

さるべき業縁のもよほせば、いかなるふるまひもすべし

AERA Mook 49『親鸞がわかる。』(朝日新聞社,1999)P113

    人間は、状況によっては、いかなる事でもしてしまうということ。
    「業縁」に注目してほしい。 - とら
親鸞:俺の言うことを何でも聞くと言うんなら、人を殺してみろ
唯円:いや、自分にはそういう器量はない。人ひとりだに殺せない

そうだろう、人間というのは契機がなければ一人の人だって殺せないのだ。
しかし、契機があれば百人、千人、殺したくないと思っていても殺すこともあるんだよ

AERA Mook 49『親鸞がわかる。』(朝日新聞社,1999)P172

『如来』と申すは諸仏を申すなり。

『一念多念証文』

ひとのいのちみじかくもろし