孔子 53

紀元前552年9月28日 - 紀元前479年3月9日
春秋時代の中国の思想家、哲学者。儒家の始祖。氏は孔、諱は丘、字は仲尼(ちゅうじ)。孔子とは尊称である(子は先生という意味)。ヨーロッパではラテン語化された"Confucius"(孔夫子の音訳、夫子は先生への尊称)の名で知られている。読みの「こうし」は漢音、「くじ」は呉音...-ウィキペディア

過って改めざる、これを過ちという。

「論語」より

貧に処するは逆境なるが故に難く、
富の処するは順境なるが故に易し

「論語」より

巧言令色鮮なし仁。

巧言や愛想のよい顔には、真の誠実さはない。「論語」より

性相近し、習い相遠し。

人間の性質はさして代わりがないが、習慣で人さまざまになる。「論語」より

われ十五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、
五十にして天命を知り、六十にして耳順い、七十にして心の欲するところにしたがいて矩を越えず

「論語」より

父は子のために隠し、子は父のために隠す。直その中にあり

「論語」より
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知るを知るとなし、知らざるを知らずとなす。
これ知なり。

「論語」より

古の学者は己がためにし、今の学者は人のためにす。

昔の学者は己の道の探求のために学問をするが、現在の学者は世間に知られるために勉強する。「論語」より

三人行けば必ず我が師あり。
その善なるものをえらび、之に従い、その不全なるものはこれを改む。

三人の行動を観察していれば、自分が模範とするものを見いだせよう「論語」より

富と貴とは、これ人の欲するところなり。その道を以てせざれば、これを得るとも処らざるなり。貧と賤とはこれ人の悪むところなり。その道を以てせざれば、これを得るとも去らざるなり

「論語」より

君子は言をもって人を挙げず、人をもって言を廃せず。

賢者は言をもって人を引き立てないし、小人のことでもよく聞き入れる。「論語」より
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上知と下愚とは移らず

「論語」より

君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず

「論語」より

    いいリーダーは調和と大切にするが、無闇に他人に同調しない。
    しかし、平凡な人は他人に流され、意志がなく、調和など気にもかけない・・・。
    私は前者でありたい。 - ほこたて

君子は言に少なくして、行いに敏ならん。

「論語」より

人の己を知らざるを患えず、人を知らざるを患えよ。

「論語」より

身体髪膚之を父母に受く、
敢えて毀損せざるは孝の始めなり

「孝経」より

後生畏るべし。いずくんぞ来春の今に如からざるを知らんや。四千五十にして聞こゆること無ければ斯れ又畏るるに足らず

「語録」より

義を見てせざるは勇なきなり

「論語」より

唯女人と小人とは、養い難いとなす。これを近づくれば、不遜なり。これを遠ざくれば則ち怨む

「論語」より

速やかならん事を欲すれば則ち達せず

「論語」より

朋あり遠方より来る、また楽しからずや。

朋は学問の友のこと「論語」より

    今日のGoolgleのトップがこの言葉になってた・・
    数ある孔子の言葉の中でこのチョイスにはセンスを感じる。
    まぁ、当たり障りがないく、普遍性があるとすればこうなるのかな?とは思うけど・・・
    なんか高校の頃教科書に落書きをしてた自分を思い出します。 - 道すがり

    好。
    孔子的教学 「o~」
    我来念一下・・・(笑)
    ・・・累了・・・・。 - fusimusi

君子は文をもって友を会し、友をもって仁をたすく

「論語」より

人至って賢くなれば友なし

「孔子家語」より

習慣は自然の若し。

習慣は第二の天性なりと同義「孔子家族」より

忠言は耳に逆らえども行いに利あり。

「孔子家族」より