名言・語録一覧
砂漠が美しいのは、
どこかに井戸を隠しているからだよ。
「ぼくはあの花を愛していたんだ。
ただあの頃のぼくには、花を愛するということが、
どういうことなのかわからなかったんだ」
「心の中に一輪の花を持っている」というものではなく、
「この世の中に花はたくさんあるけれど、
自分が大事にするたったひとつの花がある」
この子が綺麗なのは
心の中に薔薇を一輪持ってるからだ
ぼくは、あの星のなかの 一つに住むんだ。
その一つの 星のなかで 笑うんだ。
だから、きみが夜、空をながめたら、
星がみんな笑ってるように 見えるだろう。
すると、きみだけが、笑い上戸の星を見るわけさ。
王子様の別れの言葉
わたしは取れるだけ取って何も与えなかったのか。
あるいは与えるだけ与えて何も取らなかったのか。
それもまた利己主義である場合がある。
「ダイエット」より
フランソワーズ・マレ=ジョリス
3
1930年生まれ。フランスの作家。
読書、なかんずく小説を読む喜びは、
もうひとつの人生を経験することができる、という点にある。
「山本周五郎全集」より
貧乏と、屈辱と、嘲笑と、そして明日の望みのなくなったときこそ、
はじめて我々は人生に触れるのだ。
「山本周五郎全集」より
勤労の裏づけのない富は
人間を誤る。
「山本周五郎全集」より
人間、本当に生きようと思って、
実際にその生きることに情熱を感じて仕事をしていれば、
金というものは付随的についてくるものです。
金をもうけることを目的としている守銭奴、ないしは利殖家、
そういうものは別として、普通の最大多数の人間の生活では、
金は従属的なものであって、主体性はないものである。
「山本周五郎全集」より
人は誰でも、他人に理解されないものを持っている。
もっとはっきり云えば、人間は決して他の人間に理解されることはないのだ。
親と子、良人と妻、どんなに親しい友達にでも、人間はつねに独りだ。
「山本周五郎全集」より
人間は調子のいいときは、自分のことしか考えないものだ。
自分に不運がまわってきて、人にも世間にも捨てられ、
その日その日の苦労をするようになると、はじめて他人のことも考え、
見るもの聞くものが身にしみるようになる。
「山本周五郎全集」より
あやまちを犯す人間は、
たいてい責任を人になすりつけるものだ。
「山本周五郎全集」より
どんなに賢くっても、
人間自分の背中を見ることはできないんだからね。
「山本周五郎全集」より
人間というやつは、いま死ぬという土壇場にならないと、
気のつかないことがいろいろある。
「山本周五郎全集」より
人間がこれだけはと思いきったことに十年しがみついていると
大体ものになるものだ。
「山本周五郎全集」より
このドイツにおける反ユダヤ主義と
反資本主義が商業主義に対する軽蔑という同根から発生した事実を
外国人はほとんどわかっていないとハイエクはいいます。
『歴史に見る日の行方』より
国家の指導者を志すものは、
常住坐臥、常在戦場、常在国難の気持ちでいるとき、
危機管理能力は驚異的に伸展する。これは、世界史の鉄則である。
『歴史に見る日の行方』より
自分よりずっと悪い状況下でも、そんなこと気にも止めないで、
平然として最善を尽くした人 その例がすぐに頭に浮かんだ人は助かる。
どんな精神療法よりも効果がある。
教育の目的は、そのような人の例を教えることではないか。
『歴史に見る日の行方』より
怒りの気持ちが心の中にきざした時には、決して体罰を行うな。
この兵隊がかわいいと心の中に念じて体罰を行え。
体罰を受けた兵隊は、ありがとうございましたと敬礼せよ。
『歴史に見る日の行方』より
母親が子に亭主の愚痴をいっちゃいけない。
それをやったら、子育ては失敗ですよ。
歴史に見る日の行方』より
資本主義における覚悟は、
破産と失業である。
『歴史に見る日の行方』より
豊かなはずの日本人が、
子供をもつことのコストが高すぎる
というので子供の数を減らしているとすれば、
それは古典派が考えている通りに、日本の貧しさの証明なのではないか。
日本は豊になって所得が増えたけれども、
子供のコストも高くなって、
子供がつくれないほど貧しくなってしまったのである。
「日本の終わり」より
サラリーマンの給料は、労働やサービスや仕事の対価ではなく、
「身柄拘束料」であり、「いやなことをさせられる苦痛の慰謝料」である。
「日本の終わり」より
会社では他人と違ったことをしてはいけない。
他人よりもよいことをすれば足を引っ張られる。
見劣りするようなことをすればもちろん評価を下げられる。
「日本の終わり」より
現実主義者の官は保守派とは違ってイデオロギーをもたないので、
豹変するときは見事に豹変する。このように豹変する人はまだしも信用できる。
「日本の終わり」より