山本周五郎 12

1903年 - 1967年
日本の小説家。本名、清水 三十六(しみず さとむ)。...-ウィキペディア

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人間がこれだけはと思いきったことに十年しがみついていると
大体ものになるものだ。

「山本周五郎全集」より

人間というやつは、いま死ぬという土壇場にならないと、
気のつかないことがいろいろある。

「山本周五郎全集」より

どんなに賢くっても、
人間自分の背中を見ることはできないんだからね。

「山本周五郎全集」より

あやまちを犯す人間は、
たいてい責任を人になすりつけるものだ。

「山本周五郎全集」より

人間は調子のいいときは、自分のことしか考えないものだ。
自分に不運がまわってきて、人にも世間にも捨てられ、
その日その日の苦労をするようになると、はじめて他人のことも考え、
見るもの聞くものが身にしみるようになる。

「山本周五郎全集」より

人は誰でも、他人に理解されないものを持っている。
もっとはっきり云えば、人間は決して他の人間に理解されることはないのだ。
親と子、良人と妻、どんなに親しい友達にでも、人間はつねに独りだ。

「山本周五郎全集」より
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人間、本当に生きようと思って、
実際にその生きることに情熱を感じて仕事をしていれば、
金というものは付随的についてくるものです。
金をもうけることを目的としている守銭奴、ないしは利殖家、
そういうものは別として、普通の最大多数の人間の生活では、
金は従属的なものであって、主体性はないものである。

「山本周五郎全集」より

勤労の裏づけのない富は
人間を誤る。

「山本周五郎全集」より

貧乏と、屈辱と、嘲笑と、そして明日の望みのなくなったときこそ、
はじめて我々は人生に触れるのだ。

「山本周五郎全集」より

    - 銘無き石碑

    幸せは自分で作ってゆく。人に与えてもらうものじゃない。 - 銘無き石碑

読書、なかんずく小説を読む喜びは、
もうひとつの人生を経験することができる、という点にある。

「山本周五郎全集」より

人の人生は

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人間の真価は、彼が死んだ時、
何を為したかではなく、
何を為そうとしたかである。

知ってるつもり?! 最終回スペシャル 「ラストメッセージ イエス・キリスト」
2002/03/24(日)放送 日本テレビ系列より。