名言・語録一覧
ダンテの妻の嘆き
妻となり夫となれば、どんなに魅力的な人でも、その魅力の大半を失う
塩野七生『サロメの乳母の話』(新潮社,2003)52p
サロメの乳母の話
ヨハネ
ヨハネ
善意に満ちていて、しかも行いの清らかな人が、
過激な世改めを考え説くほど危険なことはないと思う
塩野七生『サロメの乳母の話』(新潮社,2003)38p
サロメの乳母の話
ヨハネ
ヨハネ
世の中を改めようとする時の、わたしのような知識人階級に属す者の役割は、
真の力を持って後から来る、下層の人々のために道を整えることしかないのであろう。
これが、われわれの宿命かもしれません
塩野七生『サロメの乳母の話』(新潮社,2003)37p
常識を知らないというか、視界にも入れていない
(中略)
常識のことなんか考えないし、非常識のことも考えない。
堀越孝俊
1
1977年12月6日生まれ。 市川新之助(7代目)。市川海老蔵(11代目)。市...
ウロボロス:これはカダフィにおける名言中の名言になるだろうな、カダフィ政権の崩壊の危機はすぐそこまで迫ってきていると見ていいだろう
現代のネット社会の影響によって平等化社会は大きなうねりを上げて旧世代の独裁という国家組織に迫っている。
世界がカダフィ打倒の一極化へ進む一方、同時にマスコミ主導の偏見に疑いを持つニュー速民達のマイノリティな意見にも耳を傾けておきたいところだ。
現代のネット社会の影響によって平等化社会は大きなうねりを上げて旧世代の独裁という国家組織に迫っている。
世界がカダフィ打倒の一極化へ進む一方、同時にマスコミ主導の偏見に疑いを持つニュー速民達のマイノリティな意見にも耳を傾けておきたいところだ。
リビアを作ったのは私だ、そしてリビアを破壊するのも私だ
ムアンマル・アル=カッザーフィー
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1942年6月7日-2011年10月20日(推定)リビアの軍人、革命家、政治家。
もし私が大統領であれば辞任しただろうが、そもそも辞める役職がないのだ。
ムアンマル・アル=カッザーフィー
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1942年6月7日-2011年10月20日(推定)リビアの軍人、革命家、政治家。
イスラエルはアラスカに移してしまえ
1989年9月、ベオグラードで開かれた非同盟諸国首脳会議にの演説より。
ムアンマル・アル=カッザーフィー
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1942年6月7日-2011年10月20日(推定)リビアの軍人、革命家、政治家。
ルイ十二世:イタリア人は、戦いのしかたを知らぬ
マキアヴェッリ:フランス人は、政治のしかたを知りません
塩野七生『男の肖像』(文藝春秋,1992)186p
コシモ・デ・メディチ
学問や芸術というものは、ほんとうのところ、あたりでとどまるからこそ、
その人の一生を越えて生きつづけられるものではないだろうか。
塩野七生『男の肖像』(文藝春秋,1992)158p
調査とは十ヶ月の妊娠のようなものであり、
問題の解決とは、ある朝の分娩のようなものである。
調査とはつまり、問題解決のことである
塩野七生『男の肖像』(文藝春秋,1992)145p
政治は血を流さない戦争であり、戦争は血を流す政治である
塩野七生『男の肖像』(文藝春秋,1992)145p
戦争は、別の手段による政治の継続である。
塩野七生『男の肖像』(文藝春秋,1992)145p
ナナミーは、ナポレオンという男に対して興味がもてない
家族親族に囲まれた男は、
戦う家長ではなるかもしれないが、男の匂いを失うことを宿命づけられる。
家族の写真を見せてはその話に熱中する男に似て、
そこには、責任感あふれる申し分ない家長はいても、
女の血を騒がせる、セクシーな男はいないからである。
塩野七生『男の肖像』(文藝春秋,1992)120p
不可思議にも、平等平等と口では唱える人びとの多くは、
ほんとうに平等でのぞまれたら、困ってしまうものなのである。
塩野七生『男の肖像』(文藝春秋,1992)118p
ナポレオンは、そういう現実を知っていただろう
同等な能力をもつ者の中での相対的な優秀者として振舞うよりも、
劣等者に君臨する優秀者として振舞うほうが得策である
塩野七生『男の肖像』(文藝春秋,1992)118p
大きく打てば大きく響き、小さく打てば小さく響く釣鐘のような人物
塩野七生『男の肖像』(文藝春秋,1992)101p
男には、
その生涯にどれほどの仕事をしたかによって存在理由を獲得する型の人物がいる。
また別に、彼が存在すること自体に意味があり、
それがその男の存在理由の最たるものになっている型の人物がいる。
塩野七生『男の肖像』(文藝春秋,1992)100p
西南戦争にて中津隊は帰郷と決まったが、隊長である増田だけは残るという。
なぜかと問うた隊員たちに、増田はこう答えたという。
なぜかと問うた隊員たちに、増田はこう答えたという。
わたしは君らとちがい、将として本営の西郷先生に接しつづけてきた。
それゆえ、もうどうにもならぬ。
一日西郷に接すれば、一日の愛生ず。三日接すれば、三日の愛生ず。
親愛日に加わり、今は去るべくもあらず。ただ、死生をともにせんのみ
塩野七生『男の肖像』(文藝春秋,1992)94p
増田宗太郎
1
嘉永2年2月23日(1849年3月17日) - 明治10年( 1877年)9月)...
芸術家は、すべてを超越するからこそ、存在理由があるのである。
芸術家にとっての権力者は、自分の考えを実現するに自分一人では不可能な場合、
それに手を貸してくれる存在にすぎない。
芸術家は、善悪の彼岸にしかない自己の世界での絶対の優位を確信しているから、
権力者の前に平然とひざを屈するのである。
塩野七生『男の肖像』(文藝春秋,1992)93p
一人の人間の生命は全地球よりも重い、とは、
その完璧なまでの合理性からして、女の論理なのである。
塩野七生『男の肖像』(文藝春秋,1992)83p
カリスマ性とはなんであろう。
私には、それが、愛情と言い換えてもよい、
官能的なまでの感情であるような気がしてならない。
ひっきょう、男の集団を動かす原動力は、
官能的なまでの、この不合理によるのではないだろうか。
これが、女だけの集団が力をもちえない原因につながる。
塩野七生『男の肖像』(文藝春秋,1992)82p
人間は、予想もしなかった悲劇に見まわれると、無我夢中で反撃するものである。
無我夢中でとびかかっていくうちに、凡才も天才に一変している。
塩野七生『男の肖像』(文藝春秋,1992)81p
一時の残酷は、長々と尾を引く一見寛容な行為よりも残酷ではない場合もある
塩野七生『男の肖像』(文藝春秋,1992)63p
ユリウス・カエサル
ナナミーの空想として、カエサルに言わせた言葉
ナナミーの空想として、カエサルに言わせた言葉
大事業とは、嫌いな人間とも、ともに行わねばならないものだよ。
塩野七生『男の肖像』(文藝春秋,1992)57p
ユリウス・カエサル
ナナミーの空想として、カエサルに言わせた言葉
ナナミーの空想として、カエサルに言わせた言葉
屈折した心情の男は、処女よりもあつかいにくい。
塩野七生『男の肖像』(文藝春秋,1992)56p