孔子

コラム 日本語の中の『論語』
原文:禹は吾れ間然とすること無し
まったく非の打ち所がなく、非難の余地もない

間然するところなし

泰伯第八-21
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)198p
第7章 『論語』にみる21世紀の経営学

邦に道なきに、富みて且つ貴きは恥なり

泰伯第八-13
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)166p
第4章 人と人を結びつける「信」と「義」

道端にお金は落ちているけれど、信だけは拾えない

孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)84p
コラム 日本語の中の『論語』
人の犯した過失を見て、その人が仁者かそうでないかが分かる
原文:子曰く、人の過つや、各々其の党(たぐい)に於てす。過ちを観て斯(ここ)に仁を知る
現代語訳:孔子が言われた。人の過失はその人の素質と関係があり、その過ちを観察するだけでその人が仁者かどうかがわかる

過ちを見て仁を知る

里仁第四-7
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)198p
第2章 偉大なる人間―孔子の素顔
(members.jcom.home.ne.jp)

途に遺ちたるを拾わず

孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)55p
孔子による

誠は遠大にして不朽であり、動かずして変化をつくり、
それを示すだけで目的を遂げる性質を持っている

著・新渡戸稲造 訳・岬龍一郎 『武士道』(PHP文庫,2005)74p
武士道 48

日本の近世以降の封建社会における武士階級の倫理・道徳規範及び価値基準の根本をなす...-ウィキペディア

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孔子『中庸』より

誠は物の終始なり、誠ならざれば物なし

著・新渡戸稲造 訳・岬龍一郎 『武士道』(PHP文庫,2005)74p
武士道 48

日本の近世以降の封建社会における武士階級の倫理・道徳規範及び価値基準の根本をなす...-ウィキペディア

第7章 『論語』にみる21世紀の経営学

規制あれば対策あり

孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)167p
第4章 人と人を結びつける「信」と「義」
誠意を尽くして欺かない

自誠而明、誠信無欺

孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)88p
第5章 「知」と「学」が日本を救う
日本の諺

聞くは一時の恥、聞かざるは松代の恥

孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)116p
コラム 日本語の中の『論語』
原文:義を見てせざるは勇なきなり
現代語訳:人の道として当然行うべきことと知りながら、実行しないのは勇気がないということだ

義を見てせざるは勇なきなり

為政第二-24
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)198p
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第3章 自己を完成する「仁」の道
善行を積んで仁の人となれば福を得られる

積善修徳、親仁得福

孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)72p
第2章 偉大なる人間―孔子の素顔
弟子「老子とはどんなお方でしたか」

私は鳥が飛べることを、魚が泳げることを、動物が走れることを知っている。
走るものは網で捕えられる。泳ぐものは釣り針で漁ることができる。
飛ぶものは矢で射落とすことができる。
しかし龍のこととなると、
私には風や雲に乗って天に上ることができないから、捕まえることはできない。
私は老子に会ったが、まるで龍のようなお方だった

孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)48p
コラム 日本語の中の『論語』
古いことを調べ研究し、そこから新しい知識や考えを得る
原文:子曰く、故きを温めて新しきを知る、以(もっ)て師と為るべし
古いことも新しいこともよく知って、はじめて人の師になれる

温故知新

為政第二-11
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)198p
史記列伝「第5話 酷使蒼鷹」
孔子

法律によって指導し刑罰によって統治しようとすれば、
民は少しでも抜け道を探そうとして恥を知らない。
徳によって指導し礼によって統治すると恥じることを知り、正しい道をふみ行う

横山光輝『史記 11』(潮出版社,2001)196p
史記 (横山光輝の漫画) 28

横山光輝による歴史漫画作品。『ビッグゴールド』(小学館)に、1992年(創刊号)...-ウィキペディア

第1章 2500年続くベストセラー―『論語』への招待
民以食為天
人間にとって食事が一番だ

民は食をもって天と為す

孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)32p
コラム 日本語の中の『論語』
人びとを教え導く人。木鐸は木製の舌のついてある鉄製の鈴で、法令を人々にふれるときにならしたもの
原文:天、将に夫子を以って木鐸(ぼくたく)と為さんとす
現代語訳:天は、先生を木鐸として正しい道を後世に伝えさせようとしています。

木鐸

八佾第三
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)P199
コラム 日本語の中の『論語』
原文:子曰く、朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり
現代語訳:朝に、人間として大切な道理を聞いて悟りに到達できれば、その日の夕方に信でもかまわない

朝(あした)に道を聞かば夕べに死すとも可なり

里仁第四-8
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)198p

     論語は宇宙一の書とされる。その因としてこの言葉が論語にあることが貴重だと思う。即ち、多の歴史的書物にないところの真理がこの言葉に含められている。もちろん、一般に言われているところの「朝、道を聞いたら、その日の夕方に死んでも、本望である。」というのではない。
     
    この言葉は『ひとの人生には、「可」と「不可」があることを表し、人の人生が「可」となるためには、唯一、道を人から教わる必要がある』ということを意味している。人から教わる道とは何か?私は「大自然」にかかわるものだと思うが、説明は出来ない。また自分でつかみきろうとしてもできないものである。どうか「可」となるように努力し、人に教えられる「縁」を求めてほしい。
    鉄のわらじを踏み破れども明師に合いがたし。(弘法大師) - warau1943
コラム 日本語の中の『論語』
原文:子曰く、暴虎馮河して死して悔いなき者は、吾れ与にせざるなり
血気にはやった無謀で危険な行い

暴虎馮河

述而第七-10
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)P199(P90参照)
コラム 日本語の中の『論語』
原文:子曰く、民の義を務め、鬼神を敬してこれを遠ざく、知と謂うべし
敬うような態度を見せて、近づくのを避けること。ふつうは、意識的に避けることをいう

敬遠

雍也第六-22
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)P199(P99参照)
第7章 『論語』にみる21世紀の経営学

敏なれば則ち功あり

孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)180p
第5章 「知」と「学」が日本を救う

技術は顕微鏡で、人生は望遠鏡で見る

孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)122p
下山敏郎 1

1924年5月4日生まれ。日本の実業家。オリンパス光学工業で社長・会長を歴任した...

第1章 2500年続くベストセラー―『論語』への招待
五常(五則)「仁・義・礼・知・信」

愛情をもって接すること(仁)、義理という規則を守ること(義)、
礼儀正しく行動すること(礼)、知恵を持つこと(知)、
そして信頼され信用されるようになること(信)。

孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)22p
コラム 日本語の中の『論語』
原文:子曰く、後世畏るべし
現代語訳:後進の者は、本人の努力次第で将来どんな人物に成長するかわからないので、あなどってはいけない

後世おそるべし

子罕第九-23
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)P199

    うむ - 銘無き石碑
コラム 日本語の中の『論語』
原文:子曰く、巧言令色鮮(すくな)し仁
現代語訳:口先がうまく顔色をつくろったりする者には、人の道を心得た者が少ない

巧言令色少なし仁

学而第一-3
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)199p