コラム 日本語の中の『論語』原文:子曰く、朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり現代語訳:朝に、人間として大切な道理を聞いて悟りに到達できれば、その日の夕方に信でもかまわない 朝(あした)に道を聞かば夕べに死すとも可なり 里仁第四-8孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)198p 痛快!新論語学 ことわざ (148) 中国 (654) 論語 (65) 孔子 (64) 「痛快!」シリーズ (412) 集英社 (399) 孔健 (59) 原文 (35) 一日一生 (1) 里仁第四 (7) 現代語訳 (33) 痛快!新論語学 59
論語は宇宙一の書とされる。その因としてこの言葉が論語にあることが貴重だと思う。即ち、多の歴史的書物にないところの真理がこの言葉に含められている。もちろん、一般に言われているところの「朝、道を聞いたら、その日の夕方に死んでも、本望である。」というのではない。 この言葉は『ひとの人生には、「可」と「不可」があることを表し、人の人生が「可」となるためには、唯一、道を人から教わる必要がある』ということを意味している。人から教わる道とは何か?私は「大自然」にかかわるものだと思うが、説明は出来ない。また自分でつかみきろうとしてもできないものである。どうか「可」となるように努力し、人に教えられる「縁」を求めてほしい。 鉄のわらじを踏み破れども明師に合いがたし。(弘法大師) - warau1943 2012年12月19日 09時47分
原文:子曰く、朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり
現代語訳:朝に、人間として大切な道理を聞いて悟りに到達できれば、その日の夕方に信でもかまわない