福澤諭吉 84

1835年12月12日 - 1901年2月3日
日本の武士(中津藩士のち旗本)、蘭学者、著述家、啓蒙思想家、教育者。慶應義塾の創設者であり、専修学校(後の専修大学)、商法講習所(後の一橋大学)、神戸商業講習所(後の神戸商業高校)、土筆ヶ岡養生園(後の北里研究所)、伝染病研究所(現在の東京大学医科学研究所)の創設にも尽力した...-ウィキペディア

自由のない社会であれば、人民に気力がないほうが、政府としては便利であろう。

昔鎖国の世に旧幕府のごとき窮屈なる政を行なう時代なれば、人民に気力なきもその政事に差しつかえざるのみならずかえって便利なるゆえ、ことさらにこれを無智に陥れ、無理に柔順ならしむるをもって役人の得意となせしことなれども、今、外国と交わるの日に至りてはこれがため大なる弊害あり。

疑いようのないことなら議論は起こらないだろう

この諸説はわが独立の保つべきと否とについての疑問なり。事に疑いあらざれば問いのよって起こるべき理なし。今試みに英国に行き、「ブリテンの独立保つべきや否や」と言いてこれを問わば、人みな笑いて答うる者なかるべし。

わが国の人民は数千年に渡り専制政治に苦しめられてきた。
心に思うことを口に出せない、嘘をついてでも身の安全を考え
だましてでも罪を逃れ、嘘やごまかしが生活の手段となり
不誠実が日常習慣となり、恥じる者、怪しむ者もなく
一身のいさぎよさなどすべて消え、まして国を思うことなど、まるでなかった。

わが全国の人民数千百年専制の政治に窘しめられ、人々その心に思うところを発露すること能わず、欺きて安全を偸み、詐りて罪を遁れ、欺詐術策は人生必需の具となり、不誠不実は日常の習慣となり、恥ずる者もなく怪しむ者もなく、一身の廉恥すでに地を払いて尽きたり、豈国を思うに遑あらんや。

個人としては智者だが、官吏としては愚者である。
一人の時は賢人で、集団では暗愚な民衆となる。

私にありては智なり、官にありては愚なり。これを散ずれば明なり、これを集むれば暗なり。

政府は、多くの智者が集まって一つの愚行をするところを言えるだろう。
なんということか。

政府は衆智者の集まるところにして一愚人の事を行なうものと言うべし。豈怪しまざるを得んや。

政府が威を持って臨めば、民は虚偽で応えるだろう。
政府が民をだませば、民は表面を取り繕うだろう。

政府威を用うれば人民は偽をもってこれに応ぜん、政府欺を用うれば人民は容を作りてこれに従わんのみ。これを上策と言うべからず。
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政府が日本の政府なら、人民も日本の人民だ。
それなら政府を恐れず近づくべきだし、親しむべきで、疑う必要などない。

政府も日本の政府なり、人民も日本の人民なり、政府は恐るべからず近づくべし、疑うべからず親しむべし

知識人として国家を憂える人間に、無芸な人物がいるわけはない。
身についた能力で世を渡ることなどわけはない。

すでにみずから学者と唱えて天下の事を患うる者、豈無芸の人物あらんや。芸をもって口を糊するは難きにあらず。

同じ労働で公務のほうが割りがいいというなら、それは不当な国費の乱用である。

もし官の事務易くしてその利益私の営業よりも多きことあらば、すなわちその利益は働きの実に過ぎたるものと言うべし。実に過ぐるの利を貪るは君子のなさざるところなり。

相手に劣等感を持ってしまったら、たとえ自分に多少の知識があっても
それを外に向かって広めることができようか。

他に対してすでに恐怖の心をいだくときは、たとい、我にいささか得るところあるもこれを外に施すに由なし。

進歩しないものはすたれ、退かず努力するものは必ず前進する

おおよそ世間の事物、進まざる者は必ず退き、退かざる者は必ず進む。進まず退かずして潴滞する者はあるべからざるの理なり。
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昔の民は、政府を鬼のように恐れた。
今の民は、政府を神のように拝む。

古の民は政府を視ること鬼のごとくし、今の民はこれを視ること神のごとくす。古の民は政府を恐れ、今の民は政府を拝む。

読書は学問の手段である。学問は実践への方法である。
実地に臨み経験を積んでこそ、勇気と力が生まれるはずである。

読書は学問の術なり、学問は事をなすの術なり。実地に接して事に慣るるにあらざればけっして勇力を生ずべからず。

国民が政府に従うというのは、政府が作った法に従うのではなくて
自分たちが作った法に従うということである。

国民の政府に従うは政府の作りし法に従うにあらず、みずから作りし法に従うなり。

私刑の最たるもので、極度に政治を歪めるものは、暗殺である。

私裁のもっともはなはだしくして、政を害するのもっとも大なるものは暗殺なり。

考えてもみたまえ。古今東西、暗殺で世界情勢がよくなり、世の中が幸福になった事例など、いまだかつて一度もなかったではないか。

試みに見よ、天下古今の実験に、暗殺をもってよく事をなし世間の幸福を増したるものは、いまだかつてこれあらざるなり。

わが楽しみは、人も楽しむところなのだから、他人の楽しみを横取りすべきではない。

わが楽しむところのものは他人もまたこれを楽しむがゆえに、他人の楽しみを奪いてわが楽しみを増すべからず

政府によって決められた法は、たとえそれがバカげており、不便であろうとも、勝手にこれを破る道理はない。

国の政体によりて定まりし法は、たといあるいは愚かなるも、あるいは不便なるも、みだりにこれを破るの理なし。師を起こすも外国と条約を結ぶも政府の権にあることにて、この権はもと約束にて人民より政府へ与えたるものなれば、政府の政に関係なき者はけっしてそのことを評議すべからず。

理論を説けば、それは自然に人民の心に沁みとおる。
今年だめでも来年は理解されよう。

その正論あるいは用いられざることあるも、理のあるところはこの論によりてすでに明らかなれば、天然の人心これに服せざることなし。ゆえに今年に行なわれざればまた明年を期すべし。

この世に生をうけたものは、男も女も人間である。
世の中は、男と女がいなくてはならず、その役割は同等である。

そもそも世に生まれたる者は、男も人なり女も人なり。この世に欠くべからざる用をなすところをもって言えば、天下一日も男なかるべからず、また女なかるべからず。

    これを恣意的な引用と言う - 銘無き石碑

鳥獣魚虫が、自分で食物を得られぬだろうか。
蟻などは、食物を得るだけでなく、冬に備えて穴を掘り巣を作り、食糧を蓄えている。
ところが世の中には、この蟻と同様の行為をしただけで、すっかり満足している人間がいる。

禽獣魚虫、みずから食を得ざるものなし。ただにこれを得て一時の満足を取るのみならず、蟻のごときははるかに未来を図り、穴を掘りて居処を作り、冬日の用意に食料を貯うるにあらずや。
 しかるに世の中にはこの蟻の所業をもってみずから満足する人あり。

一身の衣食住が確立すれば、それで満足するというのなら、人の一生はただ生まれて死ぬだけのことになる。

一身の衣食住を得てこれに満足すべきものとせば、人間の渡世はただ生まれて死するのみ、その死するときの有様は生まれしときの有様に異ならず。

人間の性質はとかく集団を作りたがり、孤立し独力で歩くことを避けたがる

人の性は群居を好み、けっして独歩孤立するを得ず。

どんな人間でも、多少なりとも身に長所があれば、それを世の中に役立てたいと思うのは、人情であろう。

およそ何人にてもいささか身に所得あればこれによりて世の益をなさんと欲するは人情の常なり。

祖先全体を一人の人間とみなせば、文明はその人がわれわれ人間すべてに譲ってくれた遺産なのだ。

世界中の古人を一体にみなし、この一体の古人より今の世界中の人なるわが輩へ譲り渡したる遺物なれば、その洪大なること地面、家財の類にあらず。