文明
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新しい技術が生まれると
新しい問題も生まれます。
新しい病気も生まれます
虫歯も近眼も
大昔はなかった。
ギャンブル依存症も
ゲーム依存症も、当時
カジノやゲームが
ない時代にはなかった。
恩田陸
1
日本の小説家。女性。
4世紀とは要するに、東(アジア)も西(ヨーロッパ)も社会が興奮し激動の渦を生みだしていた時代なのだ。
この4世紀に鮮卑は中国中原どころかチベットまで移動する。同じ頃ヨーロッパで起きたゲルマン人の大移動に匹敵する大移動である。
4世紀のアジアの大激動が日本にまで及んだとき、突然の巨大古墳の時代が訪れたのであった。だから言うまでもなく、日本もアジアとヨーロッパの大きな運動に繋がっている。すると、
そもそも飛鳥の音が、アスカ(パルティア)やスキタイ(エシュク)あるいはアシュケナージとつながることも不思議ではなくなるだろう。
ミヌシンスク文明から出てきた民族はいずれも自分たちを「人」と自称する騎馬民族である。匈奴しかりサカしかりである。シュメールも…
…
シュメール、スキタイ(サカ)、ゲルマンといった節目節目を作った人びとはすべて西アジアの草原に深いかかわりを持った。そして
いずれも文明という病を地球に拡大したのである。
「ゆがめられた地球文明の歴史」p80~81
※ミヌシンスク文明=オビ川やエニセイ川上流の南シベリアの盆地の紀元前の文明
(引用者が一部編集)
※ミヌシンスク文明=オビ川やエニセイ川上流の南シベリアの盆地の紀元前の文明
(引用者が一部編集)
文明というものは、
しばしばわれわれの社会にとって死に至る病の発端であったかもしれないのだ。
「ゆがめられた地球文明の歴史」p22
南シベリアの草原と雪の中における文明は、
船や馬や馬車での移動と金属の積極利用の姿勢を文明に持ち込むものだったのである。
…ここで人類が次の時代へと移ったのである。
「ゆがめられた地球文明の歴史」p75(引用者が一部編集)
工業文明は克己などというものが全然ない場合にはじめて可能なのだ。
衛生学と経済学で許された極限までしたい放題をやるのさ。
そうでなきゃ世の中の車輪が廻らなくなるよ
ハックスリー『すばらしい新世界』(講談社,1974)P274
ムスタファ・モンド(すばらしい新世界)
27
オルダス・ハクスリーが1932年に発表したディストピア小説である。機械文明の発達...-ウィキペディア
社会的安定なくして文明はない。而して個人の安定なくして社会の安定はない
ハックスリー『すばらしい新世界』(講談社,1974)P51
ムスタファ・モンド(すばらしい新世界)
27
オルダス・ハクスリーが1932年に発表したディストピア小説である。機械文明の発達...-ウィキペディア
現代の交通、現代の技術は、距離と空間をますます収縮させている。
かつての国家は今日ではもはや一地方であるに過ぎず、
現代の国々は以前は大陸と同じぐらいに考えられていたのだ。
純技術的に考えれば、ドイツのような国を統治する困難さは、百二十年前のブランデンブルグのような一地方を管理する困難さより大きくはない。
アドルフ・ヒトラー
372
オーストリア及びドイツ国の政治家、軍人、画家。 文献によってはヒットラー、ヒッ...-ウィキペディア
すでに存在している真理を利用するのを恥じる必要はない。
なにしろ、人類の全文化も人間自身も、
それぞれの世代がめいめいの建築石材を運び、
つぎ合わせていった、ただ一つの長い発展の結果であるにすぎないからである。
それぞれの世代がめいめいの建築石材を運び、
つぎ合わせていった、ただ一つの長い発展の結果であるにすぎないからである。
アドルフ・ヒトラー
372
オーストリア及びドイツ国の政治家、軍人、画家。 文献によってはヒットラー、ヒッ...-ウィキペディア
あらゆる真に価値ある人類の革新は、
過去の世代が残したすぐれた成果に、無遠慮にも結びつくことができる。
いやそれどころか、しばしばかつての成果を、
はじめて一般に認めさせるよう努力するのである。
そうした革新は、過去と比較されて、
色あせてしまうことを、少しも恐れる必要がなく、
進んで、人類文化の共有財産に
非常に価値のある貢献をするのである。
色あせてしまうことを、少しも恐れる必要がなく、
進んで、人類文化の共有財産に
非常に価値のある貢献をするのである。
アドルフ・ヒトラー
372
オーストリア及びドイツ国の政治家、軍人、画家。 文献によってはヒットラー、ヒッ...-ウィキペディア
祖先全体を一人の人間とみなせば、文明はその人がわれわれ人間すべてに譲ってくれた遺産なのだ。
世界中の古人を一体にみなし、この一体の古人より今の世界中の人なるわが輩へ譲り渡したる遺物なれば、その洪大なること地面、家財の類にあらず。
※アシュケナージ・ユダヤ人=ユダヤ人の9割を占め、旧約聖書の「セム」とは別系統でカザール帝国(7C~10C頃コーカサス周辺)から移住したチュルク(トルコ)系の人々等とも言われる。