ムスタファ・モンド(すばらしい新世界) 27

オルダス・ハクスリーが1932年に発表したディストピア小説である。機械文明の発達による繁栄を享受する人間が、自らの尊厳を見失うその恐るべきディストピアの姿を、諧謔と皮肉の文体でリアルに描いた文明論的SF小説であり、描写の極端さが(多くのSF小説にあるように)きわめて諧謔的であるため、悲観的なトーンにもかかわらず、皮肉めいたおかしみが漂っている...-ウィキペディア

両極端は一致する。

ハックスリー『すばらしい新世界』(講談社,1974)P47

万人は万人のものである

ハックスリー『すばらしい新世界』(講談社,1974)P48

社会的安定なくして文明はない。而して個人の安定なくして社会の安定はない

ハックスリー『すばらしい新世界』(講談社,1974)P51

車輪の番をする人間がいなくてはならぬ、軸を廻る車輪のように堅実な人間、
満足を得て安定した正気の人間、従順な人間がおらねばならぬ。

ハックスリー『すばらしい新世界』(講談社,1974)P52
「フォード著、わが生涯と事業」について
バーナード:でも、なぜ禁止されているんでしょうか

それは古いものだからだ。それが何よりの理由だ。
ここでは古いものには一切何の用もない

ハックスリー『すばらしい新世界』(講談社,1974)P253

美は人を惹きつける、
そしてわれわれは人々が古いものに惹きつけられることを好まないのだ。
われわれは人々が新しいものを好むことをのぞんでいる

ハックスリー『すばらしい新世界』(講談社,1974)P254
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安定は不安定ほどには目ざましいものでもない

ハックスリー『すばらしい新世界』(講談社,1974)P256

満足の状態というものは不幸との勇敢な戦いのような輝かしさも全然なく、
誘惑との苦闘だとか、熱情や懐疑による致命的な敗北などのような華かさも全然ない。
幸福とはけっして壮麗なものではない

ハックスリー『すばらしい新世界』(講談社,1974)P256

これもまた安定のために払う犠牲の一つだ。
幸福と調和しないのは何も芸術ばかりではない。科学もまたそうなのだ。
科学は危険だ。
われわれはとても用心してそれを鎖でつなぎ、口かせをはめておかなくちゃならない

ハックスリー『すばらしい新世界』(講談社,1974)P261

幸福はなかなかうるさい主人だ――他人の幸福ということになればとりわけそうだ。

ハックスリー『すばらしい新世界』(講談社,1974)P264

われわれの所有物がわれわれ自身のものでないと同様、
われわれもまたわれわれ自身のものではない。
われわれがおのれ自身を造ったのではなく、
われわれはおのれ自身に対して至高の権威をもつことはできない。
われわれはわれわれの幸福ではないのか。われわれは神の所有である。

ハックスリー『すばらしい新世界』(講談社,1974)P268
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彼らはまたあらゆる人間と同様、独立とは人間のために作られたものでないこと
――それは不自然な状態であり――しばらくはそれでもすませるだろうが、
最後まで無事安全にわれわれを導いてゆけるものでないことに
気づくことであろう‥‥‥

ハックスリー『すばらしい新世界』(講談社,1974)P268

人間は年を取る。自分自身のうちに、年を取るにつれて現れる、
あの衰弱、無気力、不快などの抜き差しならぬ感じを覚えるようになる。
そして、このように感じて、自分がただ加減が悪いのだと想像し、
この苦しい状態は何か特別な原因によるものだと考えて自らの恐怖を鎮め、
病気か何かのようにその状態から‥
(中略)
‥これは馬鹿げた想像だ! 
この病気は老齢にほかならない。そしてこれは恐ろしい病気なのだ。

ハックスリー『すばらしい新世界』(講談社,1974)P269

宗教的感情は年をとってゆくにつれて次第につのってくる傾きがある。
それがつのってくるのは、感情が静まってゆき、
空想や感受性が以前ほど刺激されなくなり刺激されにくくなっていって、
われわれの理性の活動がより平静になり、むかしはそれに心を奪われた
想像や欲望や気ばらしによって曇らされることがなくなるからである。
そこで神がまるで雲のうしろから出たように姿を現わす。

ハックスリー『すばらしい新世界』(講談社,1974)P270

感覚の世界にその生命と魅力を与えていたものがわれわれから逃れ去りはじめ、
現象界はもはや
内部からや外部からの印象によって支えられないようになってしまえば、
われわれは何か永続性のあるもの、何かわれわれを裏切らないもの
――つまり、実体、絶対的な恒久的な真理、
といったものに寄りかからずにはいられないような気持になる。
そうだ、われわれはどうしても神に向わずにはいられない。

ハックスリー『すばらしい新世界』(講談社,1974)P270

青春と繁栄のある間だけ神に頼らずにすませるのだ。
そういう神からの独り立ちが最後まで人を安全に導けるものではない

ハックスリー『すばらしい新世界』(講談社,1974)P270

宗教的感情はすべてわれわれの損失を補ってくれるであろう

ハックスリー『すばらしい新世界』(講談社,1974)P271
こういう書物=メーヌ・ド・ビラン(kotobank.jp)の書物

神は違った者たちにはそれぞれ違った形で姿を現わすのだよ。
近代以前には神は
こういう書物に描かれているようなものとしてその姿を現わしたのだ。
ところが今じゃ‥‥‥
野蛮人:今はどんな形で現われますか
さあ、それは無として現われることになるね。全く存在しないかのようにね
野蛮人:それはあなたの罪ですよ
文明の罪だと言ってほしいね。

ハックスリー『すばらしい新世界』(講談社,1974)P271

神は機械や科学的薬品や大衆の幸福とは両立しないのだ。
人はどちらかを選ばなくてはならぬ。

ハックスリー『すばらしい新世界』(講談社,1974)P271

人が何かを信ずるのはそう信ずるように条件づけられたからなんだよ。

ハックスリー『すばらしい新世界』(講談社,1974)P272

人が何かを信ずることに対して別な誤った理由を見つけること
――これが哲学というものだ。

ハックスリー『すばらしい新世界』(講談社,1974)P272

    人が何かを - 銘無き石碑

神を信ずるように条件づけられたからこそ、人々は神を信ずるのだよ

ハックスリー『すばらしい新世界』(講談社,1974)P272

産まず女を相手にいくら道ならぬ快楽にふけったところで、
自分の息子の情婦に眼玉をくり抜かれたりする危険はちっともないんだよ。

ハックスリー『すばらしい新世界』(講談社,1974)P273

神の掟ては結局のところ、社会を構成する人間によって示されるのだ。
神の摂理も人間から受けつがれるものなのだ

ハックスリー『すばらしい新世界』(講談社,1974)P273

    なるほど!!! - 銘無き石碑

工業文明は克己などというものが全然ない場合にはじめて可能なのだ。
衛生学と経済学で許された極限までしたい放題をやるのさ。
そうでなきゃ世の中の車輪が廻らなくなるよ

ハックスリー『すばらしい新世界』(講談社,1974)P274