名言・語録一覧
名将が指揮した戦闘は、絵に描いたような展開で終始する。
塩野七生 『ローマ人の物語30 終わりの始まり [中]』(新潮文庫,2007)146p
エピキュリアンで徹するための条件の一つは、
誰とでも等間隔を保っていても生きていけるだけの財力、にあった。
塩野七生 『ローマ人の物語30 終わりの始まり [中]』(新潮文庫,2007)139p
事態の解決を長びかせることは、それ自体すでに「悪」なのである。
塩野七生 『ローマ人の物語30 終わりの始まり [中]』(新潮文庫,2007)111p
『自省録』より
お前が現に身を置き、苦悩をつづけているその場くらい、
哲学に慣れ親しむに最適な環境はない
塩野七生 『ローマ人の物語30 終わりの始まり [中]』(新潮文庫,2007)75p
マルクス・アウレリウス・アントニヌス
59
第16代ローマ皇帝(在位:161年 - 180年)。ネルウァ=アントニヌス朝では...-ウィキペディア
『自省録』より
お前が現に身を置き、苦悩をつづけているその場くらい、
哲学に慣れ親しむに最適な環境はない
塩野七生 『ローマ人の物語30 終わりの始まり [中]』(新潮文庫,2007)75p
マルクス・アウレリウス・アントニヌス
59
第16代ローマ皇帝(在位:161年 - 180年)。ネルウァ=アントニヌス朝では...-ウィキペディア
『自省録』より
人は思索に徹したいとき、人里離れた地にこもる。田園に、海辺に、山の中に。
お前も昔は、よくそれを夢見たものだった。だがこれは、愚かな解決法である。
もしもほんとうに自分の心と向き合う必要を感じたならば、
いつでもどこでも、自分の内に逃げ込むことはできる
塩野七生 『ローマ人の物語30 終わりの始まり [中]』(新潮文庫,2007)75p
マルクス・アウレリウス・アントニヌス
59
第16代ローマ皇帝(在位:161年 - 180年)。ネルウァ=アントニヌス朝では...-ウィキペディア
『自省録』より
蜘蛛は、蠅をとって生きている。誰かは、野うさぎをとることで。
別の誰かは、鰯をとることで。また、別の誰かはいのししを。他の誰かは熊を。
そして、それ以外の誰かはサルマティア人を。獲物に襲いかかるときに感ずる衝動は、
それが動物であろうと人間であろうと、殺すという一年では同じではないか
塩野七生 『ローマ人の物語30 終わりの始まり [中]』(新潮文庫,2007)74p
マルクス・アウレリウス・アントニヌス
59
第16代ローマ皇帝(在位:161年 - 180年)。ネルウァ=アントニヌス朝では...-ウィキペディア
生まれた子を養えるかどうかを考える人がいたとすれば、
その人はもう蛮人(バルバリ)ではない。
塩野七生 『ローマ人の物語30 終わりの始まり [中]』(新潮文庫,2007)25p
賢母と良妻は必ずしも一致しないことくらい、女ならば誰でも知っている。
塩野七生 『ローマ人の物語29 終わりの始まり [上]』(新潮文庫,2007)211p
危機は、人々の心の中に愛国心を呼び起す。
塩野七生 『ローマ人の物語29 終わりの始まり [上]』(新潮文庫,2007)185p
ローマ皇帝の方法が、トヨタのジャスト・イン・タイムとほとんど同一であることについて
最重要の目標を明確に定め、そのことの実現に要する意志力さえ充分ならば、
誰でも人間は、似たような方策を考えつくのではないか
塩野七生 『ローマ人の物語29 終わりの始まり [上]』(新潮文庫,2007)67p
アリスティデス『ローマへの頌詞』より
ローマ世界は、一つの大きな家である。そこに住む人々に、ローマ帝国という
大家族の一員であることを日々思わせてくれる、大きな一つの家なのである。
塩野七生 『ローマ人の物語29 終わりの始まり [上]』(新潮文庫,2007)25p
読み人知らず、とするしかない一人のローマ人が墓碑に刻ませた一句
わたしは死んで、ここに葬られている。
灰の一つかみでしかなくなったのが今のわたしだが、灰は土になる。
土は大地浸透し、人間世界の土台をつくる。
となれば、わたしは死んではいず、世界中で生きていけるということではないか
塩野七生 『ローマ人の物語28 すべての道はローマに通ず [下]』(新潮文庫,2006)135p
いやはやまったく、オレの命はどの医者に預ければよいのかね
塩野七生 『ローマ人の物語28 すべての道はローマに通ず [下]』(新潮文庫,2006)123p
マルティアリス
11
マルクス・ウァレリウス・マルティアリス(マールティアーリス、Marcus Val...-ウィキペディア
早くて安全な交通手段や清らかな水の安定配給がもたらす利点を、
ローマ人とは考え方のちがう民族に理解させ納得させるには、
彼らの眼前に実物を示し、彼ら自らに体験させるしかない。
塩野七生 『ローマ人の物語28 すべての道はローマに通ず [下]』(新潮文庫,2006)60p
インフラとは、需要があるからやることではなく、
需要を喚起するためにやることであるのかもしれない。
塩野七生 『ローマ人の物語28 すべての道はローマに通ず [下]』(新潮文庫,2006)22p
法律もまた、立派なインフラである。
塩野七生 『ローマ人の物語27 すべての道はローマに通ず [上]』(新潮文庫,2006)232p
メディアとは、犬が人間に噛みついたのでは記事にはしないが、
人間が犬に噛みつけば記事にする、と言われる人々である。
塩野七生 『ローマ人の物語27 すべての道はローマに通ず [上]』(新潮文庫,2006)188p
システムとは、衆に優れた力(パワー)に恵まれた人のためにあるのではなく、
一般の人々の力に合致し、その人々の必要性までも満たすものでなければならない。
塩野七生 『ローマ人の物語27 すべての道はローマに通ず [上]』(新潮文庫,2006)172p
ローマ軍は、兵站(へいたん・ロジティクス)で勝つ
塩野七生 『ローマ人の物語27 すべての道はローマに通ず [上]』(新潮文庫,2006)164p
道は、人が足を踏み固めただけでもできる。
だから、人間の住むところならば、道は必ず存在する。
塩野七生 『ローマ人の物語27 すべての道はローマに通ず [上]』(新潮文庫,2006)78p
感情を抑制するのに、賢者の哲学も皇帝の権力も何の役にも立たないときがある。
そのようなときには、男であることを思い起こして耐えるしかない
塩野七生 『ローマ人の物語26 賢帝の世紀 [下]』(新潮文庫,2006)162p
誰にでも親切にするのが職務である、聖職者やそのたぐいの人々は別とする。
誰に対しても親切、ということは、誰に対してもほんとうには親切ではない
塩野七生 『ローマ人の物語26 賢帝の世紀 [下]』(新潮文庫,2006)61p
ローマ人は、
思わぬ幸運に恵まれて成功するよりも、
情況の厳密な調査をしたうえでの失敗のほうを良しとする
塩野七生 『ローマ人の物語26 賢帝の世紀 [下]』(新潮文庫,2006)43p
ホンダの社会がアメリカ人でも他のどの国の人になってもかまわない、
ホンダのスピリットさえ受け継いでくれるならば
塩野七生 『ローマ人の物語25 賢帝の世紀 [中]』(新潮文庫,2006)107p