原文

コラム 日本語の中の『論語』
原文:子曰く、朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり
現代語訳:朝に、人間として大切な道理を聞いて悟りに到達できれば、その日の夕方に信でもかまわない

朝(あした)に道を聞かば夕べに死すとも可なり

里仁第四-8
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)198p

     論語は宇宙一の書とされる。その因としてこの言葉が論語にあることが貴重だと思う。即ち、多の歴史的書物にないところの真理がこの言葉に含められている。もちろん、一般に言われているところの「朝、道を聞いたら、その日の夕方に死んでも、本望である。」というのではない。
     
    この言葉は『ひとの人生には、「可」と「不可」があることを表し、人の人生が「可」となるためには、唯一、道を人から教わる必要がある』ということを意味している。人から教わる道とは何か?私は「大自然」にかかわるものだと思うが、説明は出来ない。また自分でつかみきろうとしてもできないものである。どうか「可」となるように努力し、人に教えられる「縁」を求めてほしい。
    鉄のわらじを踏み破れども明師に合いがたし。(弘法大師) - warau1943
コラム 日本語の中の『論語』
人の犯した過失を見て、その人が仁者かそうでないかが分かる
原文:子曰く、人の過つや、各々其の党(たぐい)に於てす。過ちを観て斯(ここ)に仁を知る
現代語訳:孔子が言われた。人の過失はその人の素質と関係があり、その過ちを観察するだけでその人が仁者かどうかがわかる

過ちを見て仁を知る

里仁第四-7
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)198p
コラム 日本語の中の『論語』
原文:子曰く、巧言令色鮮(すくな)し仁
現代語訳:口先がうまく顔色をつくろったりする者には、人の道を心得た者が少ない

巧言令色少なし仁

学而第一-3
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)199p
コラム 日本語の中の『論語』
原文:回(顔回)や一を聞きて以て十を知る
一つのことを聞いて残りのすべてを理解すること。聡明であることのたとえ

一を聞いて十を知る

公治長第五-9
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)198p
コラム 日本語の中の『論語』
古いことを調べ研究し、そこから新しい知識や考えを得る
原文:子曰く、故きを温めて新しきを知る、以(もっ)て師と為るべし
古いことも新しいこともよく知って、はじめて人の師になれる

温故知新

為政第二-11
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)198p
コラム 日本語の中の『論語』
原文:禹は吾れ間然とすること無し
まったく非の打ち所がなく、非難の余地もない

間然するところなし

泰伯第八-21
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)198p
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コラム 日本語の中の『論語』
原文:義を見てせざるは勇なきなり
現代語訳:人の道として当然行うべきことと知りながら、実行しないのは勇気がないということだ

義を見てせざるは勇なきなり

為政第二-24
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)198p
コラム 日本語の中の『論語』
原文:子曰く、民の義を務め、鬼神を敬してこれを遠ざく、知と謂うべし
敬うような態度を見せて、近づくのを避けること。ふつうは、意識的に避けることをいう

敬遠

雍也第六-22
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)P199(P99参照)
コラム 日本語の中の『論語』
原文:子曰く、剛毅木訥(ごうきぼくとつ)、仁に近し
現代語訳:石が強く飾り気がなく口下手な人は、仁者に近い。「木訥」のみで使うことが多い

剛毅木訥は仁に近し

子路第十三-27
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)P199
コラム 日本語の中の『論語』
原文:子曰く、後世畏るべし
現代語訳:後進の者は、本人の努力次第で将来どんな人物に成長するかわからないので、あなどってはいけない

後世おそるべし

子罕第九-23
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)P199

    うむ - 銘無き石碑
コラム 日本語の中の『論語』
原文:子曰く、己れを克(せ)めて礼に復(かえ)るを仁と為す
私欲や邪念に打ち勝ち、礼儀に従うようにする

克己復礼(こっきふくれい)

顔淵第十二-1
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)P199(P131参照)
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コラム 日本語の中の『論語』
原文:子曰く、暴虎馮河して死して悔いなき者は、吾れ与にせざるなり
血気にはやった無謀で危険な行い

暴虎馮河

述而第七-10
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)P199(P90参照)
コラム 日本語の中の『論語』
人びとを教え導く人。木鐸は木製の舌のついてある鉄製の鈴で、法令を人々にふれるときにならしたもの
原文:天、将に夫子を以って木鐸(ぼくたく)と為さんとす
現代語訳:天は、先生を木鐸として正しい道を後世に伝えさせようとしています。

木鐸

八佾第三
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)P199
コラム 日本語の中の『論語』
原文:子曰く、君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず
協調することは大切だが、道理が外れたことに対して妥協することはない

和して同ぜず

子路第十三-23
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)P199
第3章 自己を完成する「仁」の道
原文:子曰、仁遠乎哉、我欲仁、斯仁至矣
現代語訳:孔子がおっしゃった。「仁徳は遠いところにあるものだろうか? 仁を求めようと決心を固めれば、仁はやってきているのだ」

子曰く、仁遠からんや。我仁を欲せば、斯(ここ)に仁至る。

述而第七-29
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)P68
第2章 偉大なる人間―孔子の素顔
原文:子曰、道不行、乗桴浮干海
現代語訳:理想の周の社会を作ろうとしたが、結局、だめだった。これからどうしようか。
そうだ、いかだに乗って川を下り海に出て、東の国でも目指そうか

子曰く、道行われず、桴(いかだ)に乗りて海に浮かばん。

公治長第五-7
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)P56
第2章 偉大なる人間―孔子の素顔
原文:子曰、夫召我者、而豈徒哉、如有用我者、吾其為東周乎
現代語訳:(公山不擾が)私に頼みにきたんだから、それなりのことをさせてくれるのじゃないか。
だとしたら私は周の理想の政治をここで実現してみせようではないか

子曰く、夫れ我を召ぶ者にして豈徒ならんや。
如し我を用うる者あらば、吾は其れ東周を為さんか。

陽貨第十七-5
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)P51
第2章 偉大なる人間―孔子の素顔
原文:子曰、吾十有五而志乎学、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而従心所欲、不踰矩

子曰く、吾れ十有五にして学に志ざす。
三十にして立つ。
四十にして惑ず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順う。
七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。

為政第二-4
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)P45
第3章 自己を完成する「仁」の道
原文:子曰、不仁者不可以久処約、不可以長処楽、仁者安仁、知者利仁
現代語訳:孔子がおっしゃった。「仁徳のない人は長く逆境に耐えることはできず、また、長く安楽を享受することもできない。仁徳のある人は、仁の道に安住し、聡明な人は仁の道をどこに施したらよいか分かっている」

子曰く、不仁者は以って久しく約に処(お)るべからず。
仁者は仁に安んじ、知者は仁を利とす。

里仁第四-2
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)P71
第3章 自己を完成する「仁」の道
原文:子曰、惟仁者能好人、能悪人
現代語訳:孔子がおっしゃった。「仁徳のある人だけが、本当に人を愛したり、人を憎んだりすることができる」

子曰く、惟(ただ)仁者のみ能(よ)く人を好み、能く人を悪(にく)む。

里仁第四-3
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)P75
第3章 自己を完成する「仁」の道
原文:子曰、知者楽水、仁者楽山、知者動、仁者静、知者楽、仁者寿
現代語訳:孔子がおっしゃった。「聡明な人は水を愛し、仁徳のある人は山を愛す。
聡明な人は動を好み、仁徳のある人は静を好む。聡明な人は楽しみ、仁徳のある人は長命である」

子曰く、知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。
知者は動き、仁者は静かなり。知者は楽しみ、仁者は寿(いのちなが)し。

擁也第六-23
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)P77
第4章 人と人を結びつける「信」と「義」
原文:子貢問政、子曰、足食足兵、民信之矣、子貢曰、必不得已而去、於斯三者、何先、曰去兵、
曰必不得已而去、於斯二者、何先、曰去食、自古皆有死、民無信不立
現代語訳:子貢が政治について尋ねた。孔子が言われた。「食料を豊富にし、軍備を充実させ、人民の信用を得ることである。」
子貢言った。「もしどうしてもやむを得ない事情でこの三つのうちひとつを省くとしたら、どれを真っ先にとりますか。」孔子が言った。「軍備だね」。
「もしどうしてもやむを得ない事情で、残った二つのうちさらにひとつを省くとしたら、どれにしますか?」。
孔子が言われた。「食糧だね。どんな人間でも昔からいつかは死ぬとされているが、人民が信用しなくなったら国は成り立たないよ」

子貢、政を問う。子の曰く、食を足し兵を足し、民をしてこれを信ぜしむ。
子貢が曰く、
必ず已(や)むを得ずして去らば、斯の三者に於て何(いず)れをか先きにせん。
曰く、兵を去らん。
曰く、必ず已むを得ずして去らば、斯の二者に於て何ずれをか先きにせん。
曰く、食を去らん。古(いにしえ)より皆死あり、民は信なくんば立たず。

顔淵第十二-7
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)P85
第4章 人と人を結びつける「信」と「義」
原文:子曰、非其鬼而祭之、諂也、見義不為、無勇也
現代語訳:孔子がおっしゃった。
「自分が祭るべき先祖でもないのに、それを祭るのは単なるへつらいにすぎない。当然行うべきことと知りながら、それを実行しないのは勇気がないからだ」

子曰わく、其の鬼に非ずしてこれを祭るは、諂いなり。義を見て為ざるは勇なきなり。

為政第二-24
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)P92
第5章 「知」と「学」が日本を救う
原文:子曰、知者不惑、仁者不憂、勇者不懼
現代語訳:孔子がおっしゃった。「聡明な人は少しも惑わず、仁徳のある人は憂いも心配なく、勇敢な人は恐れることはない」

子曰く、知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼(おそ)れず。

子罕第九-107
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)P107
第5章 「知」と「学」が日本を救う
原文:子曰、我三人行、必得我師焉、擇其善者而從之、其不善者改之
現代語訳:孔子がおっしゃった。「三人が連れだって行けば、必ず手本となる先生がいるものだ。
その中に長所があれば積極的に学び、欠点があれば戒めとしてそれを改めるようにしている」

子の曰わく、我れ三人行なえば必ず我が師を得る。
其の善き者を択びてこれに従う。其の善からざる者にして、これを改む。

述而第七-21
孔健『痛快!新論語学』(集英社インターナショナル,2003)P114