学問のすすめ
富んで力が強いからって、貧しく弱い者へ無理な要求を押しつけることは
生活の違いをかさに着て、他人の権利を侵害する行為ではないか。
富強の勢いをもって貧弱なる者へ無理を加えんとするは、有様の不同なるがゆえにとて他の権理を害するにあらずや。
法を設け人民を保護するのは、政府の商売であり当然の義務である。
それは御恩ではない。
法を設けて人民を保護するはもと政府の商売柄にて当然の職分なり。これを御恩と言うべからず。
人間が努力するかしないか、その結果によって、今日の愚か者も明日は賢人たり得るし
むかし富強を誇った者も、現在は貧しい者になるかもしれない。
むかしから歴史にはその例が少なくない。
貧富・強弱の有様は天然の約束にあらず、人の勉と不勉とによりて移り変わるべきものにて、今日の愚人も明日は智者となるべく、昔年の富強も今世の貧弱となるべし。古今その例少なからず。
道義を守る国とわが国は外交を持ち、道義なき国とは勇気を持って交渉を打ち破るのみである。
道理あるものはこれに交わり、道理なきものはこれを打ち払わんのみ。
日本人の某という姓名を持ち、その肩書きとして、われわれは「日本人」という国民の立場を背負っているのだ。さらにわれわれは、日本で生活し、そこで自由に行動する権利を持っている。その権利を有する以上、当然それに伴う責任がなくてはならないはずである。
日本国の誰、英国の誰と、その姓名の肩書に国の名あればその国に住居し、起居眠食、自由自在なるの権義あり。すでにその権義あればまたしたがってその職分なかるべからず。
独立の精神なき者は、つねに他人をあてにする。
他人をあてにする者は、必ず他人の態度を気にする。
他人を気にする者は、必ず他人にお世辞を使う。
独立の気力なき者は必ず人に依頼す、人に依頼する者は必ず人を恐る、人を恐るる者は必ず人に諛うものなり。常に人を恐れ人に諛う者はしだいにこれに慣れ、その面の皮、鉄のごとくなりて、恥ずべきを恥じず、論ずべきを論ぜず、人をさえ見ればただ腰を屈するのみ。
ことばも賤しく、態度も卑屈で、目上の人には一言も逆らわず
立てと言われれば立ち、踊れと言われれば踊り、その態度はまるで痩せた飼い犬だ。
平民の根性は依然として旧の平民に異ならず、言語も賤しく応接も賤しく、目上の人に逢えば一言半句の理屈を述ぶること能わず、立てと言えば立ち、舞えと言えば舞い、その柔順なること家に飼いたる痩せ犬のごとし。実に無気無力の鉄面皮と言うべし。
自由のない社会であれば、人民に気力がないほうが、政府としては便利であろう。
昔鎖国の世に旧幕府のごとき窮屈なる政を行なう時代なれば、人民に気力なきもその政事に差しつかえざるのみならずかえって便利なるゆえ、ことさらにこれを無智に陥れ、無理に柔順ならしむるをもって役人の得意となせしことなれども、今、外国と交わるの日に至りてはこれがため大なる弊害あり。
疑いようのないことなら議論は起こらないだろう
この諸説はわが独立の保つべきと否とについての疑問なり。事に疑いあらざれば問いのよって起こるべき理なし。今試みに英国に行き、「ブリテンの独立保つべきや否や」と言いてこれを問わば、人みな笑いて答うる者なかるべし。
わが国の人民は数千年に渡り専制政治に苦しめられてきた。
心に思うことを口に出せない、嘘をついてでも身の安全を考え
だましてでも罪を逃れ、嘘やごまかしが生活の手段となり
不誠実が日常習慣となり、恥じる者、怪しむ者もなく
一身のいさぎよさなどすべて消え、まして国を思うことなど、まるでなかった。
わが全国の人民数千百年専制の政治に窘しめられ、人々その心に思うところを発露すること能わず、欺きて安全を偸み、詐りて罪を遁れ、欺詐術策は人生必需の具となり、不誠不実は日常の習慣となり、恥ずる者もなく怪しむ者もなく、一身の廉恥すでに地を払いて尽きたり、豈国を思うに遑あらんや。
個人としては智者だが、官吏としては愚者である。
一人の時は賢人で、集団では暗愚な民衆となる。
私にありては智なり、官にありては愚なり。これを散ずれば明なり、これを集むれば暗なり。
政府は、多くの智者が集まって一つの愚行をするところを言えるだろう。
なんということか。
政府は衆智者の集まるところにして一愚人の事を行なうものと言うべし。豈怪しまざるを得んや。
政府が威を持って臨めば、民は虚偽で応えるだろう。
政府が民をだませば、民は表面を取り繕うだろう。
政府威を用うれば人民は偽をもってこれに応ぜん、政府欺を用うれば人民は容を作りてこれに従わんのみ。これを上策と言うべからず。
政府が日本の政府なら、人民も日本の人民だ。
それなら政府を恐れず近づくべきだし、親しむべきで、疑う必要などない。
政府も日本の政府なり、人民も日本の人民なり、政府は恐るべからず近づくべし、疑うべからず親しむべし
知識人として国家を憂える人間に、無芸な人物がいるわけはない。
身についた能力で世を渡ることなどわけはない。
すでにみずから学者と唱えて天下の事を患うる者、豈無芸の人物あらんや。芸をもって口を糊するは難きにあらず。
同じ労働で公務のほうが割りがいいというなら、それは不当な国費の乱用である。
もし官の事務易くしてその利益私の営業よりも多きことあらば、すなわちその利益は働きの実に過ぎたるものと言うべし。実に過ぐるの利を貪るは君子のなさざるところなり。
相手に劣等感を持ってしまったら、たとえ自分に多少の知識があっても
それを外に向かって広めることができようか。
他に対してすでに恐怖の心をいだくときは、たとい、我にいささか得るところあるもこれを外に施すに由なし。
進歩しないものはすたれ、退かず努力するものは必ず前進する
おおよそ世間の事物、進まざる者は必ず退き、退かざる者は必ず進む。進まず退かずして潴滞する者はあるべからざるの理なり。
昔の民は、政府を鬼のように恐れた。
今の民は、政府を神のように拝む。
古の民は政府を視ること鬼のごとくし、今の民はこれを視ること神のごとくす。古の民は政府を恐れ、今の民は政府を拝む。
読書は学問の手段である。学問は実践への方法である。
実地に臨み経験を積んでこそ、勇気と力が生まれるはずである。
読書は学問の術なり、学問は事をなすの術なり。実地に接して事に慣るるにあらざればけっして勇力を生ずべからず。
国民が政府に従うというのは、政府が作った法に従うのではなくて
自分たちが作った法に従うということである。
国民の政府に従うは政府の作りし法に従うにあらず、みずから作りし法に従うなり。
私刑の最たるもので、極度に政治を歪めるものは、暗殺である。
私裁のもっともはなはだしくして、政を害するのもっとも大なるものは暗殺なり。
考えてもみたまえ。古今東西、暗殺で世界情勢がよくなり、世の中が幸福になった事例など、いまだかつて一度もなかったではないか。
試みに見よ、天下古今の実験に、暗殺をもってよく事をなし世間の幸福を増したるものは、いまだかつてこれあらざるなり。
わが楽しみは、人も楽しむところなのだから、他人の楽しみを横取りすべきではない。
わが楽しむところのものは他人もまたこれを楽しむがゆえに、他人の楽しみを奪いてわが楽しみを増すべからず
政府によって決められた法は、たとえそれがバカげており、不便であろうとも、勝手にこれを破る道理はない。
国の政体によりて定まりし法は、たといあるいは愚かなるも、あるいは不便なるも、みだりにこれを破るの理なし。師を起こすも外国と条約を結ぶも政府の権にあることにて、この権はもと約束にて人民より政府へ与えたるものなれば、政府の政に関係なき者はけっしてそのことを評議すべからず。