民主主義


(富裕層が実権を握る現代社会では、富裕層への増税が実現できるかは疑問が残るが)
税は国ごとの政治判断で導入される。民主的な国なら不可能ではない。

トマ・ピケティ 34

フランスの経済学者。クリシー出身。経済学博士。パリの高等師範学校の出身で、経済的...-ウィキペディア

第12章◆ 21世紀の羅針盤

「外交は国民全体の仕事」なのだ

船橋洋一『痛快!国際政治学』(集英社インターナショナル,2002)P197

「政治家」の多くは自分の力量を6ヶ月も世に晒すことになれば
きわめて頼りない香具師であったことが早くもバレてしまい、
世間の誰からも冷笑と軽蔑を浴びせられ、途方にくれながら、
自分が完全に無能だったことをまぎれもなく証明している

1918年革命以後の民主主義政権について
アドルフ・ヒトラー 372

オーストリア及びドイツ国の政治家、軍人、画家。 文献によってはヒットラー、ヒッ...-ウィキペディア

いっきょに民主国家が実現するのではなく、
徐々に、段階を追って歴史は発展していくのである。

AERA Mook 36『幕末学のみかた。』(朝日新聞社,1998)P93
三宅紹宣 1

1949年生まれ。広島大学学校教育学部教授。

この理想が一般に行き渡らぬ以上は、どの政治家も勝手に証文を破棄したり、
あるいは最初から実行する意志のないような約束を
選挙民にしたりするようなことをはばからずに行うのである。

この理想とは、「紳士と淑女(によって構成されるような社会)」を指す。
リヒャルト・クーデンホーフ・カレルギー 1

リヒャルト・ニコラウス・栄次郎・クーデンホーフ=カレルギー。1894年生。オース...

この運動は反議会主義的であり、
運動が議会制度に参加すること自体が、
ただそれを破壊するための、
つまりわれわれが人類の最も深刻な退廃現象の一つと認めなければならない制度を
取り除くための活動という意味しか持ちえない。

わが闘争より
アドルフ・ヒトラー 372

オーストリア及びドイツ国の政治家、軍人、画家。 文献によってはヒットラー、ヒッ...-ウィキペディア

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これら国民から選ばれた者が、知性や精神においても選ばれた者であるとは
どうしても信じられない!

国会議員について
アドルフ・ヒトラー 372

オーストリア及びドイツ国の政治家、軍人、画家。 文献によってはヒットラー、ヒッ...-ウィキペディア

そうだとも、われわれはおまえたちが犯罪に値するようなバカさで
怠ってきたことを埋めあわせようとしているだけなのだ。
おまえたちの議会主義的な愚行によって、国民は奈落にひきずりこまれたのだ。

アドルフ・ヒトラー 372

オーストリア及びドイツ国の政治家、軍人、画家。 文献によってはヒットラー、ヒッ...-ウィキペディア

われわれがつねに世論と呼んでいるものは、自ら得た経験や個々人の認識に基づく割合は小さくて、大部分はいわゆる「啓蒙」という種類のものによって呼び起こされる。

信仰上の態度決定が教育の結果であり、宗教そのものは人間の内心で眠っているに過ぎないのと同じように
大衆の政治的意見も往々にして、まったく信じられないほど強靭で徹底的な加工を、心と理性に施した結果であるに過ぎない。
アドルフ・ヒトラー 372

オーストリア及びドイツ国の政治家、軍人、画家。 文献によってはヒットラー、ヒッ...-ウィキペディア

第13章◆憲法はよみがえるか

アメリカ人は、
さながら野の花のごとく、民主主義はどこにでも咲くものだと信じて疑わない。
(中略)
まさにアメリカはデモクラシー教、資本主義教の総本山です。

小室直樹『痛快!憲法学』(集英社インターナショナル,2001)264p

オーストリアにいた私は一つの誤りから別の誤りへと簡単に陥ることはできなかった。
議会は何の役にも立たないが、ハプスブルグ王家はそれ以上に役に立たないからだ。

もし当時ドイツにいたなら、安易な答えに飛びついていただろう。
議会という笑うべき制度への失望をベルリンで味わったならば、深く考えもせず皇帝中心思想にのめり込んでいたに違いない。
アドルフ・ヒトラー 372

オーストリア及びドイツ国の政治家、軍人、画家。 文献によってはヒットラー、ヒッ...-ウィキペディア

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オーストリア議会の不幸はドイツ人が多数を占めていないことだと考えていた。
だがいまや議会制度その本質にそもそも災いがあるのだと思えた。

そうだ、わたしは議会そのものをもはや認めることができなくなったのだ。
アドルフ・ヒトラー 372

オーストリア及びドイツ国の政治家、軍人、画家。 文献によってはヒットラー、ヒッ...-ウィキペディア

デモクラシーというものは、腐敗した少数派の取り決めによる選挙に取って代わった、
無能な多数者によるそれである。

「革命主義者の為の格言」より
ジョージ・バーナード・ショー 70

ジョージ・バーナード・ショー(George Bernard Shaw, 1856...-ウィキペディア

デモクラシーのあらゆる邪悪は、
よりいっそうのデモクラシーによって見いだされ得る。

「アルバニィにおける演説」より

デモクラシーの儀式、その祝宴、その大いなる機能は選挙である。

「デモクラシー」より
ウェールズ 4

イギリスの作家・文明評論家

デモクラシーの潮流は万事において凡庸であることである。

「アメリカの民主主義者」より
ジェームス・クーパー 2

アメリカの作家・批評家 本名はジェイムズ・フェニモア・クーパー

デモクラシーの社会的更新は、
その勝利の前提と保証である。

「デモクラシーの来るべき勝利」より
トーマス・マン 13

パウル・トーマス・マン(Paul Thomas Mann、1875年6月6日 -...-ウィキペディア

デモクラシーは、いかなる人にも己自身の抑圧者となる権利を与える。

「演説」より
ジェイムズ・ラッセル・ローウェル 8

アメリカ合衆国のロマン主義の詩人であり、批評家、編集者、かつ外交官でもあった。イ...-ウィキペディア

デモクラシーは、いかなる点にて平等ならば、
あらゆる点においても平等なり、
と考える人々から台頭す。

「政治学」より
アリストテレス 53

古代ギリシアの哲学者である。 プラトンの弟子であり、ソクラテス、プラトンととも...-ウィキペディア

デモクラシーは人民の、人民による、人民のための政治である。

「ゲティスパーグにおける演説」より
エイブラハム・リンカーン 24

アメリカ合衆国の政治家、弁護士である。名前は、アブラハム、姓はリンカンと表記され...-ウィキペディア


    はじめまして。
    人間が生きて行く途上で、様々な試練や悩みがあります。
    最近、「死にたい」とか「人を殺したい」という人が急増しているように感じていますね。
    人は一体、何のために生きているのでしょうか。
    人はどこから来て
    何のために、勉強し、働き、生きて
    どこへ向かっているのでしょうか。
    なぜ、人は孤独なのでしょうか。
    愛とは何か、生きる意味、死とは何かなどのことについて、ブログで分かりやすく聖書から福音を書き綴って来ました。
    ひまなときにご訪問下さい。
    http://blog.goo.ne.jp/goo1639/
    「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(聖書)                   
    ★私のブログから:「生きる目的は一体何か」
    http://blog.goo.ne.jp/goo1639/m/200705
    「人生の目的と意味は何か」:
    http://blog.goo.ne.jp/goo1639/d/20060519 - Mr.Jyoseph

デモクラシーは単に人民の、人民による、人民のために、
こん棒で打ち倒すことを意味する。

「社会主義のもとの人間の魂」より
オスカー・ワイルド 100

アイルランド出身の詩人、作家、劇作家。 耽美的・退廃的・懐疑的だった19世紀末...-ウィキペディア

デモクラシーは教育のないものによる統治を意味するが、
他方、貴族政治は悪い教育による統治を意味する。

「インタビュー」より
ギルバート・ケイス・チェスタートン 12

ギルバート・キース・チェスタトン(英: Gilbert Keith Cheste...-ウィキペディア

第12章◆角栄死して、憲法も死んだ
昭和の日本では、(この)軍人たちを支持する人々が増えてきた。非効率な議会政治はコリゴリだ。
軍人さんのほうが、代議士よりも日本のことを心配している。彼らに政治を任せたらどうだと考える人たちが国民の中に増えてきた。

デモクラシーを殺すのは独裁者にあらず。
デモクラシーを食い殺すのは、デモクラシー自身です。

小室直樹『痛快!憲法学』(集英社インターナショナル,2001)232p

ローマの奴隷は鎖によって、賃金労働者は見えない糸によって、その所有者に繋がれている。賃金労働者の独立という外観は、個々の雇い主が絶えず替わることによって、また契約という擬制によって維持されているのである。

『資本論』(第1巻)より
カール・マルクス 50

ドイツ・プロイセン王国出身の哲学者、思想家、経済学者、革命家。1845年にプロイ...-ウィキペディア

一般意志は、つねに正しく、つねに公の利益を目ざす

ジャン=ジャック・ルソー 50

フランス語圏ジュネーヴ共和国に生まれ、主にフランスで活躍した哲学者、政治哲学者、...-ウィキペディア