評論家
Jポップとは「巨大化し、洋楽化した邦楽」なのだ。
日本の著述家、ジャーナリスト、音楽評論家。
「独断」でもいいんだよ。
そもそも言論圏というのは、もっと荒々しいフィールドであるべきなんだ。
思想の自由市場というのは、綺麗に塗装された平坦な道路じゃなくて、地肌が剥き出しで、
岩や石がゴロゴロしていて、そこかしこに凹凸がある。そんな道であるべきなんです。
そのように議論誘発性込み、可謬性込みの自由でなければ、
言論の自由なんて意味がないと思う。
1962年10月10日生まれ。日本の評論家およびコメンテーター。
「資本論」と「窓際のトットちゃん」とを同じ水準で、まったくおなじ文体と言語で論ずべきだ。
いいことを照れもせずにいう奴は、みんな疑ったほうがいいぞ。
おそらく、近代日本の社会にあって、もっともおそろしい思想的な力となっているのは、
社会的な関係や、社会の構造物がそのまま、
自然物のような強固な秩序として認識されるということであろう。
すぐれた写真であれば、一枚の絵画と同じように、
写真そのものが語る衝撃性や怒りやユーモアなどが生きいきと伝わってくる。
1936年6月9日生まれ。ノンフィクション作家、評論家。
とくにありません
そういうものは、とくにありません。
1940年5月28日生まれ。日本のジャーナリスト・ノンフィクション作家・評論家。...
どんなに社会的な制度が変わろうと、いくら痒くても背中はかきづらい。
ひとは、いつも論理自体によってうごかされることはない。
ただ未知の領域にあくなき論理によって肉迫しようとする思想にうごかされるのだ。
ぼくの孤独はとんど極限に耐えられる ぼくの肉体はほとんど苛酷に耐えられる
ぼくがたおれたらひとつの直接性がたおれる もたれあうことをきらった反抗がたおれる
ぼくはきみたちの標本箱のなかで死ぬわけにはいかない
ぼくはでてゆく 冬の圧力の真むこうへ
ひとりっきりで耐えられないから たくさんのひとと手をつなぐというのは嘘だから
わからないのに、わかっているように言うことを、
とにかく警戒すればいいんじゃないですか。
アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮だ
1903年9月11日 - 1969年8月6日 ドイツの哲学者、社会学者、音楽評論...
オペラはストレス発散の最高の芸術であると同時に、
自己発見への扉を開けてくれる芸術なのです。
1938年生まれ。音楽評論家。
サルトルのように「戦争」をえらぼうともおもわないしまた「平和」をえらぼうともおもわない。
ただ「未知」をえらぶだけだ。
この新宿駅前の集会にも、6・11のデモで来ています。
私はデモに行くようになってから、デモに関していろいろ質問を受けるようになりました。
それらはほとんど否定的な疑問です。たとえば、「デモをして社会を変えられるのか」というような質問です。
それに対して、私はこのように答えます。
デモをすることによって社会を変えることは、確実にできる。
なぜなら、デモをすることによって、日本の社会は、人がデモをする社会に変わるからです。
(associations.jp)
1941年8月6日生まれ。日本の文芸評論家、思想家。
ナメて、まじめにやる
テリー いとう 1949年12月27日 - 日本の演出家、テレビプロデューサー...
バイオレンス映画に人気があるのは人間が攻撃本能をもっているからで、
人々は実生活で不可能な暴力や破壊を映像の世界に求めている
モードには、アクチュアルなものへの嗅覚がある
1892年7月15日 - 1940年9月26日 ドイツの文芸評論家。思想家、翻訳...
モードは、感情移入のそのつどの最新基準を決める。
1892年7月15日 - 1940年9月26日 ドイツの文芸評論家。思想家、翻訳...
モードは新しきものの永遠回帰である。
にもかかわらず、まさにモードの中に救出の契機があるだろうか?
1892年7月15日 - 1940年9月26日 ドイツの文芸評論家。思想家、翻訳...
人は他者によって作られたじぶんに責任を負わなければならない。
人間は自由と言う刑に処せられている
フランスの哲学者、小説家、劇作家。内縁の妻はシモーヌ・ド・ボーヴォワール。右目に...-ウィキペディア
人間をよく理解する方法は、たった一つしかない。
それは、彼らを急いで判断せず、彼らのかたわらで暮らし、
彼らがみずから思うところを言うにまかせ、
ついにぼくらの内に、彼らが自画像を描きだすまで待つことだ
1804年12月23日ブローニュ=シュル=メール - 1869年10月13日パリ...