医療

一つの価値に縛られることなく、一本の爪楊枝があるときは耳掻きに、
あるときは杖に、またあるときは電信柱に見えるという思考のしなやかさが大事である。

AERA Mook 57『看護学がわかる。』(朝日新聞社,2000)P30
小黒道子 1

産婦人科医。

看護学はサポーターだ。

AERA Mook 57『看護学がわかる。』(朝日新聞社,2000)P1
第8章◆ 大量破壊兵器

見えない敵ほど、恐怖感を煽るものはない。

船橋洋一『痛快!国際政治学』(集英社インターナショナル,2002)P133
第8章◆ 大量破壊兵器
湾岸戦争でイラクが炭素菌を使った際の、サウジアラビア政府高官の言葉

兵士の分がないなら、せめて王族の分だけでもワクチンが欲しい

船橋洋一『痛快!国際政治学』(集英社インターナショナル,2002)P132
「洪庵のたいまつ」

医者がこの世で生活しているのは、人のためであって自分のためではない。
決して有名になろうと思うな。また利益を追おうとするな。
ただただ自分をすてよ。そして人を救うことだけを考えよ。

司馬遼太郎『対訳 21世紀に生きる君たちへ』(朝日出版社,1999)38p
緒方洪庵 5

江戸時代後期の武士(足守藩士)・医師・蘭学者。諱は惟章(これあき)または章(あき...-ウィキペディア

〝雪物語〟
Dr.くれは

いいかい 優しさだけじゃ人は救えないんだ!!!
人の命を救いたきゃ それなりの知識と医術を身につけな!!!
腕がなけりゃ 誰一人救えないんだよ!!!!

尾田栄一郎『ONE PIECE 巻十六』(集英社,2000)164p
ONE PIECE(ワンピース) 359

尾田栄一郎による日本の少年漫画作品。『週刊少年ジャンプ』(集英社)にて1997年...-ウィキペディア


    採ってきたキノコが毒かどうか言わないような奴のもとで知識や医術なんて身に付くわけないだろ!と読んだ時思いました。 - あき

    心が荒んでる奴がいるな - さんじ

    べつにくれはは毒がどうこうとか関係ないだろ - 銘無き石碑
広告
「神の領域」
マシューズ

私は、心臓を“特別なモノ”であると考えるコトには反対です‥‥‥
“歯が抜けたら入れ歯をする”‥‥‥本質的にはそれと同じだと思っています。

さいとう・たかを『ゴルゴ13 Volume77 神の領域』(リイド社,2006)18p
ゴルゴ13 157

さいとう・たかをによる日本の漫画。超一流のスナイパー(狙撃手)「ゴルゴ13」こと...-ウィキペディア

あらゆる取引が泥試合になりかねないし、
負けられない人は学べないから、成長できない。
負けない人だって努力するけれど、無目的に積んだ努力は、成熟に結びつかない。

負けかたを知らないままで社会に出た人は、負けないことでしか自己を保てない。

学校で討論を行う目的というものは、「負けかたを習う」というところにある。
勝つ工夫は誰でもするし、教えなくても努力するだろうけれど、
負けかたは教わらないと泥試合になるし、「負けない」協議をどれだけ重ねたところで、
負けかたは習得できない。

お互いが認容可能な負けパターンを持っているなら、
競技には納得のいく落としどころが生まれる。
負けないことの価値は相対的に下がって、落としどころに向かう過程を楽しめる。

広告

いい審判にゲームのジャッジをしてもらうことで、
競技者は納得のいく負けかたを習得することができる。

ゲームのルールや審判が競技者から信頼されて、初めて競技は成立する。

レジデント初期研修用資料(medt00lz.s59.xrea.com)より
お互いに納得のいく負けかたを審判が示すことができて、その判断が公正であると信頼されれば、競技者は気持ちよく負けられる。

審判は、そこにいる誰もが納得する「負け」のありかたを提案してみせないと、
ゲームはつまらないものになる。

誰かに「勝つ」、説得するのは難しいけれど、
誰かに「負けない」ための技術というものには典型的なやりかたがいくつかあって、
それを習得して再現するだけで、議論をグダグダにすることができる。

負けるというのは誰かの価値を受け入れることで、学びそのものでもある。

学校で学ぶべき、学校でしか学べない大切なものというのは、「負けかた」なのだと思う。

悪と叩く何かが、問題を常にちゃんと解決してくれていること」が、悪を叩ける前提になっていることがある。

世の中は「本当はこうあるべき」なのだけれど、
「悪い奴ら」が外面だけ取り繕っているから、
今の世の中がこれだけ腐っているにもかかわらず、一見するとそれなりに回って見える。

無駄を叩くのは気分がいい。必要な無駄に気がつくのには経験がいる。
無駄を叩く側からすると、必要な無駄をかばう人は「悪者」に見える。

「無駄の多い」上司の処方箋というものは、一種の保険でもあった。
四方に保険を掛けるような、スマートでないやりかたというものは、重圧のかかる環境にあっても自身を自由にするために、
どうしても必要な「アソビ」であったのだけれど、当時の自分には、それが「無駄」に見えた。

削ってはいけないアソビは、素人には真っ先に削るべきものに見えて、
そこを削ると、戻すのにとんでもない時間がかかる。

「部長の処方は今ひとつ」なんてえらそうに批判できた研修医の頃から、
その「今ひとつ」をようやく再現できるまで、結局10年近くかかった。

叩くのは気分がいいし、叩く人はしばしば賢しげに見えたりもする。
叩いて叩いて、現場を回してきた人たちが退場して、
叩いてきた人たちが勇躍リーダーになると、現場は固まる。
固まって、再び動き出すまで、恐らくは何年もかかる。

畳の「へり」なら転ばず歩けるのに、
それが地上10m の高さに置かれたそのとたん、足がすくんで動けなくなる。
模範解答を知っていることと、
実際に決断ができることとは全くと言っていいほど異なって、
いざ自分がその状況に置かれてみないと、その違いには気がつけない。

世界的に権威のある教科書(洋書)だから、信頼性なら完璧なのに、
いざそれを使おうとして、それを翻訳するのが自分であることに思い至って、
その本がいきなり信用できないものに変わった。

レジデント初期研修用資料(medt00lz.s59.xrea.com)より
普段は馬鹿にして、ろくに読みもしなかった日本語の「今日の治療指針」がありがたくて、それに頼ってようやく病棟を回すことができた。
謝罪というものが、事実と感情とを切り離す道具なのだとしたら、
説得という行為は、事実に対してその人が抱いた感情を表明して、生み出された感情と、相手の行動とを接着しようとする試みなんだと思う。

無理矢理の「説得」に対して、素早く「謝罪」を行うことで、
問題は初めて、事実だけを扱える。
謝罪なしに事実を論じると、恐らくはもっとこじれる。


    ADHDかな? - 銘無き石碑