医療
どんな薬より
どんな手術よりやっぱり
生きたい
という気持ちが大切だ
1950年3月1日生まれ。兵庫県出身の心臓血管外科医。
ただ一人の人間の命は、この地球上で一番豊かな人間の全財産よりも100万倍も価値がある。隣人のために尽くす誇りは、高い所得を得るよりもはるかに大切だ。蓄財できるすべての黄金よりも、はるかに決定的でいつまでも続くのは、人民たちの感謝の念なのである。
時は偉大な医者である
イギリスの政治家、小説家、貴族。 ユダヤ人でありながら保守党内で上り詰めること...-ウィキペディア
医者には社会的常識がかなり欠落している人が多い。
うちで何百人と扱っているからよくわかる。
俺は病気の怖さを人一倍よくわかってる。
だからこそ
医者になりたいんだ。
『最上の命医』(さいじょうのめいい)は、『週刊少年サンデー』(小学館)で連載中の...
医療は誰のためのものでしょうか?極論を言えば、私は患者一人一人の苦しみからの救済、手助けのためにあるのであって、国や法律や宗教などは一切関係ないと思っています。たとえ違法だろうが、患者は苦しみから救われる権利を人として当然有しており、誰かに不当な迷惑をかけるわけでもない限り、医師は患者に救いの手を差し伸べるべきだと思います。法律や社会が許さないといっても、そんなものは無視してよい・たとえ罰せられても医師として覚悟の上だ・国や法律ができる前から医療は存在してるんだというのが私の信念です。
性同一性障害(GID)は、体と心の性が一致せず、社会的、精神的に困難を抱える症状...
世の中は「本当はこうあるべき」なのだけれど、
「悪い奴ら」が外面だけ取り繕っているから、
今の世の中がこれだけ腐っているにもかかわらず、一見するとそれなりに回って見える。
ブロガー
無駄を叩くのは気分がいい。必要な無駄に気がつくのには経験がいる。
無駄を叩く側からすると、必要な無駄をかばう人は「悪者」に見える。
ブロガー
四方に保険を掛けるような、スマートでないやりかたというものは、重圧のかかる環境にあっても自身を自由にするために、
どうしても必要な「アソビ」であったのだけれど、当時の自分には、それが「無駄」に見えた。
削ってはいけないアソビは、素人には真っ先に削るべきものに見えて、
そこを削ると、戻すのにとんでもない時間がかかる。
ブロガー
「部長の処方は今ひとつ」なんてえらそうに批判できた研修医の頃から、
その「今ひとつ」をようやく再現できるまで、結局10年近くかかった。
ブロガー
叩くのは気分がいいし、叩く人はしばしば賢しげに見えたりもする。
叩いて叩いて、現場を回してきた人たちが退場して、
叩いてきた人たちが勇躍リーダーになると、現場は固まる。
固まって、再び動き出すまで、恐らくは何年もかかる。
ブロガー
畳の「へり」なら転ばず歩けるのに、
それが地上10m の高さに置かれたそのとたん、足がすくんで動けなくなる。
模範解答を知っていることと、
実際に決断ができることとは全くと言っていいほど異なって、
いざ自分がその状況に置かれてみないと、その違いには気がつけない。
ブロガー
世界的に権威のある教科書(洋書)だから、信頼性なら完璧なのに、
いざそれを使おうとして、それを翻訳するのが自分であることに思い至って、
その本がいきなり信用できないものに変わった。
普段は馬鹿にして、ろくに読みもしなかった日本語の「今日の治療指針」がありがたくて、それに頼ってようやく病棟を回すことができた。
ブロガー
説得という行為は、事実に対してその人が抱いた感情を表明して、生み出された感情と、相手の行動とを接着しようとする試みなんだと思う。
無理矢理の「説得」に対して、素早く「謝罪」を行うことで、
問題は初めて、事実だけを扱える。
謝罪なしに事実を論じると、恐らくはもっとこじれる。
ブロガー
学校で学ぶべき、学校でしか学べない大切なものというのは、「負けかた」なのだと思う。
ブロガー
負けるというのは誰かの価値を受け入れることで、学びそのものでもある。
ブロガー
審判は、そこにいる誰もが納得する「負け」のありかたを提案してみせないと、
ゲームはつまらないものになる。
ブロガー
ゲームのルールや審判が競技者から信頼されて、初めて競技は成立する。
お互いに納得のいく負けかたを審判が示すことができて、その判断が公正であると信頼されれば、競技者は気持ちよく負けられる。
ブロガー
いい審判にゲームのジャッジをしてもらうことで、
競技者は納得のいく負けかたを習得することができる。
ブロガー
お互いが認容可能な負けパターンを持っているなら、
競技には納得のいく落としどころが生まれる。
負けないことの価値は相対的に下がって、落としどころに向かう過程を楽しめる。
ブロガー
学校で討論を行う目的というものは、「負けかたを習う」というところにある。
勝つ工夫は誰でもするし、教えなくても努力するだろうけれど、
負けかたは教わらないと泥試合になるし、「負けない」協議をどれだけ重ねたところで、
負けかたは習得できない。
ブロガー
負けかたを知らないままで社会に出た人は、負けないことでしか自己を保てない。
ブロガー
あらゆる取引が泥試合になりかねないし、
負けられない人は学べないから、成長できない。
負けない人だって努力するけれど、無目的に積んだ努力は、成熟に結びつかない。
ブロガー
誰かに「勝つ」、説得するのは難しいけれど、
誰かに「負けない」ための技術というものには典型的なやりかたがいくつかあって、
それを習得して再現するだけで、議論をグダグダにすることができる。
ブロガー
マシューズ