医療
患者の痛みは、自分の痛み
職業:大腸内視鏡医
自分の経験と自分の知識とそれから技術と、それを総動員してかつ、
その結果についてすべての責任を負える人間、
それがやっぱりプロフェッショナルだと思います。
職業:大腸内視鏡医
私の中のこれまでの経験に基づいてできている直観を、信じて
揺るがないこと。そして、相手の方の力をそれ以上に信じて
あきらめない、そういう人だというふうに思います。
職業:がん看護専門看護師
やっぱり、できることはやらないとね
できることはやらないと
1963年生まれ。東京都出身の外科医。
ちょっとしつこいくらいの方が良いです
その時間がその後のね、回復にすごく大きく影響することがあります
実際やってもやんなくても変わらない時もあると思うんですよ
だけど、もしそれで変わることがあるなら やっぱり余計に費やす方が良いでしょう
1963年生まれ。東京都出身の外科医。
患者さんが亡くなるというのはやっぱり、医者としては敗北なんですね。
脳神経外科医。
医療というのは良かれと思うことに無限の努力する行為であると言われますけども、
その一つが(電気)レーザーメスだったということです。
脳神経外科医。
いかに今の機械がいいかと、それからいかに悪いかというとこを見てほしいと
脳神経外科医。
働くならば、金よりも知的好奇心を満たせ。
昭和時代の物理学者
困ったことがあるから面白いんだよ
1919年 -1980年 昭和時代後期の医師。
医学は不確実な科学だ
海軍軍医少佐、千葉大学長。
死は生の裏側にいつも存在するのであって、毎日生きていることは、
じつは毎日死んでいっていることであり、死は生の中で常に成長しているとも考えられる
1927年生まれ。京都文教大学学長。
人間は生きたように死ぬ
1927年生まれ。京都文教大学学長。
臨床医学が本当に扱わねばならないのは、
自分の死を含めた「生きている死」なのである。
1927年生まれ。京都文教大学学長。
我包帯す、神、癒し賜う
1510年 - 1590年12月20日 フランスの王室公式外科医。
Gu Prir quelquefois, soulager souvent, consoler toujours.
英文:To Cure occasionally, relieve often, console always.
ときに癒し、しばしば痛みを和らげ、そして絶えず励まし、勇気づける
1848-1873 ニューヨーク市生まれの結核医。
ホップ・ステップ・入院
手話は聞こえない人の暮らしの中から生まれてきた、目で見る言葉です。
1949年生まれ。手話通訳士。
医療福祉学はインターフェースだ。
愛は技術である
ドイツの社会心理学、精神分析、哲学の研究者である。ユダヤ系。マルクス主義とジーク...-ウィキペディア
患者を全人的に看よ
人間はどのような状況のなかでも、たとえ病気であっても、
生きがいを持って生きることができる。
そして、そのことが可能になるように支えることが看護なのだ。
1947年生まれ。聖マリアンナ医科大学横浜市西部病院看護部長。
看護のしなければならないことは、自然が働くように最善の状態に病人を置くことである
イギリスの看護師、社会起業家、統計学者、看護教育学者。近代看護教育の母。病院建築...-ウィキペディア
人間の傷つきやすさ、苦悩、疾病、死は、私たちをおとしめることはない、
私たちをおとしめるのは、
このようなことに近づかないようにして頑なに自分を守ろうとすることである
アメリカの看護理論家。