エーリヒ・フロム 31

1900年3月23日 - 1980年3月18日
ドイツの社会心理学、精神分析、哲学の研究者である。ユダヤ系。マルクス主義とジークムント・フロイトの精神分析を社会的性格論で結び付けた。新フロイト派、フロイト左派とされる。 フロム本人はエーリック・フロムと発音されることを望んでいたという。...-ウィキペディア

二元にとっての主な仕事は、自分自身を創造することである。

死ぬということは身を切るほどつらいものだが、
それにも増して生きた実感がないまま
死なねばならないと思うことは耐えがたい。

愛は技術である

『愛するということ』

二人の人間は、自分の交換価値の限界を考慮したうえで、
市場で手に入る最良の商品を見つけたと思ったときに、
恋に落ちる。

愛というものは、その人の成熟の度合いに関わりなく
誰もが簡単に浸れるような感情ではない

孤立は恥と罪悪感を生む。

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人間が完全に自然から離れることはない。
あくまで人間は自然の一部だ。

人間は理性を授けられている。
人間は自分自身を知っている生命である。

心の奥底から愛を求めているくせに、
ほとんどすべての物が愛よりも重要だと考えているのだ。

尊敬とは、その語源からもわかるように、
人間のありのままの姿をみて、
その人が唯一無二の存在であることを知る能力のことである。

愛することができるかどうかは、
ナルシシズムや、母親や身内にたいする近親相姦的な固着から、
どれくらい抜け出ているかによる。

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くだらない会話を避けることに劣らず重要なのが、
悪い仲間を避けるということである。

一人でいる努力をしてみれば、
それがいかにむずかしいかがわかるはずだ。

現代では、集中力を身につけることは規律よりもはるかにむずかしい。

与えることがすなわち与えられることだというのは、
別に愛に限った話ではない。

教師は生徒に教えられ、俳優は観客から刺激され、
精神分析医は患者によって癒される。

愛とは愛を生む力であり、
愛せないということは愛を生むことができないということである。

愛においては、二人が一人になり、
しかも二人でありつづけるという、
パラドックスが起きる。

この世に愛がなければ、
人類は一日たりとも生き延びることはできない。

母親の愛はその本質からして無条件である。

幼稚な愛は「愛されているから愛する」
という原則にしたがう。

成熟した愛は「愛するから愛される」という原則にしたがう。

異性に引かれる動機は、主として、性のもう一方の極と合一したいという欲求である。

人間が自分で意味を与えないかぎり、
人生には意味がない。

思考が達しうる最高の段階は、
自分の無知を知ることである。