哲学
日本の教育は、“子供を大人にしない”という傾向が強く、
無知のまま子供を社会に引き渡し、
会社などで“一人前”にするという高度成長型成熟モデルが支配的だった。
(1960~) 日本の教育学者。 東京大学大学院教授。 代表的著作は『学力...
私には、残念ながら日本の人文科学は、
伝統的学問の甚だ忠実な伝承学にすぎなかったように思われる。
日本的な研究者ムラ社会では、
長い間信じられてきた通説を根本的に懐疑することが難しかった。
日本の学界は、権威者が説こうが大ボスが語ろうが、
間違っていれば間違っていると断言する根本的な懐疑の精神に欠けているようである。
(1925~) 日本の哲学者。 国際日本文化研究センター初代所長。
1本の映画を100万人が1回観るのも、1万人が100回観るのも同じ。
(1951~) 日本の映画監督。
教育のために使えるものは使うという発想でとらえた。
もちろん、政治的に道徳を利用しないのが鉄則だ。
倫理や哲学が重要。
仁義忠孝のような徳目主義は意味がなく、教育的効果もない。
(1960~) 日本の教育学者。 東京大学大学院教授。 代表的著作は『学力...
医療費の自己負担が大きくなり、払えない人たちが出てくる。
お金のあるなしで医療にかかれる人とかかれない人が出てくる。
今の政治は格差を作る一方で社会保障は一応の形として国民に見せ、
素通りしようとしている。
米国なんかの医療に馳せ参じていくのがわかります。
(1924~) 日本の医者。『認知症の人と家族の会』顧問。 総合人間研究所所...
元気な医者が病院であぐらをかき、
しんどい患者がふうふう言いながら病院まで出かける。
それは馬鹿げたことじゃないか。
(1924~) 日本の医者。『認知症の人と家族の会』顧問。 総合人間研究所所...
西陣織で働く人たちの体を診て、
社会環境が病気を作ることを知りました。
(1924~) 日本の医者。『認知症の人と家族の会』顧問。 総合人間研究所所...
本当の医療とは何や。
(1924~) 日本の医者。『認知症の人と家族の会』顧問。 総合人間研究所所...
教育とは、無理やり教え込んだり、訓練したりするものではない。
(1950~) 日本の思想家。大学教授。合気道師範。 代表的著作に『大人のい...
文学、哲学、政治学、歴史学、経済学説史、を学んでも、
すぐさま官庁や会社で役立ちそうにない。
人文学部は、無益ならまだしも、
政財界の利益に叶う政策を批判する“有害”な学者を養成する。
役に立たない?否、有害な人材を養成することに税金をつぎ込むのはけしからぬ、
と政財界のお歴々は言う。
法学部生のうち、司法界に職を得るのは高々一割止まり。
官庁や企業の事務職に就く法学部卒は、無用の学を修めた輩と見なされる。
目下、大学の人文系学部に対し、批判の声が渦巻いている。
文部科学省の有識者会議で、
「文学部ではシェイクスピアの代わりに英語通訳」
「法学部では憲法の代わりに宅建法」
「経済学部では経済学の代わりに簿記や会計ソフト」
を教えるべきだなどと、
私に言わせれば暴論を唱える“有識者”がいたりする。
思考力、判断力、表現力、を養うには、人文社会系が欠かせない。
ケンブリッジ大学やオックスフォード大学で入学が最も難しいのは歴史学科だ。
実は、外交官をはじめ高級官僚の過半数が歴史学科卒なのだ。
大学四年間かけて歴史をみっちり勉強し、
法律学や経済学は、オン・ザ・ジョブで学べというのがイギリス式官吏養成法なのである。
トマ・ピケティは、米国の経済学が数理一辺倒であることに愛想を尽かし、
マサチューセッツ工科大の職を辞し、高等社会科学院に転職した。
人文知(哲学・文学・歴史学)と縁切りし、数理の奴隷と化した米国経済学界に、
ピケティはほとほと愛想を尽かしたのだ。
私は格差が何もかもいけないと言っているのではない。
本当に全員の利益になっているのなら許されることもある。
その点はロールズと一緒だ。
フランスの経済学者。クリシー出身。経済学博士。パリの高等師範学校の出身で、経済的...-ウィキペディア
小説やエッセーなどの区別や技巧は必要なく、
簡素で的確な文章さえあれば充分。
(1930年~) 日本の作家。 フランス文学に詳しく、二度のフランス留学。 ...
上官に服従し、上意下達に終始する自分は何者なのか。
何のために生きているのか。
何もわからなくなった。
(1918年~) 日本の教育学者。東京大学名誉教授。 戦時中、大学院在学中に...
人間は本能が壊れた動物である。
(1933年~) 思想家。心理学者。和光大学名誉教授。 唯幻論の提唱者。
デカルトは、決断ができない人間は、欲望が大きすぎるか悟性が足りないのだといった
君たちは何を基準に善と悪をより分けているのだろうね
人間は自らの意志で選択・行動するからこそ価値があり、魂を輝かせることができる
私たちは健康より病気を選んだり、自由よりも奴隷状態を選ぶこともあるのです。癒されることや、解放されることを望まない理由はたくさんあります。弱さをもった人は自分の身のまわりや家族そして友人に、横暴な力をふるうことがあります。その力のため、信頼や愛はくずれ去るのですが、弱さのゆえにそのような力をふるった本人には満足感を与えるのです。
20世紀のキリスト教神学に大きな影響を与えたドイツのプロテスタント神学者。姓はテ...-ウィキペディア
他人が罪、犯罪そして悲惨さの中に陥るという事実は、私たちに与えられている恵みの性質を変えます。それは私たちに、私たち自信の隠れた罪を気付かせます。それは、罪や犯罪に苦しむ人々が、私たちのためにも苦しんでくれているということを提示します
20世紀のキリスト教神学に大きな影響を与えたドイツのプロテスタント神学者。姓はテ...-ウィキペディア
憶えているのにもかかわらず忘れるというのが、赦しなのです。私たちの罪が赦され、したがって永遠に忘れられるがゆえにこそ、私たちは生きていくことができるのです。そして私たちは、赦し赦されるということがあるからこそ、愛することができるのです
20世紀のキリスト教神学に大きな影響を与えたドイツのプロテスタント神学者。姓はテ...-ウィキペディア
赦すということは、憶えているということを前提とします。そしてそれは、私たちが昨日の天気を忘れるというような自然な形ではなく、「私は憶えているが忘れる」という大いに「にもかかわらず」(in-spite-of) という形での忘却を創りだすのです。このようなたぐいの忘却なしに、人間関係が健全な形で持続することはないのです。
20世紀のキリスト教神学に大きな影響を与えたドイツのプロテスタント神学者。姓はテ...-ウィキペディア