神学

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私たちは健康より病気を選んだり、自由よりも奴隷状態を選ぶこともあるのです。癒されることや、解放されることを望まない理由はたくさんあります。弱さをもった人は自分の身のまわりや家族そして友人に、横暴な力をふるうことがあります。その力のため、信頼や愛はくずれ去るのですが、弱さのゆえにそのような力をふるった本人には満足感を与えるのです。

出典:説教集【永遠の今】 「救い」
パウル・ティリッヒ 6

20世紀のキリスト教神学に大きな影響を与えたドイツのプロテスタント神学者。姓はテ...-ウィキペディア

他人が罪、犯罪そして悲惨さの中に陥るという事実は、私たちに与えられている恵みの性質を変えます。それは私たちに、私たち自信の隠れた罪を気付かせます。それは、罪や犯罪に苦しむ人々が、私たちのためにも苦しんでくれているということを提示します

出典:説教集【永遠の今】 「不平等の謎」
パウル・ティリッヒ 6

20世紀のキリスト教神学に大きな影響を与えたドイツのプロテスタント神学者。姓はテ...-ウィキペディア

憶えているのにもかかわらず忘れるというのが、赦しなのです。私たちの罪が赦され、したがって永遠に忘れられるがゆえにこそ、私たちは生きていくことができるのです。そして私たちは、赦し赦されるということがあるからこそ、愛することができるのです

出典:説教集【永遠の今】 「忘れることと忘れられること」
パウル・ティリッヒ 6

20世紀のキリスト教神学に大きな影響を与えたドイツのプロテスタント神学者。姓はテ...-ウィキペディア

赦すということは、憶えているということを前提とします。そしてそれは、私たちが昨日の天気を忘れるというような自然な形ではなく、「私は憶えているが忘れる」という大いに「にもかかわらず」(in-spite-of) という形での忘却を創りだすのです。このようなたぐいの忘却なしに、人間関係が健全な形で持続することはないのです。

出典:説教集【永遠の今】 「忘れることと忘れられること」
パウル・ティリッヒ 6

20世紀のキリスト教神学に大きな影響を与えたドイツのプロテスタント神学者。姓はテ...-ウィキペディア

孤独を克服できるのは、「単独であること」(solitude)に耐えられる人だけです。私たちは、人間であるがゆえに、「単独であること」への人間本来の欲求があります。私たちは自分の真の姿、すなわちただひとりであることを、苦しみや怖れではなく、喜びと勇気をもって感じたいのです。

出典:説教集【永遠の今】 「ひとりであることの苦しみと栄光」 
パウル・ティリッヒ 6

20世紀のキリスト教神学に大きな影響を与えたドイツのプロテスタント神学者。姓はテ...-ウィキペディア

多くの人々が孤独を感じるのは、彼らが愛し、愛されようと努力するにもかかわらず、その愛が拒否されるからです。この孤独感は、多くの場合自ら造り出したものなのです。このような人々は、賜物としてのみ与えられるものを、当然の権利として主張しているのではないでしょうか。

出典:説教集【永遠の今】「ひとりであることの苦しみと栄光」 
パウル・ティリッヒ 6

20世紀のキリスト教神学に大きな影響を与えたドイツのプロテスタント神学者。姓はテ...-ウィキペディア

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