名言・語録一覧
私を生んだ私の過去は、
人間の経験の一部分として、私より外に誰も語り得るものはないのです
仕事に就かず、東京に妻とひっそり暮らしている。「下 先生と遺書」で“私”として自...
金を見ると、どんな君子でもすぐ悪人になるのさ
仕事に就かず、東京に妻とひっそり暮らしている。「下 先生と遺書」で“私”として自...
あなたは腹の底から真面目ですか
仕事に就かず、東京に妻とひっそり暮らしている。「下 先生と遺書」で“私”として自...
花は科学じゃない、しかし植物学は科学である。
鳥は科学じゃない、しかし動物学は科学である。
文学は固より科学じゃない、しかし文学の批評または歴史は科学である
おれの様な不人情なものでも頻りに御前が恋しい
私の『草枕』は、この世間普通にいふ小説(「真を写」す小説―注)
とは全く反対の意味で書いたのである。
唯一の感じ――美しい感じが読者の頭に残りさへすればよい。
それ以外に何も特別な目的があるのではない。
さればこそ、プロツトも無ければ、事件の発展もない。
あせつては不可せん。‥‥‥世の中は根気の前に頭を下げる事を死つてゐますが、
火花の前には一瞬の記憶しか与へて呉れません。
個人主義は人を目標として向背を決する前に、
まづ理非を明らめて、去就を定めるのだから、
或場合にはたつた一人ぽつちになつて、淋しい心持がするのです。
槙雑木でも束になつてゐれば心丈夫ですから。
私は箇々の人が箇々の人に与へられた運命なり生活なりを
其侭にかいたものが作品と思ひます
‥‥‥他人本位を解体し自己本位に立ち戻ること。
そうすれば人を促進し、ついに更紗の世界へと人を帰属させる。
インデペンデントとはたんなる世間との隔離ではなく、
己と自然・宇宙のリズムを回復することであり、全体性を失わぬことであった
1940年10月2日-2000年7月4日 評論家、俳人。
人間のかかわりの底には常に金銭の問題が横たわる。
1968年生まれ。成城大学大学院文学研究科在学中。
脳病や神経衰弱は、子宮の病とみなされたヒステリーと、いわば対照的に用いられた。
前者は〝男の病〟として、後者は〝女の病〟としてである。
1950年生まれ。大阪大学文学部教授。
恐れない女は、男たちのように死なない。どこまでもしたたかに生き続ける。
1965年生まれ。広島文教女子大学専任講師。
愛していない男とセックスをする売春婦は社会的に残酷な評価を受けるが、
初対面の女を買う男が同じように「転落」を刻印されることはない。
1963年生まれ。青山学院短期大学国文学科専任講師。
覚醒した女は昔のように男に仕えなくなるだろうし、
男は昔のように女を弄ぶことができなくなるだろう。
1963年生まれ。青山学院短期大学国文学科専任講師。
「恋愛」が「野合」でないポジティブな観念となるときに、
見合い結婚に代表される当事者相互の意志によらない結婚は
「寂寞荒涼たる愛のない結婚」といったイメージで再定義されることになるだろう。
1963年生まれ。青山学院短期大学国文学科専任講師。
対象について「わかる」ということは、
それを読んでいる自分自身について「わかる」ことから始まっていくのである。
1958年生まれ。鹿児島経済大学助教授。
飼われてみると人間ほど身勝手な生き物はない。
1946年生まれ。早稲田大学文学部教授。
漱石を読むための安全地帯は存在しない。
それは、転落する危険と隣り合わせの場所にしかない。
1962年生まれ。大阪大学言語文化部助教授。
フェミニズムに理解を示す男たちは、まだ他人ごとだと思って書いている。
だが、いずれ、彼らは、
自分たちの男としての実存を根深いところで脅かされることになるだろう。
1962年生まれ。大阪大学言語文化部助教授。
わたくしたちは、
しらずしらずのうちに窮屈な先入観のもとで、分かったつもりできめつけているが、
根底から問いなおさねばならぬことが少なくない。
1928年生まれ。早稲田大学文学部教授。
どんな問題についても読み手が誠実な問いをもって迫れば、
どこかできっと誠実な答えに突き当たる。それが漱石の文学だとわたしは言いたい。
ただしそのためには、読み手の側の努力や体験の積み重ねもむろん必要なのだが――。
1923年生まれ。九州大学名誉教授。
わが背子と ふたり見ませば 幾ばくか
この降る雪の 嬉しからまし
大宝元年(701年) - 天平宝字4年6月7日(760年7月27日))は、奈良時...
天平六(七三四)年、難波行幸の際、聖武天皇の詔に応じた
千沼廻より雨ぞ降り来る四八津の海人
綱手乾したり濡れもあへむかも
舎人皇子の子で、淳仁天皇の兄。