智に働けば角が立つ、情に棹させば流される、意地をとおせば窮屈だ。
「草枕」より
自己顕示欲が益々強くなって来て、他人のことを
意に介しない社会が続くことに苦慮します。 - しゃも寅爺
金をつくるにも三角術を使わなくちゃいけないというのさ
義理をかく、人情をかく、恥をかく、これが三角になる
「吾輩は猫である」より
良人というものは、ただ妻の情愛を吹き込むためにのみ生存する海綿に過ぎないのだろうか
「明暗」より
形を見るものは、質を見ず
「虜美人草」より
智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。
意地を通せば窮屈だ。兎角人の世は住みにくい。
成功は才に比例するものにあらず
「文学論」より
呑気と見える人々も、心の底を叩いてみると、どこか悲しい音がする
「吾輩は猫である」より
こっちでいくら思っても、
向こうが内心他の人に愛の目を注いでいるならば、
私はそんな女と一緒になるのは嫌なのです。
私は世の中で女というものをたったひとりしか知らない。
妻以外の女はほとんど女として私に訴えないのです。
妻の方でも私を天下にただひとりしかない男と思ってくれています。そういう意味から言って
私たちは最も幸福に生れた人間の一対であるべきはずです
運命は神が考えたものだ。
人間は人間らしく働けばそれで結構だ。
わりに、一所にいさえすれば、たとい敵同士でもどうにかこうにかなるものだ。
つまりそれが人間なんだろう。
外国人に対して乃公(おれ)の国には富士山があるというような馬鹿は今日はあまり云わないようだが、戦争以後一等国になったんだという高慢な声は随所に聞くようである
現代日本の開化
帝王の歴史は悲惨の歴史である。
『倫敦塔』
引用『倫敦塔・幻影の盾』(岩波文庫版15頁)
引用『倫敦塔・幻影の盾』(岩波文庫版15頁)
近頃は戦さの噂さえ頻りである。睚眦(がいさい)の恨は人を欺く笑の衣に包めども、解けがたき胸の乱れは空吹く風の音にもざわつく。夜となく日となく磨きに磨く刃の冴は、人を屠る遺恨の刃を磨くのである。君のため国のためなる美しき名を籍(か)りて、毫釐(ごうり)の争に千里の恨を報ぜんとする心からであ
る。正義といい人道というは朝嵐に翻がえす旗にのみ染め出すべき文字で、繰り出す槍の穂先には瞋恚(しんい)の焔(ほむら)が焼け付いている。狼は如何にして鴉と戦うべき口実を得たか知らぬ。鴉は何を叫んで狼を誣(し)ゆるつもりか分からぬ。
『幻影の盾』
引用『倫敦塔・幻影の盾』
(岩波文庫版50~51頁1999年刊行)
引用『倫敦塔・幻影の盾』
(岩波文庫版50~51頁1999年刊行)
戦は人を殺すかさなくば人を老いしむるものである。
『趣味の遺伝』(岩波文庫『倫敦塔・幻影の盾』所収)(同書167頁)
「…しかしそれよりまえに文明の皮を剥かなくっちゃ、いけない」
「皮が厚いからなかなか骨が折れるだろう」と碌さんは水瓜のような事を言う。
「折れてもなんでも剥くのさ。奇麗な顔をして、下卑たことばかりやってる。それも金のない奴だと、自分だけで済むのだが、身分がいいと困る。下卑た根性を社会全体に蔓延させるからね。たいへんな害毒だ。しかも身分がよかったり、金があったりするものに、よくこういう性根の悪い奴があるものだ」
『草枕・二百十日』(角川文庫版182頁)
世の中はしつこい、毒々しい、こせこせした、そのうえずうずしい、
いやな奴で埋っている。元来なにしに世の中へ面を曝しているんだか、
解しかねる奴さえいる。しかもそんな面にかぎって大きいものだ。
浮世の風にあたる面積の多いのをもって、
さも名誉のごとく心得ている。
『草枕・二百十日』(角川文庫版119頁)
私は箇々の人が箇々の人に与へられた運命なり生活なりを
其侭にかいたものが作品と思ひます
大正三=一九一四=年一月七日、小泉鉄宛書簡より。
個人主義は人を目標として向背を決する前に、
まづ理非を明らめて、去就を定めるのだから、
或場合にはたつた一人ぽつちになつて、淋しい心持がするのです。
槙雑木でも束になつてゐれば心丈夫ですから。
『私の個人主義』より。
あせつては不可せん。‥‥‥世の中は根気の前に頭を下げる事を死つてゐますが、
火花の前には一瞬の記憶しか与へて呉れません。
大正五=一九一六=年八月二十四日、芥川龍之介・久米正雄宛書簡より。
私の『草枕』は、この世間普通にいふ小説(「真を写」す小説―注)
とは全く反対の意味で書いたのである。
唯一の感じ――美しい感じが読者の頭に残りさへすればよい。
それ以外に何も特別な目的があるのではない。
さればこそ、プロツトも無ければ、事件の発展もない。
「余が『草枕』」『文章世界』明治三十九年十一月
おれの様な不人情なものでも頻りに御前が恋しい
ロンドン留学中の日記より。
花は科学じゃない、しかし植物学は科学である。
鳥は科学じゃない、しかし動物学は科学である。
文学は固より科学じゃない、しかし文学の批評または歴史は科学である
『文学評論』(明治四十二年)
女性について
無意識の偽善者
AERA Mook 41『「漱石」がわかる。』(朝日新聞社,1998)P70