知るとは、単に知識によって理解するのではなく、
体得してはじめて知ったことになる。
売る前のお世辞より売った後の奉仕、
これこそ永久の客を作る
えっ!イタコナのほうが大事?。 - ユーザー
例え平凡で小さなことでも、
それを自分なりに深く噛みしめ味わえば大きな体験に匹敵する。
人は、あるところでは卑劣に行動しながら、
別のところで高徳に振る舞うことはできないのである。
その些細な心の緩みやごまかしが、全体を蝕んでいくのである。
人は騙せても自分自身は騙せない。
「ありがとう」と言う方は、何気なくても、言われる方はうれしい、
「ありがとう」これをもっと素直に言い合おう。
百人までは命令で動くかもしれないが、
千人になれば頼みます、一万人にもなれば、
拝まなければ人は動かない。
やってみせ、言って聞かせてさせてみて、褒めてやらねば人は動かじ。
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。
のが名言かな。
きちんと評価し報酬与えるべきではある。
万単位の人間を動かしたことや人財の価値観はきちんと評価はすべきだ。
- 増田 和弘
見方を変える
何事もゆきづまれば、まず、自分のものの見方を変えることである。
案外、人は無意識の中にも一つの見方に執して、
他の見方のあることを忘れがちである。
商売や生産はその商店や製作所を繁栄させることにあらず、
その働き、活動によって社会を富ましめるところにその目的がある。
志さえ失わなければ、
困難や問題は全て新たな発展の契機として生かすことが出来る。
自分が病がちだから先頭にたって、商売をすることはできない。
どうしても自分の代理に頼んで仕事をしてもらうことになる。
そうなれば10人にも100人もの人にも頼めるし、
非常に多くの仕事を出来るようになる
お金に不自由しているときは使うにしても真剣である。
だからお金の値打ちがそのまま光る。
たとえ3日間の手伝い仕事であっても、
その仕事に一生のような心構えで真剣に立ち向かうならば、
そこから必ず大きなものを得ることができる。ということです。
そうしてこそあらゆる場合に直面しても動じない精神が身につくということでしょう。
私のこれまでの体験からいうと、
現在与えられた今の仕事に打ち込めないような心構えでは
どこの職場に変わっても決していい仕事はできない。
礼儀作法は人間関係を滑らかにする。
社会生活の潤滑油である
いかにすぐれた才能があっても、
健康を損なってしまっては十分な仕事もできず、
その才能もいかされないまま終わってしまいます。
では健康であるために必要なことは何かというと
栄養であるとか、休養とかいろいろあるが、特に大切なのは心の持ち方です。
命をかけるというほどの熱意を持って仕事に打ち込んでいる人は
少々忙しくても疲れもせず、病気もしないものです。
事を遂げる者は愚直でなければならぬ。
才走ってはうまくいかない。
逆境もよし、順境もよし。
要はその与えられた境遇を素直に生き抜くことである。
競争も必要、対立することもあっていい。
だが敵をも愛する豊かな心を持ちたい。
経営というものは、天地自然の理にしたがい、
世間大衆の声を聞き、社内の衆知を集めて、
なすべきことを行っていけば、必ず成功するものである。
こけたら立ちなはれ
こけたら立てばいい! - J
成長していくまで、一生の名言です。
そして、立ちあがる溶きに何を掴み、どう活かすか?
それによってその人の生き様が出てくるもんです。 - とらさん
志を立てるのに、老いも若きもない。
そして志あるところ、
老いも若きも道は必ず開けるのである。
心の持ち方で結果が変わる。楽観か悲観か、積極か消極か。
心のあり方如何で、物の見方が変わってくる。
心を定め 希望をもって歩むならば
必ず道はひらけてくる
深い喜びも そこから生まれてくる
この世に存在する一切のものは、
すべて不要なものは一つもない。
この世に100パーセントの不幸というものはない。
50パーセントの不幸はあるけれども、
反面そこに50パーセントの幸せがあるわけだ。
人間はそれに気がつかなければいけない。
とかく人間の感情というものは、うまくいけば有頂天になるが、
悪くなったら悲観する。
これは人間の一つの弱い面だが、それをなるべく少なくして、
いつの場合でも淡々とやる。
信念を持っていつも希望を失わないでやることだ。
「天は二物を与えず」と言うが、
逆に「なるほど、天は二物を与えないが、しかし一物は与えてくれる」
ということが言えると思う。
その与えられた一つのものを、大事にして育て上げることである。
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(D級コーチの呟き)http://tigers.naganoblog.jp/e529149.html - ティガー