熱心は、人間に与えられた大事な宝である。
そして、この宝は、誰にでも与えられているのである。
(earth-words.net)
視野の狭い人は、我が身を処する道を誤るだけでなく、人にも迷惑をかける。
わずかな人間の知恵の幅である。
賢さの中にも愚かさがあり、愚かさの中にも賢さがひそんでいる。
自分の金、自分の仕事、自分の財産。
自分のものと言えば自分のものだけれど、これもやっぱり世の中から授かったもの。
世の中からの預かり物である。
自分には自分に与えられた道がある。天与の尊い道がある。
どんな道かは知らないが、他の人には歩めない。
自分だけしか歩めない、二度と歩めぬかけがえのないこの道。
広いときもある。狭いときもある。のぼりもあれば、くだりもある。
坦々としたときもあれば、かきわけかきわけ汗するときもある。
この道が果たしてよいのか悪いのか、思案にあまるときもあろう。
なぐさめを求めたくなるときもあろう。しかし、所詮はこの道しかないのではないか。
あきらめろと言うのではない。
いま立っているこの道、いま歩んでいるこの道、とにかくこの道を休まず歩むことである。
自分だけしか歩めない大事な道ではないか。
自分だけに与えられている かけがえのないこの道ではないか。
他人の道に心を奪われ、思案にくれて立ちすくんでいても、道は少しもひらけない。
道をひらくためには、まず歩まねばならぬ。心を定め、懸命に歩まねばならぬ。
それがたとえ遠い道のように思えても、
休まず歩む姿からは必ず新たな道がひらけてくる。
深い喜びも生まれてくる。
人と比較をして劣っているといっても、決して恥ずることではない。
けれども、去年の自分と今年の自分とを比較して、もしも今年が劣っているとしたら、
それこそ恥ずべきことである。
(※僥倖/ぎょうこう…偶然に得た幸運のこと)