将棋
どうしてですか?
どうしてせっかく
生えてくるものを
切らなくてはいけないんですか
髪も爪も伸びてくるのには
きっと意味があるんです
それに生きているものを
切るのはかわいそうです
「知ってるつもり 村山聖」
村山聖
1
1969年(昭和44年)6月15日 - 1998年(平成10年)8月8日)は、将...
才能とは、努力を継続できる力
プロフェッショナル 仕事の流儀「直感は経験で磨く~棋士・羽生善治」(NHKオンデマンド,2006)オープニング
やっぱりなんかこう揺らぎない人、揺らぎない人だと思っています。
変わらないというか、核があるというか、信念があるというか、誇り
があるというか、つまり本当に大事にしているものを守り続けている、
信じ続けているということではないかなあと思います。
プロフェッショナル 仕事の流儀「直感は経験で磨く~棋士・羽生善治」(NHKオンデマンド,2006)エンディング
前に進めぬ駒は無い。
後に引けない駒もある。
中原誠
1
中原誠 棋士、永世名人
会社などの組織の中では、
ともすれば飛車や角のような強力な人材だけを重んじて、歩のように
目立たないけれど大切な役割を果たしている人を切り捨てることになりがちです。
でも、本当はそれではバランスのよい組織にならない。
『心を読み、かけひきに勝つ思考法』(PHP研究所)
谷川浩司
1
1962年4月6日生まれ。将棋棋士。
それに士気を下げるような、敵駒みたいな人も多々いる。 - 774
両親の言葉
兄:谷川俊昭
兄:谷川俊昭
弟は頭がいいからプロの将棋指しとして食べていけるけど、
ダメな兄のほうがアホでもがんばればなんとかなる勉強に精を出せ
和田秀樹『痛快!超勉強学』(集英インターナショナル,2002)P42
谷川憲正
1
1923年 - 2009年12月4日 享年86歳。棋士である谷川浩司の父親。
十年、二十年たったら外国人がプロ棋士になっているかもしれない。
将棋はエキサイティングなゲームだ。
きっかけさえあれば外国でも広がっていくはずだ。
ただ、そうなると日本人がタイトルを守り続けることはできなくなるかもしれない。
大相撲の世界では、外国人力士が非常に強くなり、日本人の横綱がいないという現象が起きている。
将棋が海外で普及するようになると、日本人以外のタイトル保持者がでてくる可能性もある。
そうなることはおかしくないし、遅いか早いかの問題だろう。それがグローバル化の本質と思っている。
私は、将棋が国際交流の助けに少しでも寄与できればいいとも思っている。
大相撲の世界では、外国人力士が非常に強くなり、日本人の横綱がいないという現象が起きている。
将棋が海外で普及するようになると、日本人以外のタイトル保持者がでてくる可能性もある。
そうなることはおかしくないし、遅いか早いかの問題だろう。それがグローバル化の本質と思っている。
私は、将棋が国際交流の助けに少しでも寄与できればいいとも思っている。
地位や肩書きは、その結果としてあとについてくるものだ。
逆に考えてしまうと、どこかで行き詰まったり
いつか迷路にはまり込んでしまうのではないだろうか。
大切なのは実力を持続することである。
普段練習で指しているときも、公式戦で大きな勝負をやっているときも
私は、同じ力を発揮することを考えている。
賞金の額だけでなく、名声や地位など、将棋を指すこと以外で
自分の考え方や姿勢を変えるようなことはしたくない。
プロになる前から「好きな将棋で経済的に恵まれるなんてあり得ない」と思い、最初から期待して入ったわけではないのだ。
自分の考え方や姿勢を変えるようなことはしたくない。
プロになる前から「好きな将棋で経済的に恵まれるなんてあり得ない」と思い、最初から期待して入ったわけではないのだ。
確かに、プロになれば趣味としての楽しさがなくなり、当然、苦しみも出てくる。
だが、趣味としていたら多分知ることのなかった将棋の奥深さを味わえるということもある。
新しい風景が見えると同時に、見えてない部分もたくさんあることがわかってくる。
だから、続けていきたいという気持ちが沸いてくるのだ。
だから、続けていきたいという気持ちが沸いてくるのだ。
一週間、まったく駒にさわらずに将棋から離れていると
力はがくんと落ちてしまうだろう。
元の棋力を取り戻すには一週間の何倍もの努力が必要となる。
やっても、やっても結果が出ないからと諦めてしまうと、そこからの進歩は絶対にない。
周りのトップ棋士たちを見ても、目に見えて進歩はしていないが、少しでも前に進む意欲を持ち続けている人は、たとえ人より時間がかかっても、いい結果を残しているのである。
将棋は最初は静かだが、最後は駒をたくさん捨てて、非常に激しくなる。
一方、チェスは逆で、最初は非常に激しいが、最後は駒がどんどん少なくなるので
静かに終わる。
だから、似ているようでまったく違う。
特に将棋に似ているスポーツはテニスだろう。
サービスゲームを交互にやったり、一人で流れを変える努力をするところは、すごく似ているし、役に立つ。
それに実力差がないときに、どうやって差をつけるかも似ている。
それに実力差がないときに、どうやって差をつけるかも似ている。
一局終わると体重が二、三キロ減ってしまう。
もうひとつ、頭の疲れは休めばとれるが精神的な疲れはなかなかとれない。
将棋の一手一手に嘘はない。
お互いに勝ちたいとか、いい将棋を指したいとか
そういう真剣な気持ちで選択し、一つ一つ決断している。
自分の力を百パーセント発揮し、本音で語っているのと同じである。
「自分の得意な形に逃げない」ということを心がけている。
自分の得意な形に持っていくと楽だし、私にも楽をしたい気持ちはある。
しかし、それを続けてばかりいると飽きがきて、世界が狭くなってしまう。
しかし、それを続けてばかりいると飽きがきて、世界が狭くなってしまう。
最先端で争っていると、そこを避けることは、逃げることでもある。
勝負を逃げてしまうと、気持ち的にも逃げることになってしまう。
そして、段々と消極的な作戦しか選べなくなってしまう。
そして、段々と消極的な作戦しか選べなくなってしまう。
プロの世界では、これが「よし」という結論が出たら、その形は二度と実戦に現れない。
最後の詰めまで研究し尽くされてしまう。
何事であれ、最終的には自分で考える覚悟がないと、情報の山に埋もれるだけである。
情報を処理、判断して、いかに新しいアイデアを出せるかが勝負になっている。
情報が平等に手に入るようになったのは、一つの進歩である。
年間二千局ほどの棋譜がインターネットで、全てパソコンで検索できるようになっている。
人生は食事をして眠るだけのくり返しではない。
「こういうことができた」「こういうことを考えた」という部分がある。
何かに打ち込んでいる人には、そういう発見があると思っている。
人生の中で目指しているものがはっきりしている人は
いくつになってもエネルギーがある。
エネルギーが枯渇してしまうと、やる気はふくらまないし、持続しない。
集中力の基盤になるのは根気であり、その根気を支えるためには
体力が必要だと思っている。
体力がないと苛立ちに負けて、考える力はまだ残っているのに、結論を急ぎたがり、最後まで集中して頑張り切れない。
私は、対局が終わったら、その日のうちに勝因、敗因の結論を出す。
そして、翌日には真っ白な状態でいたいと思っている。