レフ・トルストイ 161
1828年9月9日 - 1910年11月20日
帝政ロシアの小説家、思想家で、フョードル・ドストエフスキー、イワン・ツルゲーネフと並び、19世紀ロシア文学を代表する文豪。英語では名はレオとされる...-ウィキペディア
神々は人々に食物をつかわしたが、悪魔は料理人をつかわした。
「読書の輪」より
もっとも野蛮な迷信のひとつは、
人間が信仰なしで生き得るものだ、という独断に対する現代の、
いわゆる学者の大多数の持つ迷信である。
「読書の輪」より
神の国は眼で見るべきものではなく、また語るべきものではない。神の国はここにあり、かしこにあり、それゆえに神の国はわれわれの心の裡にある
「われわれは何をすべきか」より
神は真実を見られるが、速やかにはお示しにならず
「イワンの馬鹿」より
現在の社会は、支配される社会と、各人にとって有利かつ合理的な考え方によって支配される社会とに区別して考える方が、
はるかに自然である。そこでは暴力のみが人々の行為を決定する
「読書の輪」より
知識は記憶力によってではなく、
自分の思想上の努力によって獲得されたときのみ知識であり得る。
「読書の輪」より
理性はしばしば罪の奴隷となって、これを弁解する
「読書の輪」より
すべての暴力は、戦うことなく相手を屈服させることは出来ようが、
相手を従順させることは出来ない。
「暴力と愛の抵抗」より
古人はわれわれに英雄叙事詩の模範を残した。そのうちで、英雄が歴史の興味の全部をなしている。だから、われわれはかかる種類の歴史は、
この人間時代でなんらの意味も持たないという考えに慣れることができない
「戦争と平和」より
人間を法律に服従させるという思想は、人間を隷属させることであり、
神の法則に従うという思想は、人間を解放する思想である。
「読書の輪」より
人々は愛によって生きている。だが、自己に対する愛は死の初めであり、神と万人に対する愛は生の初めである
「読書の輪」より
おまえを永遠に愛するという言葉は、ローソクがお前の生きている間燃え続けるというに等しい
「クロイツェル・ソナタ」より
恋とは自己犠牲である。これは偶然の依存しない唯一の至福である
「クロイツェル・ソナタ」より
われわれをいちばん強くつかむ欲望は、淫欲のそれである。その方面の欲望は、これで足れりということがない。満足させればさせるほどいよいよ増長するものである
「読書の輪」より
真の放縦は、肉体関係を結んだ婦人に対する道徳的義務を免れようとする点にあります
「クロイツェル・ソナタ」より
真の文明人は、人生における自己の使命を知っている人間のことである。
「読書の輪」より
生活の目的は自己完成にあり、そして不死の霊の完成は人生の唯一の目的である
「われわれは何をなすべきか」より
愛
人間は幸福を求めてこそ意味ある存在である。
そしてこの幸福は、人間自身の中にある。
自分の信念に忠実に生きる少数の人々の生涯は、
あらゆる書物よりもはるかに役に立つ。
富める慈善家たちは、
彼らが一人の貧しき者に慈善を施すとき、
しばしば、より貧しき多くの人々から奪ったものを施している事に
気づこうとしない。
(トルストイ『文読む月日』上巻 ちくま文庫版228頁)
北御門二郎訳
北御門二郎訳
人間は言葉によって思索する。言葉がなければ思想もない。
思想こそは私個人、そしてまた全人類の生活を動かす原動力である。
したがって思想をふまじめに扱うことは、大きな罪である。
そして「言葉を殺す」ことは「人間を殺す」ことにも劣らない大罪である。
『トルストイの言葉』(小沼文彦訳編・彌生書房)23頁
すべての人間は、オーストリヤ人である前に、セルビヤ人である前に、
トルコ人である前に、中国人である前に、まず人間でなければならない。
『トルストイの言葉』(小沼文彦訳編・彌生書房)74頁